44話目 縁切り祈願代行③
駅前の階段に座り込む檜山に声を掛けたのは煙谷だった。彼は口で咥えた煙草を遊ばせ、その手は黒いコートに隠されている。
「僕に迎えに来させようなんて……。ほんと面白いよね、君は」
「……でも、ここまで来てくれたじゃないですか」
「それは、ただの気まぐれ。丁度、仕事が終わったからね」
煙谷の嫌味ったらしい言葉に、檜山はほんの少しの感謝を滲ませる。――いつも通りの煙谷だ。その事実は檜山を安心させたのだろう。
煙谷は檜山を見るや否や、少しだけ眉を顰めた。そして何も言わず、彼女の隣に腰を降ろす。
それを合図に、檜山は時折声を詰まらせながら、目にした出来事を煙谷に細かく説明した。少しばかり時間を要したが、彼は珍しく黙って聞いていた。
檜山がようやくことの全てを話し終えた後、煙谷は彼女を横目に辟易とした顔を見せたのだった。
「成程、納得だ」
「どういう意味、ですか」
「――こっちの話だよ」
そう呟いた煙谷の視線は檜山ではく、彼女の肩と背後をただ黙って視ている。
獄卒である煙谷の目に視えるモノ。それは死の直後であろう姿をした二体の霊の姿だ。檜山の話を聞くに、どうやらその霊は投身自殺をはかった上司と、それに巻き込まれた被害者である後輩の霊だろう。
煙谷はその二体の霊の魂を見るや否や――。
(因果応報だ、どちらも)
心の内でそう呟いた。そうして彼は、長い息を吐いて煙草の煙を吐き出す。その煙は風の流れに逆らい、檜山に纏わりつく。
そんな不思議な現象が目の前で起こっているというのに、憔悴した檜山は気付かない。その煙はまるで彼女を守るように、その二体の霊を捕縛していく。
しかし、その霊達は逃げるどころか、檜山から引き剥されることを拒否するかのように彼女の体に纏わりついたのだ。だが煙谷からすれば、その行為は抵抗にもならない程度のものだった。
死して尚、肉欲に忠実な霊を目にした煙谷は辟易とした表情を浮べ、仕置きと言わんばかりに煙での拘束を強めたのであった。
――これで後は、二体の霊を文字通り。地獄送りにするだけである。
予期せぬ一仕事に煙谷は大きく溜め息をつく。だがその甲斐あって、檜山を見れば先ほどと比べると顔色が戻っているようにも見える。
流石に、今回の事件は檜山も堪えたのだろう。こうして除霊を終えなければ、悪い気に吸い寄せられ、霊障をその身に受けていたかもしれない。そうなれば面倒なことこの上ない、と煙谷は肩を竦ませた。
そこで初めて煙谷は視線を周りに向け、辺りは既に日が落ちかけていることを知る。街灯が点灯している場所もある。煙谷はすっくと立ちあがり、檜山に声を掛けた。
「事情は理解した。今日はもう帰りなよ」
「え、で ――」
「いいから。隙を作ってしまうと、例え君のように気が強くて鈍感な人間でも、つけこまれるからさ」
「はぁ!?誰が、鈍感ですかっ!!??」
「ささ。帰った、帰った」
煙谷はそう言うと、檜山を帰してしまった。――彼女を見送った煙谷は、思考の渦にその身を投じることになる。
(はぁ、御霊信仰によって祀り上げられた神による縁切り―――。そして、縁切り代行。どうにも、きな臭い)
ちらり、と地べたに転がしている捕縛した霊を見やる。
自死を選んだ人は地縛霊と成り果てることが多いのだが、この上司の霊は檜山に対して異様な執着を見せていたようだ。こうして、彼女にとり憑いていた。そして、被害者であるはずの後輩の霊も然り。
「面倒な」
煙谷は思わず、いつもの飄々とした雰囲気からは想像がつかないほどの低く怒りに燃えた声音で呟いた。それは、地獄の番人というに相応しいものだった。
人と人の縁を弄り回すことなど、獄卒からすれば迷惑千万。それも、死を以ってして縁を断ち切るなどという蛮行。それも御霊信仰という、人の魂を祀り上げた神が噛んでいる、となれば――。
「一度、大王に上申が必要か――」
そう呟いた煙谷は夕闇の中、人知れず煙となって姿を消した。




