44話目 縁切り祈願代行②
※この回は非常にダークな内容となっておりますので、苦手な方はご注意下さい…!
所変わって、そこはオフィスビルが乱立する街並み。都会の喧騒というに相応しい雑踏した人の流れは留まることを知らない。
そんな人の流れをビルの中層、窓から眺めるのは煙谷のビジネスパートナー、檜山であった。社内に設けられた雑談スペース、休憩がてらそこに足を運び時間を潰していたのだ。
檜山は窓際の席に座り、いつものように人間観察を行っていた。机上にはメモ帳とペン、ボイスレコーダーに飲みかけのコーヒー。彼女はコーヒーを一口飲むと、そのぬるい温度に溜め息をつく。先ほどまで湯気を立ち上らせていたはずのコーヒーは知らぬ間にぬるくなってしまったようだ。
(あんのクソ上司め……。政界部記者から外したくせに、週刊誌で私の記事が売れ始めると今度は嫌がらせ、ね)
心の内で悪態をつく檜山の表情は暗い。
そもそも彼女は腐敗した政界を暴こうと志を持ち記者と言う仕事に就いた。しかし、そこで待ち受けていたのは理想とかけ離れた現実。若さ故の情熱も自尊心もかなぐり捨ててしまった、今現在。
だが、祓い屋である煙谷と運よく出会ったことで、檜山には拾い上げた自尊心があり、人ならざる存在への畏怖の念を形にした記事を書き上げることがいつしか彼女の心を満たしていたのだ。―― 今の檜山はそれすらも、奪われようとしている。
(やるなら徹底的に、よ……!)
怒りをその目にたたえながら檜山はボイスレコーダーを力強く握り締めた。
すると、背後から掛けられた陽気な声。檜山は、はっとして顔をそちらに向けた。振り返ると、こちらに手を控えめに振りながら向かって来る、あの人懐っこい後輩の姿があった。
「あ!檜山さん!こんな所にいた」
「あぁ、佐々木君か。何、私を探してたの?」
檜山に声を掛けたのは、彼女の後輩である佐々木であった。彼は一声掛けることもなく、檜山の隣の席を陣取る。
その図々しさに、檜山は少し眉を寄せたものの。それをこの人懐っこい後輩に言ったところで無益だと諦めたように小さく溜め息をついた。
「いやぁ、聞いて下さい。僕も使ってみたんですよ。縁切り祈願代行サービスっていうやつ。なにか記事のネタになりませんか?」
「何、それ。いや、縁切り祈願は知ってるけど」
「そのままの意味ですよ。神社へ直接、縁切り祈願に参拝できない人に向けたサービスで ――」
「あぁ、私そういうのパスだから」
佐々木の言葉を遮り、そう答えた檜山には彼女なりの信条があるのだ。
檜山の返答に彼は少し残念そうにしながらも、その縁切り祈願を代行した業者が参拝した神社がどこか、そこに祀られている神は御霊信仰の神だとか、聞いてもいない情報を喋り始めたのだ。
―― その手の情報は自分の足で稼ぐ。
そんな檜山の信条を知らぬ佐々木は彼女が話半分にしか、彼の話を聞いていないことに気付かない。
すると檜山は気分よく話している佐々木が手に持っているスマートフォンに、ふと視線がいった。そのスマートフォンには、何やら形容しがたい奇抜なデザインが施されたステッカーが貼られていたのだ。
「なに、その奇妙なステッカー」
「え?これ、おもしろいでしょう?オカルトマニア達で作ったんですよ、オリジナルグッズ」
「へ、へぇ」
佐々木からの思わぬ返答に、檜山は言葉に詰まった。妙なコミュニティが存在するものだと、率直な感想など口が裂けても言えないだろう。
すると、佐々木は自身の話したいことだけを終えて席を立った。
「それじゃあ、僕は外回りに行きますね」
佐々木はそう言って檜山と別れたのであった。
檜山は佐々木の背を見送る。そこには、なんら変哲もない日常があった。しかし、檜山は気付かない。
佐々木の肩に手が届いた「影」の数々。その「影」は何を以ってして彼に纏わりついているのか。檜山は視えていなければ、知りもしない。―― 佐々木が人を呪った代償に追われていることを。
「さてと、私も外回りへ行きますか」
そう言って檜山は立ち上がり、コーヒーを飲み切った紙コップをゴミ箱に捨てた。
◇
檜山はエレベーターに乗り込む。ビルの中層階と油断したが、なんせ人口が多い都会ともなるとエレベーターに乗り込む人の数が多い。たった中層階から地上に降りるだけだと言うのに、数分間は身動きが取れない。
そして、そのエレベーターは所々で外の景色が見えるような構造になっているのだが ――。不意に、大きな影が落下した。
「え……?」
「なに、今の ――」
エレベーター内は困惑した人々の反応で溢れる。檜山は一体、何がどうなっているのか分からなかった。
―― 刹那、ビルの下層から響き渡る悲鳴、何かが潰れたような音。
終始何が起きたのか理解できず、エレベーターはそのまま下層に到着する。すると、エントランスにまで響いて来る、声。
「人が巻き込まれた……!!」
「は、早く救急車!!誰か!」
―― 周囲は騒然、悲鳴、ありとあらゆる混乱を招く。
檜山はその光景を目にし、恐怖した。一気に血の気が引き、手足が冷える。頭では目の前の状況を理解しているが、理性がそれを拒絶する。その拒絶反応は体に異変を引き起こす。
少し離れた場所に湧いた人の群れから覗く、赤黒いモノ。そして、視線を動かせば投げ出された鞄とスマートフォンが歩道に転がっていた。そのスマートフォンには奇妙なステッカーが貼られている。
(あ、れは……佐々、木君が持っていた ――?)
その瞬間、檜山の脳裏に浮かぶ一つの事実。見覚えのある奇妙なステッカーが貼られたスマートフォン、そしてつい先ほど挨拶を交わして別れたはずの人懐っこい後輩。―― 投身自殺に巻き込まれた被害者は、佐々木である。
檜山は震える足をなんとか動かし、その場から逃げるようにきびすを返した。
◇
先程からすれ違う人が多い事実に、檜山は嘔気をもよおしていた。その人達はこのビル前で起きた事故を聞きつけたのか、自ら野次馬になろうとして彼女と逆方向に向かって行く。
檜山は重々しい体をなんとか引きずり、デスクに戻った。机に肘をついて顔を両手で覆い、呼吸を整えようとする。しかし、どうしても上手くいかない。
檜山の耳には自分の荒々しい呼吸が届く。どう考えても、平静さを取り戻すには難しい。すると、そんな彼女に追い打ちをかけるように救急車と消防車のサイレンがけたたましい音を立ててこのビルに近づいてくるのが分かった。
それは目の逸らしようがない事実を檜山に突き付ける。―― 目の前が真っ黒になった。
―― それから、どのくらい経ったのか。
例のビル前で起きた事故の喧騒は一時的に収束したのか、檜山の知らぬ間にオフィスには人が戻っていた。しかし、それにしてはどこか違和感があった。檜山は周囲を見渡すと、小声で話をする人が多いことに気付く。
「あぁ、あの人……。セクハラやパワハラが上層部にバレて、降格されそうとかなんとか」
「その被害者数人から訴えられて、裁判沙汰になっていたらしいわよ」
「そう、だから ―― 投身自殺なんて」
「それも会社が入る高層ビルから、って……せめてもの当てつけかしらね」
耳を澄ませば、そんな会話が檜山の耳に聞こえてくる。噂好きな人間の情報収集能力とは時に侮れないものだということを彼女は知っているのだ。その会話の内容、そして投身自殺した人物について。
檜山は記者として真実に辿り着く運だけは持ち合わせている。奇しくも、その運は彼女を苦しめる羽目になったのだ。
―― 投身自殺をはかったのは、例のいけ好かない上司。そして、その巻き添えとなった被害者は佐々木である。
その事実を受け止めるには、あまりにも重すぎる。だが、檜山はどこまでも記者だった。―― この事故は偶然であるのか、否。あまりにも必然的だ。
佐々木が言っていた「縁切り祈願」。もしかすると、その縁切りというのは相手の死を以ってして縁を切るのではないか。彼は話していた、「縁切り祈願代行サービスを使ってみた」と。
檜山の中で繋がっていく非科学的な真実。それは心霊現象という非日常を追っていた彼女であるから辿り着いたものだろう。そして、その非科学的な現象は確かに存在するものとして檜山に示した人物を思い浮かべる。
「ひっ、う、……あぁ、もう……!」
恐怖と戸惑い。様々な感情が入り混じり、目には涙が浮かんだ。檜山は涙を拭おうと、大きな眼鏡を少しだけずらしながら、悪態をついた。人目のつかない場所までなんとか移動し、震える手で電話を掛ける。
―― 今日、目の前で起こったこと。縁切り祈願、その意味。それらの因果関係を知っているであろう、人物。
「あ、あの……、煙谷さん……!」
『何、どったの?』
「今、少し……、お話いいですかっ……!?」
『とりあえず、うちの事務所まで来なよ。その感じじゃ、よくない』
「わ、分かりました……!!すぐに……!行きます、から!」
檜山の声は震え、酷く上ずっており上手く状況を伝えられないと煙谷は判断したのか、直接会って話を聞くと言った。そして彼の意味深な言葉など、気が動転した檜山には聞こえていなかった。
檜山倫子はこの話のために生まれた登場人物ですので、悪しからず…。




