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【完結】禁色たちの怪異奇譚~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異のお悩み、解決します~   作者: 出口もぐら
第五章 楽欲編

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44話目 縁切り祈願代行


 煙谷から持ち込まれた依頼を終えた見藤は、霧子の帰りを待っていた。

 彼女は昨晩から事務所に帰っておらず、気を利かせた東雲の連絡によってその所在を知ったのだ。どうやら霧子は、東雲の下宿先で一晩を過ごしたようである。


 見藤の事務所に設けられた神棚への御霊みたま分けによって、霧子は事務所に住み着いているものの。こうしてやしろ以外で夜を明かすことは初めてだったのだ。それでは、見藤が霧子の身を案じるのは当然だ。


 そして、「女子会」と東雲は言っていた。となれば、見藤が彼女達の交友関係に口を挟むことなどもっての外。それを重々理解しているつもりでも、見藤は己の器量の狭さを自覚してしまった。


 見藤が壁に掛けている時計を見やると、時刻は既に昼を回っていた。彼は誰もいない事務所を見渡す。


 猫宮はというと、煙谷に一泡ふかせようとした例の計略。鬼灯の匣に呼ばれ、早々に事務所から姿を消してしまったのだ。

 久しぶりに静まり返った事務所にただ一人。見藤は時間を持て余す。事務机に向かう椅子に座り、窓際に置かれた竜胆の植木鉢を眺めていた。


 すると、不意に襲われる痛み。血管が脈打ち、頭を突き刺すような痛み。

―― あの頭痛だ。

 最近こうして、前触れなく見藤を頭痛が襲うのだ。時期外れの繁忙期を終えた疲労からくる頭痛かと思い、特に気にしてはいなかった。だが、休養をしっかりとっても、閑散期に入ってしばらく経っても、この頭痛は治らなかった。それどころか、年明けからその自覚症状は顕著になったように思う。


 見藤はその痛みに堪らず、薬箱を出すために立ち上がろうとした。

 その時 ――。突然、事務所の扉が開かれ、待ち望んだ声が見藤の耳に入る。


「戻ったわよ」


 その声にはっとして、見藤は扉へ視線をやる。そこには待ち望んだひとが佇んでいた。


「お帰り、霧子さん」

「む」


 霧子の姿を目にした見藤は安堵と嬉しさを合わせたように、その目尻を下げる。しかし、霧子は事務所に入るや否や、顔をしかめたのだ。


「煙、臭いわ。あんた……っ、これは立派な浮気だって何度言ったら分かるのよ!?」

「だから、一体どうしてそうなるんだ……!!それに煙谷だぞ!?やめてくれ!」


 見藤と霧子の間で何度繰り返されて来たのだろうという、このやり取り。どうやら、依頼人であると言っていた煙谷の主張は霧子には通用しなかったらしい。


 霧子の怒り具合からして、煙々羅である煙谷の痕跡がこの事務所に色濃く残っているのだろう。そして、言わずもがな見藤の身にも、その痕跡はまとわりついているようだ。

―― 霧子は見藤に、霊や怪異の痕跡をつくことを極端に嫌う。

 それは見藤を見初めた霧子なりの執着と独占欲。そんな彼女の想いを理解している見藤に、これ以上の反論はできない。


「あー、もう……お好きにどうぞ」


 見藤は力なくそう答えるしかなかった。そうして、四肢を投げ出すように脱力。視線は天を仰いだ。


 そんな行動を目にした霧子は扉から見藤の元へと歩み寄り、彼の目の前に佇む。そして、椅子の背もたれに手をつくと、その長身を活かして見藤を覆うように閉じ込めてしまった。―― ぎっ……、と椅子が軋む音が響く。


「いっ……、た!?」


 突然、肩に走る痛みに見藤は思わず声を上げる。視線を向けると、肩に歯を立てているであろう霧子が見えた。


(これは……怪異の、本能というやつなのか)


 痛みに耐えながら、見藤は猫宮の言葉と先の行動を思い出す。

 猫宮は火車であり猫又でもある妖怪だが、猫としての本能を強く残しているようだった。そして、霧子も怪異としての本能を持ち合わせていると考えるのは当然だろう。


 見藤が少年の頃に聞いた ―― 彼女は人を喰らい過ぎた、という話だ。あの時は聞き流してしまったが、霧子の執着心や独占欲を鑑みれば、あながち無視できない話だったのではないか。―― と、今になって考える見藤は、自身が置かれた危機的状況に対してどこまでも他人事だった。


(あ、まずい……、かもな。……喰われる)


―― だが、それで生を終えるのも悪くないと思ってしまうほどに、見藤は霧子を盲愛している。

 肉をもうとする痛みに、見藤は目を固く閉じ、奥歯を食いしばる。


 すると、ふとその痛みが消え、熱い余韻が残った。見藤はそっと目を開け、肩にその顔をうずめていた霧子に視線を向ける。

 怪異としての姿を色濃くした彼女の瞳は、例にもよって蛇のような瞳孔をしている。そして、人の姿をとっているときよりも少しだけ背が高い。すると、か細い声で霧子が呟く。


「……抵抗くらい、しなさいよ」

「……、霧子さん」


 どこか戸惑いを見せた霧子を目にした見藤は不思議に思ったが、離れようとした彼女の名を呼んで腕を引き、抱き寄せた。

 霧子は見藤の足の間に片膝をつくような形で抱き留められ、二人分の重さに椅子が悲鳴を上げる。


 見藤は霧子を腕の中に抱きとめると、鼻を掠める僅かな血の匂いと彼女の澄んだ匂いが混ざり合う、その瞬間に息を少しだけ吸った。ほんの一瞬の出来事だったが、それは見藤に霧子への想いをより一層自覚させる。そして、彼女に抱く劣情も。それは人としての生存本能だろうか。


 だが、どういう訳か、霧子は見藤を喰らおうとしたのだ。それは煙谷による怪異の痕跡か、嫉妬と独占欲が彼女をそうさせたのか。それとも、別の要因があったのか。

 見藤には分からない。―― しかし不思議と、見藤を襲っていたあの頭痛が成りを潜めたことに、ついには気付くことはなかった。


 一方の霧子は、内心えらく動揺していた。

 初めは煙谷の痕跡を消そうとしたはずだった。それは何も見藤に外傷を負わせるのではなく、いつものように口付けなり、ただ触れ合うだけでよかったのだが ――。


(やだ、私ったら……、どうして)


 困惑を気取られないように、霧子は見藤の胸の中に顔をうずめる。

 見藤の、心臓の鼓動が耳に届く。彼の体温とその鼓動が、生を示している。だが、今しがた自分は見藤の命を喰らおうとした。まるで、見藤を守ろうとする霧子の理性とは真逆の本能。彼女の中に生まれるのは自身への戸惑いと疑念。


 しかし、頭上から降ってきた穏やかな声音にそんな疑念は消えてしまったのだった。


「これであいつの痕跡は消えたか?」

「え、えぇ……」

「そうか、良かった」


 霧子の答えに見藤がくすり、と笑ったような気がした。彼の表情は見えないが、きっと目元を下げているに違いない。

 霧子はそう思い至ると、その愛しさから彼の胸元に額をさらに押し付けた。


(……ほんと、馬鹿ね)


 その言葉は霧子自身に向けられたのか、はたまた自身の命が喰われようとしているにも関わらず、霧子への盲愛を貫こうとした見藤へ向けられた言葉だったのか。


 すると、霧子の耳元に触れた体温。彼女の肩が大きく跳ねた。

―― 見藤だ。彼が霧子の耳元に唇を寄せたのだ。解せないのは、耳を少しだけ甘噛みされたことか。


「っ、……!?」

「お返し」


―― そう呟かれた低い声に、顔が突沸したように熱を持つ。

 霧子は勢いよく見藤を突き飛ばした。それも、手加減せずに。椅子はけたたましい音を立てて、見藤を巻き込んで倒れた。あまりの衝撃に見藤は声すら上げる余力もないようで、うずくまり痛みに呻いている。


「あら、やだ……!ごめ、」


 そんな見藤の姿を目にした霧子は慌てて駆け寄る。そして、突き飛ばしてしまったことに謝罪をしようとしたが、見藤が制止したためにその先の言葉は遮られてしまった。

 彼は先ほど霧子に噛まれた肩を床に打ち付けたようだ。肩を抑えて、まだ呻いている。


「……う、っ……。いや、俺も調子にのった……、すまない」


 珍しく狼狽えている霧子を目にした見藤は、そう言って申し訳なさそうに眉を下げたのだった。

 そうして見藤は打ち付けた体の痛みが治まると、ようやく体を起こし、気まずさを誤魔化すように首を乱暴に掻いた。


「あー……、その……。女子会は楽しかったか?」

「えっ!?えぇ、勿論よ」

「そう、それは良かった」


 そう答えた見藤も霧子も、どことなくぎこちない。得も言われぬ雰囲気が二人の間に流れていた。




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