45話目 願いは霞に消いる②
そうして軽食を終えた後。見藤と霧子が訪れたのは、都内の一等地に店を構えるオーダースーツ専門店だ。そこで見藤はセミオーダーでスーツを一着、仕立てている。
見藤は店内カウンターに佇んでいた店員に声を掛け、スーツの受け取りに訪れたことを伝える。すると、店員は柔和な笑みを浮かべ「少々、お待ちください」と告げてその場を後にする。
見藤は後ろで待つ霧子を振り返り、少しばかり時間を要する了承を得た。
「楽しみね」
「……、どうして霧子さんの方が楽しみにしているんだ」
「だって、着飾る事も楽しみの一つでしょ?」
「いや、俺は別に――」
そんな会話をしていると、丁度そこへ店員が戻って来た。店員は真新しく綺麗に包装されたスーツをカウンター上に置き、見藤へ声を掛ける。
「こちらになります、ご確認下さい」
見藤は霧子に少しだけ待つよう断りを入れ、カウンターに置かれたスーツを見る。店員は少しだけ包装を解き、袖口の仕上がりを見せてくれた。
そのスーツは来栖が見立てた通り、ブルーグレーの生地がこれからの季節に映えるだろう。そして、袖口の本水牛のボタンは光沢が高級感を醸し出している。それを目にした見藤はふっと目元を下げる。
「はい、確かに。ありがとうございました」
礼を伝え、見藤がスーツを受け取る。そして、霧子と共に店を出ようと背を向けたが、店員によって呼び止められる。
「お客様」
「はい?」
「こちら、来栖からになります」
「……」
店員がそう言ってカウンターを滑らせた手元には、白い封筒。その形状は細長く、手紙の類ではない。
店員は「来栖から」そう言った。来栖はてっきり、客としてこの店を利用していたのだとばかり思っていたが、店員の口ぶりから察するに客ではなかったようだ。
見藤は店員の手元を見ると、顔を顰めた。来栖にしてやられたと同時に、この白い封筒は恐らく先の相談事に関する礼だろうか。それも見藤に直接手渡さず人を介すなど、これでは断ることもできない。断れば、困るのはこの店員だ。
見藤は無駄だと分かっていながらも、せめてもの抵抗に口を開いた。
「……受け取る訳には」
「いえ、必ずお渡しするよう言いつかっております。ご安心ください、貴方が想像するような物ではないはずです」
「……」
間髪入れずに言葉を遮られ、見藤は口を噤むしかなかった。
――そう、来栖から受けた先の相談事。あれは依頼というには少し違った。
コトリバコの認知を得た、呪物の箱。あれは偶発的に来栖が遭遇した代物に過ぎず、寧ろ例の箱がまき散らす呪いを彼は自宅に保管することで食い止めていたのだ。よって、今回は依頼料を請求するつもりなど更々なかった。
見藤は念のため、中身を確認したいと申し出る。
「確認してみても?」
「はい、どうぞ」
店員は柔和な笑みを崩さず、了承した。そして、見藤は封筒を受け取り、その封を開けるや否や呆れたように溜め息をついた。
霧子はその肩越しに、中身を目にしたようだ。彼女は不思議そうに首を傾げている。
「来栖の奴……、どういうつもりだ」
「チケット?」
「それも二枚だ」
見藤の手にはチケットが二枚。
(はぁ……、余計な気遣いだ)
思わず眉間を押さえ、心の内に呟く。あの来栖のことだ、見藤と霧子の仲を察したのだろう。チケットが二枚、それだけで来栖の意図は読み取れるというものだ。
鑑みるに、来栖は見藤に負わせてしまった呪物の件を気に掛けていたのだろう。彼はその申し訳なさと、せめてもの感謝を伝えようとしたのかもしれない。
見藤は二枚のチケットをそっと封筒に戻し、スーツと共に受け取った。
「受け取ります」
そう言った見藤は少しだけ困ったように眉を下げたが、表情は穏やかなものだった。そんな見藤の表情を目にした霧子は、不器用さを見せる彼を愛しく思う眼差しで見つめている。
店員は満足そうに頷いた。
「はい、来栖も喜ぶでしょう」
「ありがとうございました」
そうして、見藤と霧子は店を後にした。
◇
事務所へ帰り着いた二人はソファーに腰かけ、今日の出来事を話題にしていた。
「はぁ……、とんだ食わせ者だ。あいつは」
「ふふ、そうね。人の皮を被った狐かもしれないわね」
「それは妙に説得力があるな」
――人の皮を被った狐。そんな形容をした霧子に見藤は苦い顔をする。
そして来栖からの贈り物を手に取り、中身を取り出す。二枚のチケットには優雅に泳ぐ海獣が描かれていた。そのチケットは水族館の入場券だったようだ。
「水族館……」
ぽつりと呟いた見藤。その表情は少しだけ、少年のように目を輝かせていた。
見藤は山育ちということもあり、あまり海を見る機会に巡り合わなかった。それに村を出てからはキヨの元、京都で過ごしていたこともある。
それから月日が流れ、独立しても多忙な生活を送っていたし、あまり娯楽というものを必要としていなかった。これまで水族館を訪れたことはない。
そして、霧子も同じだろう。彼女の表情はこれでもかと言う程に輝いている。
「私、行ってみたいわ……!」
「それは俺も……」
「ふふ、子どもみたいな顔してるわよ?」
「……からかわんでくれ」
霧子の指摘に見藤は気恥ずかしいのか、少しだけ顔を手の甲で覆う。そんな彼の耳はほんのり、赤く染まっていた。
「ねぇ、もし海の生き物になれるなら、何がいいかしら?」
「どうしたんだ、突然――」
「なんとなくよ」
子どものような霧子の問いに見藤は困ったように眉を下げ、考える素振りを見せる。しかし、いくら考えても何になりたいか、という問いに答えはでなかった。
見藤は短く息を吐くと、申し訳なさそうに口を開く。
「俺は人だ。……嫌でも、な。すまない、霧子さん。俺は想像力が足りないらしい」
「そう」
霧子はそんな彼の言葉をどう受け取ったのか、口を噤んでしまった。突然に、そんな問いを投げかけた霧子に見藤は首を傾げる。
ふと、霧子の目が不安そうに伏せられる。彼女の不安を感じ取った見藤は手をそっと握った。
「本当にどうしたんだ、突然」
「なんでもないわ」
霧子はそう言って、見藤に握られた手を一瞬だけ解き、指を絡めた。
(本当は人になりたい、なんて……あの子の受け売りもいいとこね)
霧子の心の呟きは、胸に小さなしこりを残す。そのしこりを誤魔化すため、見藤にあのような問いを投げかけたのだ。
それは霧子が出会った、ほんの数日しか生きられなかった怪異、件。彼の最後の願いは、人に生まれ変わることだった。だが、それは決して叶わぬ願いだ。
――その願いと、同じ願いを霧子は抱こうとしている。
何になりたいか、という問いはそんな自身の願いを紛らわすために出た言葉。
(そうすれば、同じになれるのに)
その言葉は彼女の胸のしこりを大きくした。霧子は見藤を見つめる。
――霧子の中に蘇るのは、少年であった頃の見藤。
幼かった顔つきはいつの間にか、精悍な顔立ちになり。その目元には薄い皺が刻まれている。仕草も、言葉遣いも、少年の頃のような粗暴さを感じさせない。――と言っても、時折その取り繕ったものが剝がれ落ちるのは最早、彼が持つ愛嬌のようにも思えて来るのは不思議なものだ。
人を嫌い、恨みまではしないが極力関わりを持たないように、逃げてきた。そんな見藤が稀有に出会った人々。彼らとの関わりが、見藤を人間たらしめている。
「霧子さん……?」
黙ってしまった霧子を不思議に思った見藤はそっと彼女を呼ぶ。すると、霧子はなんでもないと首を横に振った。
(こんな、願いは抱かない方が身のためね)
霧子は抱いた願いを、瞬く間に消してしまった。
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