47話目 縁切り④
見藤と霧子の断ち切られた縁、その真相を知った東雲。早足で食堂を出ようとした矢先、偶然にも彼女は久保と鉢合わせになった。
東雲の様子がおかしいことに気付いた久保は遠慮がちに事情を尋ねたのだった――。そして、東雲の口から告げられる見藤と霧子の別れの真相。久保は表情を曇らせることしか出来なかった。
「は、よう……見藤さんに、伝えんとっ――」
「分かってる。でも今は東雲……、少し落ち着いた方がいい」
「でもっ!」
東雲が言いかけた言葉を久保は遮った。
通路に並び立つ二人の周囲は喧騒に包まれている。そんな雑音は東雲の心にも焦りを生む。それを感じ取った久保は、錯乱状態に近い東雲の目をじっと見据えて、落ち着いた声で話し掛ける。
「聞いて。確かにきっかけを作ったのは東雲かもしれない」
「う、ん……」
「でも、だからと言って現状を打開する方法もない。それは仕方のないことだと思う。だからこそ、落ち着いて情報を整理して欲しい。どこの神社の、なんて言う神さまに縁切り祈願を行ったのか。――それに、僕らにできることは他にある」
「……分か、った」
久保のゆっくりと、はっきりとした口調は東雲を少し落ち着かせたのだろう。しっかりと互いを見据えた瞳に映るのは、決意を抱く顔だった。
その日の夕刻。久保と東雲は見藤の事務所に赴いていた。事務所の扉を開くことが、これ程までに重く感じられたことは今までなかっただろう。
久保が扉を開けると、視界に入るのは事務机に向かう見藤の姿。――やはりと言うべきか、彼は寝る間も惜しんで姿を消した霧子の行方を追っていたようだ。彼の身なりは今まで以上に荒れていた。
そして、不思議なことに見藤は二人の姿を視るや否や、慌てて色付きの眼鏡を掛けたのだった。二人はそのことに疑問を抱くも、今はそれどころではないと気には留めなかった。
「どうしたんだ。二人とも、……」
見藤から掛けられた声は酷く掠れていた。
東雲は見藤の様子を目にした途端、鼻の奥がつんと痛んだ。再び視界がぼやけそうになったが唇をきつく結び、前を行く久保の背を見て自分を律する。
――東雲は、これから見藤に告げる事実と向き合わなければならない。
見藤は立ち上がり、二人を応接スペースに座るよう促した。そして、自らもソファーに移動する。
「座ってくれ」
「オイ、見藤。いいのか?」
「あぁ……」
どこからともなく、見藤の足元から猫宮が現れた。猫宮は見藤を見上げ、彼を心配している様子だった。猫宮もまた見藤の後に続き、ソファーの上へ軽快に飛び乗る。
見藤と猫宮がソファーに座ったのを皮切りに、久保と東雲も向かいに座った。
そうして、東雲の口から語られる真相。
見藤と霧子の縁が切られたのは、人の願いによるものである。そして、その願いは東雲の恋路を応援したものだった。そうさせてしまったのは、自身であることを東雲は見藤に告げた。
東雲が事務所に出入りするようになり、日が浅い時期。東雲は友人にほんの少しだけ見藤への恋心を吐露してしまった。もっとも、それは東雲の意図しない方向に解釈されたようだ。
その友人は縁切り神社へ祈願に詣でた。その神社というのは御霊信仰によって祀り上げられた神がいる。――その神に祈願した縁切りは、必ず成就する。切りたい相手の不幸をもってして。
これは事務所に到着するまでの僅かな時間の中で、久保と東雲が調べた事実だ。
その神社、御霊信仰により祀られた神、不幸を以って断ち切られる縁。どこかで聞いたような情報だ。見藤の中で既にその答えは導き出されていることだろう。――そう、それは煙谷から情報提供があった神社だ。
見藤は表情ひとつ、変えなかった。ただ、何かに耐えるように手を握っていた。
東雲が真相を話し終える――、彼女の唇は震えていた。どのような叱りであっても受け入れるつもりなのだろう。しかし、見藤から発せられた言葉は無慈悲で残酷とも捉えられるものだった。
「東雲さんは、悪くない」
「でもっ、……!!」
「時に人の願いは……、誰かを不幸にすることもある。それを覚えておいてくれ」
東雲の言葉を遮り、彼女を責めはしないという見藤。
しかし、東雲からすれば見藤に責められた方がよほど良かっただろう。見藤と霧子が離ればなれになる、きっかけを作ってしまった罪悪感。そして、友人と言えども赤の他人に自分の感情を吐露してしまった後悔。色々なものに彼女は今、押しつぶされそうになっている。
東雲の口から発せられたのは、絞り出すような声だった。
「っ、う……ごめんな ――」
「謝らないでくれ。今、その言葉は自分を楽にするための言葉だろう」
東雲の言葉を見藤が遮った。
見藤から発せられたのは、確かな拒絶の言葉だった。しかし、その声はあの時のような冷ややかなものではなく、諭すような声音だった。そして、見藤は言葉を続ける。
「……俺は、何も言わない。縁切り自体は、君の友人がしでかした事だ。悪意ない善意ほど、たちの悪いものはないからな……」
「は、い」
「その子はもう既に代償を払っていることだろう。相応な代償がなければ、ああも確実に俺と……彼女の縁を切ることはできない」
「……それは――」
「その子は代償として、東雲さん――君との縁を自ら断ち切ったんだ」
「……」
見藤の言葉に東雲は俯いた。西方から東雲に告げられた、見藤と霧子の縁切りの真相。それを耳にした時、東雲の心は友人であるはずの西方を拒絶したのだ。今後の友人関係は火を見るよりも明らかだった。
「そう、ですね」
しばしの沈黙の後に、東雲は見藤の言葉に頷いたのだった。見藤は言葉を続ける。
「代償と言っても、君の友人は祈った神さまに命までは取られないだろう」
「見藤さん、そんな言い方っ……!!」
「いや、言わせてもらう。君の友人は、そう言ったモノに手を出したんだ」
無遠慮な物言いをした見藤に対して久保が諫めようとしたが、見藤は構わず続ける。
見藤の言葉を聞き、思わず感情的になった久保を東雲は手で制する。そして、心配ないと言わんばかりに首を横に振ったのだ。
「ええんよ、久保」
「東雲……」
「私の考えが足りませんでした」
はっきりとした口調で東雲はそう言った。彼女の腿の上に置かれていた手には無意識の内に力が籠り、白くなっていた。
後悔に苛まれている東雲の様子を見ていた見藤は、自らの怒りを鎮めるように一呼吸おき、少しだけ下がった色付き眼鏡を元に戻しながら口を開く。
「いや、君のせいじゃない。これは俺の本心だ。俺も……、中途半端な優しさで、君を突き放すことはしなかった。それに、流行り廃りは侮れない。今回ばかりは―― 運が悪かった、それだけだ。……大丈夫、彼女は東雲さんを気に入っているから。彼女が戻ったら、また……女子会とやらに誘ってやって欲しい。きっと、喜ぶ」
「はい!」
東雲は眉を下げながら、精一杯の返事をする。彼女は零れ落ちそうになる涙を必死に堪えて、唇を噛んだ。
見藤から掛けられた言葉は、どこまでも霧子を想っていた。そして、東雲がこれ以上罪悪感に苛まれないよう彼女を気遣うものだった。
そうして、詮議を終えた一同。見藤は隣で丸くなっていた猫宮に声を掛ける。
「猫宮、二人を送ってやってくれ」
「はァ……、分かったよ」
見藤から声を掛けられた猫宮は、どこか違った思惑で溜め息をついた様子だった。
それを目にした久保は少しだけ、猫宮の考えることが分かったような気がした。見藤を独りにしておけば、恐らく彼は休息を取ることもままならないのだろう。
久保は断りを入れようと視線を上げたが、目が合った見藤からその申し出は受け入れられないと、首を横に振られてしまった。後ろ髪を引かれる思いだが、久保と東雲は猫宮と共に事務所を後にした。
そうして、一人残された見藤は――。
「久保くんと東雲さんでよかった……」
見藤は小さく呟くと、疲労を誤魔化すようにソファーにもたれかかり、天を仰いだ。そうして、色付き眼鏡を外す。依然として、彼の瞳は深紫色に輝いていた。
脱力した手から、ソファーの上に色付き眼鏡が滑り落ちる。
深紫色の眼をその身に宿した見藤が視えるのは怪異や霊魂だけでなく、人の本性も然り。その眼で久保と東雲を視てしまうことを恐れていたが――、彼が視た二人は、なにも変わらなかった。
強いて言うなれば、見藤と霧子を思いやり、慕う気持ちを口にしなかったという点か。現状を打開する為に感情は不要だと割り切り、事が起きた経緯と事実を淡々と述べる。それは久保が持つ思慮深さが東雲をそうさせたのだろう。その実、そちらの方が見藤にとっては有り難かった。
「にしても、願った本人以外の縁を断ち切るなんて芸当……。まぁ、いい……それは、後だ」
徐々に小さくなる見藤の声は静かに消えて行く。そして、ぽつりと――。
「もう、俺から何も奪うな……」
――それは誰に向けられた言葉だったのだろう。
人の手によって奪われた彼の尊厳、そして大切だった親のような妖怪。さらに彼にとって唯一の存在である霧子まで、その手を離れようとしている。
見藤は両目を手で覆った。視界を遮るのは暗闇。霧子と共にただ何気ない日々を過ごすことも許されないのかと暗闇の中で自問する。
「……腹は決まった」
低く掠れた声が己の耳にやけに大きく聞こえた。




