48話目 鶴首して待つ盲愛④
※ちょこっとR15
◇
霧子の社の中、そこは時間の流れや季節でさえも曖昧な空間だった。
神隠しに二度も遭うとは稀有なものだと、見藤は胡坐をかきながら、ぼんやりと考えていた。不意に木造の床に怠惰的に寝そべる霧子が視界に入り、脱ぎ捨てた上着を掛けてやる。彼女の肌を全て覆い隠すには心もとないが、ないよりは良いだろう。
すると、霧子はそんな気遣いが嬉しかったのか。少しだけ目を細めたが、すぐに眉を下げてしまった。どうしたのかと、見藤は怪訝な顔をする。
霧子は少し間を置いて、小さな声で言葉を溢した。
「最初で最後、じゃないわよね……?」
――長年焦がれ、欲しいと思ったものを手にした。一度でもその味を知ってしまえば、強請るのは怪異である霧子も変わらない。縁を繋ぎ直すためだけの手段とした契りはあまりにも寂しい、と彼女は言いたいのだろう。
霧子の不安そうな声音と言葉の真意に、見藤は困ったように眉を下げる。耳を少しだけ赤くしながら、遠慮がちに答えた。
「善処……、する」
床に置かれた見藤の骨ばった手に、霧子の色白で綺麗な手が重なる。見藤はその手に指を絡めると、距離を縮めた。体を屈めて、霧子の頬に唇を寄せる。くすぐったいのか、身をたじろがせた霧子に自然と口元が綻ぶ。
そんな見藤の表情を目にした霧子は気恥ずかしくなったのか、傍にあったシャツを手繰り寄せて顔を隠してしまった。その仕草は更に見藤の仁愛を深めることになったのだが、彼女は知る由もないだろう。
見藤は体を屈めたまま、霧子の顔を覆うシャツを優しくどける。かち合う視線に目を細めた見藤は愛おしげに話し掛けた。
「霧子さん、受け取って欲しいものがある」
そう言って彼は絡めていた指を解き、彼女の手を取る。そして、手の平に口付けると、そのまま霧子の手で自身の目を覆った。
――時に怪異は人を喰らう。
まさか、目を捧げるとでも言うのだろうか。そう思い至ると、霧子はこれでもかと眉を寄せ、心外だと言わんばかりに抗議の声を上げた。
「え、そんな趣味ないわよ」
「ははっ…! 違う、違う。あの時のように、もう一度――」
霧子の言葉を聞いた見藤は思わず笑いが溢れた。
「この眼の力を受け取って欲しい」
見藤の言葉に、霧子は目を見開いた。
――人にのみ現れる不思議な力を持つ眼。その眼を狙うのは恐らく、人も妖怪も同じだろう。そんなもの存在しない方がいい、と霧子の中で思いが決まる。
彼女は長い沈黙の末に、ゆっくりと口を開いた。
「――貰い受けるわ」
「ありがとう」
霧子の返答に、見藤はこれでもかと顔を綻ばせた。
霧子は体を起こし、床に膝を寝かせて座る。その拍子にかけていた上着がずり落ち、素肌が露になりかけた。彼女は少し慌てながら見藤が脱ぎ捨てた服で己の体を覆い隠す。そうして、彼女は霧を纏いながら怪異本来の姿に戻った。
見藤は立ち上がり、霧子の長く艶やかな黒髪を纏め、肩から胸の方へ流す。露になった彼女の背中。背中の流れに沿って視線を下に向ければ、滑らかな曲線が目に入る。一瞬、己の内に燻る熱を自覚したが、自己嫌悪が勝り事なきを得た。
そうして、霧子の白く滑らかな肌に描かれていく赤黒い文字。ゆっくり時間を掛けて、彼女の背中には文字と図が描かれ、紋様となる。見藤はこれから霧子に呪いを施すのだ。
――血で模られた呪いは、より一層強力なものとなる。
揺るぎない契りとするために、この呪いは見藤自らが編み出したものだ。少年であった頃に、霧子へ譲渡した深紫色の眼の力。今一度、その眼の力を彼女に譲渡しようと言うのだ。
(俺にはこんなもの、必要ない。霧子さんが存在し続けられるように、少しでも力の糧になるといい)
そんな想いを抱き、見藤の口は祝詞を紡ぐ。
あの時にも経験した痛みが見藤を襲う。目の奥が痺れ、冷や汗が体から噴き出す。時折、呻くように言葉を詰まらせながらも祝詞を終える。
――見藤の瞳の色は紫黒色へ変化していた。
そして、それに連なって霧子の背に描かれていた紋様は染み込むように消えたのだった。
「終わったよ、霧子さん」
「そう」
愛おしさを孕んだ見藤の声音と対象的に、霧子の声は素っ気ないものだった。
見藤は首を傾げ、霧子の顔を覗き込もうとしたのだが、それは阻止されてしまった。それどころか、怪異本来の姿である長身を支えるための大きな体が見藤を押し倒したのだ。
「うべっ……!? ど、どうしたんだ……、霧子さん」
押し倒された衝撃に耐えられず、見藤は呻き声を上げる。痛みが治まると、そっと目を開けた。すると、視界いっぱいに広がるのは霧子の拗ねた表情だった。少しだけ、頬を膨らませている。
あまりに可愛らしい表情をするものだと、見藤は置かれている状況をすっかり忘れ、魅入ってしまった。
すると、更に拗ねたように霧子は口を尖らせた。
「むぅ。――何か、言うこと。あるんじゃないかしら?」
「……ん、それは、その」
言い淀む見藤に、霧子は少し呆れたように溜め息をつく。
そうして、霧子は再び人を模った体へと姿を変えた。覆いかぶさっていた姿勢から、見藤に体を預ける。彼の胸板に頬を寄せ、傾げるような仕草で彼の視線を捕らえる。
――互いの視線が交わる。霧子が見藤の手を取り、指を絡めた。少し間を開けて、拗ねたままの口調で言葉を紡ぐ。
「あんたが恋だの愛だの語るなんて、らしくないけれど。今くらい……いいじゃない。まぁ……そんな所も含めて全部、あんただから……全部、好きよ」
それは霧子からの告白でもあり、愛の言葉だった。
霧子が紡いだ最後の言葉に、見藤は目を見開き、息を呑んだ。揺れる瞳を誤魔化すように、空いた腕で彼女の細い腰を抱き寄せる。
「霧子さん――」
――霧子の耳元で見藤が囁いた愛の言葉は二人だけのものだ。
そんな見藤の言葉を聞いた霧子は、柔和な笑みを浮かべたのだった。
「ふふっ……ばかね、慎は」
――霧子は彼の名を呼んだ。
今はもう名乗らず、彼女以外、誰も口にしない名だ。霧子はもぞり、と体を動かし、見藤の首に手を回して、抱き締める。
見藤は霧子の腕の中で安堵したような表情を浮かべ、頬を擦り寄せた。それがくすぐったいのか、霧子からは自然と笑みが零れる。
(ずっと、こんな時間が続けばいいのに……)
そう思う霧子の願いは無情なものだ。
霧子が感じる時間の流れよりずっと早く、この男は生命の期限を迎えてしまい、今感じている体温は彼女の元から離れていく。そうして、残るのは霧子が求めた魂だけだ。
(このまま、隠してしまうのも――、それはダメね。きっと、慎はそれを望まない。この気持ちは、とっても複雑)
――彼女の中で背反する感情が渦巻く。
霧子はゆっくり体を起こすと、見藤の喉仏に喰らいついた。彼女の長い黒髪が彼を覆い隠す。――はっ、と短い吐息が漏れた後、見藤の喉仏は少し赤みを帯び、歯形が薄っすらとついていた。
「……その独占欲を嬉しいと思う俺も、大概だな」
「ふふ。ほんと、そうね」
笑みを溢すその様子に堪らず、見藤は霧子の細い腰を引き寄せ、大事そうに抱き留めた。
――この先、離れることがないよう切に願う。
誰に祈った訳でもない見藤の願いは一体どこへ行くのだろうか。見藤が抱いた願いは、霞となって消える。
互いに体を横たえ、まどろみに身を任せた。――そうして、一体どのくらいそうしていたのか。
霧子が目を覚ますと、見藤は久々に深く眠れたのか、安らかな寝顔を惜しみなく晒していた。そんな彼の寝顔を見ていると、思わず先のことが思い出され霧子は顔を赤くしてしまった。
「う、しっかりするのよ、私……!」
そうは言いつつ、慌てて見藤が脱ぎ捨てたシャツを引き寄せ、包まった。脱力し、床へ戻ると、全身彼の香りに包まれる。目の前には未だ目を覚まさない見藤の規則正しい寝息が聞こえてくる。
(きっと、幸せって言葉はこういう時に使うのね)
霧子は自然と上がる口角をシャツで隠しながら、眠る見藤の柔らかな髪を梳いた。その指と指を流れていく感触でさえも愛おしいのだ。
「人間になりたいだなんて願ったと知られたら、きっと幻滅されるわね……」
ぽつり、と呟いた霧子の言葉に返事をする者は誰もいない。
――そうして、見藤の魂には霧子の痕跡が色濃く刻まれた。
喉仏は火葬した後、綺麗に残ると極楽浄土に行くことができる、という話がありますよね。
見藤の喉仏に霧子が噛みついたのは、その話をモデルにしています。
見藤が命を終えても、見藤の魂は極楽浄土になど行かせないと。霧子と永劫共にあるのだ、ということですね。
長くなりましたが、ここまでお付き合い頂き、誠にありがとうございます。
これからも、二人の行く末を見守って頂けると幸いです。




