48話目 鶴首して待つ盲愛
紅梅咲く季節が終わりを迎えようとしている頃。霧子が姿を消してから、更に数週間後。
大学構内の一角に設けられた談笑スペース。そこに久保と東雲の姿はあった。
彼らは平時、講義を終えた後はこうして集まるのが日課となっている。それも、見藤と霧子の縁切りが行われた後は、頻回になっていた。
テーブルに広げられたオカルト雑誌の数々、久保のタブレット端末。
――慕う人のために、何かできることはないのだろうか。
二人は、その想いに突き動かされている。特に東雲に至っては、罪悪感に縛られていることだろう。
久保はタブレット端末を操作していた手を止めると、東雲に差し出した。その表情はどこか険しい。
「東雲、これを見て欲しい。最近、その手のマニアの間で話題になってる」
「これは……」
差し出されたタブレット端末に映るのは、とある動画だった。それは一般人の手によって撮影された物であるようだ。東雲の目にどう映ったのか。彼女は一瞬目を見開き、小さな溜め息をついたのだった。
久保は東雲が動画を見終えたことを確認し、口を開いた。
「この周辺の土地は、昔から八尺様を祀る風習がある。それが最近になり『八尺様がお還りになられた』と証言する人が増えたらしい」
久保が収集した情報は、都市伝説でもある「八尺様」という怪異についての話だった。そして、その都市伝説の基盤として存在する土着信仰の妖怪についての情報。
――見藤と霧子の縁切りを目の当たりにしたとき。
見藤が掠れた声で霧子の怪異としての名を口にしたのを、久保は聞き逃さなかったのだ。
久保は神妙な面持ちで言葉を続ける。
「そんでもって、地域住民は近々行われる祭りに注力しているそうなんだ。それに伴って、外部から多くの観光客が訪れている……。そんな中の一人が撮影したみたいだけど、これは――。多分、霧子さんも見藤さんを見つけようとしてる。こうして、人目に姿を晒すようなこと……」
「場所が分かっていたとしても、その中には踏み入れな ――だったけ……。怪異の制約。それ以前に……、縁が切れてしまって、霧子さんは見藤さんに会い行けないんやと思う」
東雲はそう言うや否や顔を曇らせ、俯いた。東雲は知っている。
――縁が切れた人と怪異が、再び巡り合うことは皆無に等しい。
同じ時間、同じ場所に存在したとしても、まるで互いがその場に存在しないかのように出会う事はない。
例えるなら、建物を隔てた場所で互いが同じ方向に走っているようなものだ。どちらかが、踝を返せば相手も同じように、再び同じ方向に走る。それは交差することなく、延々と続く。
久保はその模様を頭の中で思い描いたのだろう。とても大きな溜め息をついた。こういう時、頼れるのは見藤の知識なのだが、あの状態だ。だが、少しでも彼の心労を減らしてやりたい、と久保は願う。
すると、東雲は神妙な面持ちで久保に視線を向け、口を開いた。
「縁っていうのはその字の通り、糸に視えるらしい」
「らしい?」
「……うちはそこまで視える訳やないから、視える人から聞いた話な」
彼女はそう言うと、ノートの端に縄のような絵を描いてみせた。それは一本の線ではなく、しめ縄のように編み込まれている部分まで丁寧に描かれている。
「縁は文字通り、糸一本で出来てる訳やない。細い糸が何本も束ねられて出来てる。だから、うちらに繋がる霧子さんとの縁の糸を解いて、その綻びを見藤さんへ結び直す」
東雲はそう言うと、ペン先を滑らせる。一本に束ねられていた縄の端を枝分かれに描き、それを見藤らしき似顔絵のものに繋げたのだった。
――理屈は理解した。久保は頷く。
だが、常識では考えられないような事象を言ってのけた東雲に、久保は首を傾げる。
「そんなこと――」
「うちを誰やと思うてんの? 縁切り神社で見藤さんとの縁を無理矢理に辿った女やで?」
「んー、謎の説得力! ドヤ顔で言われてもなぁ……。はは、東雲らしいけど」
久保の言葉を遮り、力強く言ってのけた東雲。その言葉は、得も言われぬ力強さと説得力があった。
久保は苦笑しながらも、テーブルに転がっているペンを手に取った。そして、ペン先は東雲が描いた縁の図解に、新しい線を描いてゆく。その線は見藤の似顔絵に繋がった。すると、久保は何かに気付いたのか。紙に霧子の似顔絵を描いてみせた。
東雲が覗き込むと、その出来栄えにぽつりと言葉を溢す。
「……似てない。霧子さんはもっと美人やろ」
「うっ……、絵心ないんだよ、僕」
「あはは、確かに」
少しだけ、東雲の顔に笑顔が戻った。
そして更にペン先は線を描く。久保と東雲の縁が枝分かれし、霧子と見藤を繋いだ。――描き終えた久保は満足そうに頷くと、ペンを置いた。
久保が完成させた図解を眺めながら、東雲は「縁の繋ぎ直し」について補足を入れる。
「でも、これは一時しのぎでしかない。その細い糸を、しっかり結ぶのは見藤さんと霧子さんにしか出来ひん」
不意に、東雲の表情が曇る。そして、掠れた声で言葉を続けた。
「うちが出来ることなんて、これしか思い浮かばなかった……償いなんて、そんな烏滸がましいこと言えない、けど」
「東雲。僕達にもできることは、きっとある。手始めに――、良い伝手があるんだよ」
「伝手ぇ?」
東雲の知識、久保の広い人脈――、ならぬ神獣との繋がり。見藤が持ちえないものを、二人は持っている。そして、彼らはまるで片割れのように、互いに不足したものを補い合う。
久保の力強い視線と頷きに、東雲は「なんとかなる」という確信を抱くのだった。
◇
「んで? なんや、俺に頼み事ぉ?」
ひょうきんな声とは裏腹に。こちらを睨み付けるような視線を送る、かつての友人に久保は溜め息をついた。そして、彼の監視者に礼を述べておく。
「ありがとうございます、煙谷さん」
「いいよ、いいよ。今度あいつには、とてつもない面倒事を押し付けるから。これで取引成立だ」
「あー……、ははは」
久保は苦笑しながらも、心の内に見藤へ謝罪をしておくことにする。
久保が訪れたのは煙谷の元だった。そして、彼は煙谷に頼み事、と言う名の依頼をしたのだ。かつての友人、その正体を神獣 白澤。彼に会わせて欲しい、と。
その目的はただ、ひとつ。東雲が言っていた「縁の結び直し」を行うために。神の一端である白沢なら、僅かながらに希望の糸は紡がれるのではないか――、そう考えたのだ。
事務机に向かい、呑気に煙草をふかしている煙谷の監視の下。久保と白沢はソファーに腰かけ、互いに向かい合っていた。
突如として現世に呼び出された白沢は不貞腐れたような表情を浮かべ、ソファーに座っているにも関わらず、胡坐をかいていた。そんな彼に、少しだけ申し訳なさを抱きつつも、久保は口を開いた。
「僕と東雲の、霧子さんとの縁を少しだけ解いて、見藤さんに結んで欲しい」
「……ふーーーん」
「どれだけ細くても、ほんの少しでいいんだ」
久保の『願い』が口にされると、白沢は聞き届け難いと言わんばかりにそっぽを向いた。――時に、人の願いは無条件に神へ祈りとして届く。それが、神獣 白澤という正体を認知している人間であるならば、その制約は確実なものだろう。
白沢は口をもごつかせて、せめてもの言い訳を口にした。心なしか、視線が泳いでいる。
「俺の専門外……そ、そもそも! 俺はこの国の神やないし」
「いや、そもそも神様なんて、とうの昔にいないって見藤さん言ってたぞ。それなら、そんな垣根なんて関係ないはずだ。大体、そっちでも月下老人っていう縁結びの神様の伝承があるだろ?」
「ぐ、ぬぬぬ……。あの、おっさん余計な知識ばっかり!!」
白沢の主張はすぐさま論破されてしまった。久保の言葉にぐうの音も出ず、白沢は困り果てている。そうして、観念したのか盛大に溜め息をついた後、そっと口を開いた。
「神に頼むとなると、高くつくで?」
「縁結びは神の御遊び、だろ?」
白沢の言葉を聞いた途端、久保の口角が上がった。
彼らのやり取りを眺めていた煙谷は、噴飯ものと言わんばかりに煙を吐き出した。
「助手クン、言うなぁ」
「あぁ、もう! 兄さんは黙っとけ!! こん、こんな小僧にしてやられたら、神獣の威厳もクソもないわ!!」
悔しそうに顔を歪める白沢と、それを笑う煙谷。
どうやら完膚なきまでに神獣の威厳は地に堕ち、久保に軍配が上がったようだ。項垂れる白沢。そんな彼だったが、ふと思い至ることがあったのか。溜め息をつきながら、久保を見やった。
「はぁ……。大体なぁ、人と怪異が結ばれると言うことは、人に何が起こるか知ってるか?」
「……?」
「まぁ、察しがいい久保なら――、いんや、止めとく。ほな、任しとき」
怪訝な顔をした久保を目にした白沢は、言いかけた言葉の先を紡ぐことはなかった。だが、その代わりに久保の「願い」に対する返答をしたのだった。
――久保にとって、これほどまでに頼もしい言葉はなかっただろう。
「任せる」
久保は力強く、頷いた。




