48話目 鶴首して待つ盲愛②
見藤は今日も事務机に向かい、呪いを用いて霧子の残滓を辿っていた。だが、何度やっても結果は変わらず。残滓もなにも、得られなかった。
残骸となった呪いに用いた道具を目にした見藤は、眉間を押さえ天を仰ぐ。
「はぁ……、くそっ」
悪態をつくと、傍にいた猫宮が代わりと言わんばかりに欠伸をした。
「少し、根を詰め過ぎたァ」
「……、そうは言うが――」
猫宮の言葉に見藤は躍起になって言い返そうと、視線を下げた。すると、視界の端に綻んだ糸が視えた。見藤は訝しげに首を傾げて綻びを辿れば、その糸は己の体に繋がっていた。
切れて綻びになっている糸を除けば、さらに繋がる糸が視える。その糸はどうやら素材、結び目、各々特徴を持っているようだ。
見藤はふと、その糸に思い当たることがあった。その次には、納得したように頷くと目を伏せる。
(昔はここまで、視えていたか……?縁の糸、まさか本当に在るなんてな)
どうやら、視界に入った糸は縁そのものが視覚化されたもののようだ。
見藤は初めに視た、綻びのある糸をそっと握る。よく視るとその綻びは、細い糸が何本も束になり、一本の糸となっていた様子だった。それを、切れ味の悪い刃物で断ち切った、そういう断面をしていたのだ。
(これは……恐らく彼女との縁だ……、くそっ)
心の内に悪態をつき、見藤は視線を逸らす。すると、目に留まったのは焦げ付いた糸だった。
「何だ……? 妙なのが」
不意に気配を感じ、見藤は事務所の窓を見やった。
――けたたましい衝撃音が事務所に響く。その瞬間、見藤は猫宮を腕の中に匿う。
窓ガラスが割れ、床にガラス片が散らばる。散らばったのは、ガラス片だけではなかった。黒い羽根が散乱し、所々に血痕を残した。
見藤の腕の中に匿われていた猫宮は、僅かな腕の隙間から顔を覗かせる。
「なんだァ!? おいおい、これは」
「……烏だな」
事務所の窓ガラスに衝突したのは、烏だった。
喧騒が治まると見藤は立ち上がり、それにつられて猫宮も床に降り立つ。猫宮がガラス片を踏まないよう、見藤は注意を促す。
割れたガラス片が散乱する中――どうやら、烏は衝突により息絶えたようだ。見藤は烏に近付くと、膝を着く。
(……見つかったか)
見藤は再三、心の内に悪態をつきながら、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。窓ガラスに激突し、無残な姿となった烏には見覚えがあったのだ。
光を失った烏の瞳は三つ。
「三つ目の烏、お前は――。そうか、祟りから逃れられなかったのか……」
力なく言葉を溢した見藤を、猫宮は不思議そうに見上げていた。深紫色の眼に映る、呪いの痕跡。その痕跡は、仕舞いこんでいた記憶を呼び起こす。
図らずも、霧子によって隠匿されていた見藤の所在。彼女との縁が切れた今、見藤の身を隠すものは何もない。
――澱みに呑まれ、祟られた故郷を捨てるようにして逃れた過去。だが、その不幸を逃れたのは、何も彼だけはないだろう。
見藤家、そのものは存続していると想像に容易い。だが、彼はこれまで歩んで来た人生の中で生家のことなど頭の片隅にもなかった。それどころか、忘れようとさえしていた。
三つ目の烏は、少年であった見藤が逃がした怪異――、というよりも妖怪に近いだろうか。その体は純白に輝き、自由に空を駆けていたはずだったのだ――。
しかし、あの山一帯を覆った淀みと、祟りによって純白だった体は漆黒に染まり、再び人の手に堕ちたのだ。そうして、使役された妖怪はこうして縁を辿り、見藤の居場所を知らせる命を受けたのだろう。
見藤は烏の死を弔うように目を伏せると、奥歯を噛み締めた。
(今更、何だ……あの家なんて没落寸前だろうに。ただでさえ、今はあんな連中に構う暇はない……!)
心の内に抱えるには重い感情を、やっとの思いで鎮める。
恐らく、彼の生家は見藤が深紫色の眼を失ったことも、再びその力を取り戻したこと――何も知らないのだろう。ただ、二十年経った今でも、再びその力と知識を利用しようと見藤の居場所を血眼になって探していたのだ。
情報屋であるキヨは見藤を匿い、霧子は怪異の能力によってその所在を隠す。知らない内に、己は守られていたようだと、見藤は情けなさで胸が詰まる思いだった。
(放っておけば、あいつらは俺を匿ったキヨさんを糾弾するだろうか……いや、それはさせない。だが、今は――)
見藤は息絶えた三つ目の烏を、その手で抱き上げた。生き物と同じように流れる血は赤かった。
「猫宮、……喰えるか?」
「んァ? 妖怪の死骸を喰うのは、ちと気が引けるけどよぉ……。いいぜ、弔いにもなる」
「……頼む」
「近頃は辛気臭いことばかりだなァ」
猫宮はそう嘆きながら火車の姿となり、見藤の手の中で横たわる烏を大きな口で呑み込んだ。
* * *
凍空は灰色に曇り、それはまるで誰かの心情を表しているかのようだった。見藤は変わらず、事務机に向かっていた。あまり眠れていないのか、顔色は悪い。
(彼女が祀られている社は数か所……。それを全て巡っても、出会える確率は無いに等しい……。どうにか、あの時のように条件を満たせば――)
そこで思考を止めた。不意に視界の端を掠めたのは、例によって細切れになった縁の綻びだった。しかし、不意に違和感を覚え、よく目を凝らす。
――切れていたはずの糸が繋がった瞬間。見藤は目を見開く。
僅かながらに光沢を持つ縁の糸は、赩い。見藤の目に映る赩はとても艶やかだった。そう視えるのは、見藤が彼女に抱く感情によるものなのだろうか。
再び紡がれた、見藤と霧子の縁。それは久保と東雲が彼の為に知恵を絞り、伝手を辿り、添え木のように縁を紡いだ結果だった。
その深紫色の眼に映った光景は、見藤に彼らの想いと行動の結果を示すには十分だったようだ。
(あぁ……、本当に君たちは――)
心の内に呟き、彼らの行動に深く感佩する。
見藤はしばらく目頭を押さえていたが、勢いよく顔を上げた。そして、長く息を吐き、口を開く。
「猫宮。しばらく、事務所をあける」
「おい、見藤。そんな身なりで姐さんを迎えに行くのかァ?」
椅子から立ち上がり、事務所を飛び出そうとした見藤を呼び止めたのは、他でもない猫宮だった。
短い後ろ足で器用に首元を掻きながら、彼を見やる。どうやら、見藤の顔つきが変わった様子を目にして、何が起きたのか察したようだ。
猫宮の言葉を聞いた見藤は、不意に窓ガラスに淡く反射した己の姿を見た。希望を見出され、顔つきはまともになったと自負できる。だが、目の下には隈がたくわえられ、身なりはおざなりになっていると、一目で分かるものだった。
そのような身なりで、再会を約束した最愛の彼女を迎えに行くなど、男の矜持に関わるというものだ。
見藤は気まずそうに頬を掻き、自嘲するような笑みを浮かべた。
「…………、それもそうだな」
「けっ! 世話が焼けるぜ……。うわ、撫でるな!! 自慢の毛並みが、ぼさぼさにっ――、あァ……」
悪態をついた猫宮に笑みを溢した見藤。そのまま猫宮を抱きかかえ、小太りな体を撫でまわした。
言わずもがな、猫宮自慢の白い毛は乱れ、彼は力なく項垂れるのであった。




