42話目 遺されたモノの願い 前編⑤
東雲と煙谷が鬼灯の匣による絵画の解呪。そして、魂の回収を行っている最中。広間を出た廊下、さらにその先に久保と司祭の姿はあった。
煙谷に連れられて教会内部に潜入したときには既に広間にいた。そのため、こうして教会内の建造をまじまじと見るのもやぶさかでないと、久保は辺りを見渡す。
その造りは教会の外観から見ても想像通りだろう。やはりというか、その内部も異国にいるかのような錯覚を起こすには十分だった。
無言で先を歩く司祭。流石に何か会話をせねば、返って怪しいというものだろう。久保は、数歩先を行く彼にそっと声を掛ける。
「すみません。あの絵画はどういった ――、」
「あぁ、あれは代々この教会に受け継がれてきたものなのですよ。私の代よりも、ずっと昔から」
司祭の言葉を聞いて、久保の中に沸き上がる疑問。新興宗教と言えば、まだ宗教として新しいものだという知識しか久保の中にはない。あとは聞いて思い浮かぶ事と言えば、カルトじみた集団のことなどだろう。
―― だが、司祭は代々受け継がれてきた、昔から、という言葉を選んだのだ。
司祭は歩みをぴたり、と止めた。久保もそれに倣う。すると、司祭は天を仰ぎどこか物思いにふけった顔をしたのだった。
「あの絵は先導者を描いている。そう、言い伝えられておりまして」
――『先導者』。いかにもカルトじみた言葉だと思ったが、久保は決して口にしない。
そして、司祭は言葉の先を続ける。
「これまで藍色、紫色、翡翠 ―― そんな不思議な色を宿した眼を持つ者達によって、宗教、星詠み、国。色々なものが発展した、といわれています。あの絵画はそれを表現しているのだと」
司祭はそう言って、廊下に置かれた植木鉢を見やった。その鉢には小さなオリーブの木が植えられている。
もし、彼が言う文化、文明の発展が先導者によってもたらされたものだと言うのならば。―― あの絵画の下に描かれた赤褐色や赤色で塗りつぶされたものは一体何を表現しているのだろう。
いつの時代も、発展には犠牲がつきものだということを暗示しているのだろうか。そう思い至った久保は背筋に悪寒が走り、思わず身震いをした。
そんな久保の様子を感じ取ったのか、司祭は植木鉢から視線を久保へ向ける。
そして、久保の抱いた恐怖感を少しでも和らげようとしてくれたのだろうか。その美麗な顔に柔らかな笑みをたたえながら、そっと口を開いた。
「ふふふ、まぁ、後生に残された私共にはそれが真か否か、知る術はありませんから。宗教なんて、そんなものですよ」
「そう、ですね」
「ですが、世の中には説明がつかない事実も確かに存在するのです」
「……」
どこか意味を孕んだ物言いをする司祭。久保は自分の中に、思い当たる点があることを思い出す。自分が目にしたこともなかった世界、認知していなかった世界のことだ。―― 怪異、妖怪という人ならざる存在のこと。
更に、司祭は言葉を続ける。
「先導者、そんな人が現れるのか……。誰にも分かりません。あくまでも信仰対象なので実在していない方が都合がよいのですが ――、私は会ってみたいと思います」
司祭という立場の人間が言うには、えらく矛盾していた。それに先ほどから彼の言葉は信心深い ―― というよりも、司祭という立場にもどこか他人事のように物事を捉えている節がある。
久保と彼は歩みを止めたまま、廊下で棒立ちになったまま ――、静かに言葉を交わす。
「貴方は何を以て先導者となるのか、この教えを興した私共をどうお思いになるのか」
そう話す司祭の視線は久保を捉えていない。それは、独り言のようだが確実に誰かに向けられた言葉だった。
そうして、しばしの静寂が二人を包む。すると、司祭はふと我に返ったのか、少しばかり慌てた様子で久保に視線を戻した。
「あぁ、そう言えば……!只今、入信はお断りしているのですよ。熱心な信者がお声がけしたようで……大変申し訳ございません」
「いえ、そうですか」
「すみません、近々……その、この教会を閉めることにしましたので」
司祭からの丁寧な謝罪は、久保にこれほどまでにない罪悪感を抱かせることになったようだ。思わず視線を逸らし、声が裏返りそうになるのを久保は必死に堪えていた。
そして、司祭から聞かれた思わぬ知らせ。久保はその言葉を聞いてはっと、顔を上げた。そんな久保の顔を見た司祭は、ふっと柔らかく笑ったのだった。
「それに ――、君はもう導きを得ているでしょう。私共のように、迷い子ではないはずです。そんな顔をされていますよ」
「……」
司祭の言葉に、久保はじっと目を据えて彼の本心を探る。―― だが、笑みを浮かべた彼の本心など分かるはずもなかった。そして、久保はそっと首に掛けている木札を服の上から握ったのだった。
「それでは、私はこれにて失礼致します。少しばかり用事がありますので」
「えぇ。お話、大変興味深かったです。ありがとうございます」
「いえ、どこかでお会いできれは良いですね」
そう言って別れの挨拶を交わし、司祭は廊下の先へと足を進めた。すると、ふと思い出したことがあったのか、司祭は足を止めて振り返る。
「あぁ、そうでした。名乗っておりませんでしたね。私は芦屋と言います。それでは、またどこかで」
司祭はそう言うと柔らかな笑みを浮かべて軽く会釈をした。そうして、その場から立ち去って行く。なんとも不思議な雰囲気を纏った人物だった。
そんな彼の雰囲気に呑まれて話の途中、ボロがでないか心配していたが、事が済んだと言わんばかりに久保はほっと胸を撫で下ろす。
すると、広間から歩いてきた廊下。背にしていた廊下から、二つの足音が聞こえてきた。恐らく、東雲と煙谷だろう。
背後から掛けられた声はやはり、東雲のものだった。
「久保、そっちは?」
「あ、東雲……。終わった?」
「問題なく」
どこか言葉に棘のある物言いをした東雲を怪訝に思いながらも、久保は彼女の無事を確認する。東雲の後ろから続く煙谷も、久保の視線を受けて肩を竦めていた。
「それじゃ、依頼完了という事で。僕もまだやることが残ってる」
「あ!!待っ ――、」
「じゃあねぇ」
煙谷の言葉の意味と、その先に待ち得る事象に久保は咄嗟に手を伸ばすが ――遅かった。―― また、落ちた。
大きく派手な落下音を響かせながら、煙谷の神隠しから解放された久保と東雲。
「痛いぃ!!もう!なんやの!?」
「……ほんと、最悪」
強烈に打ち付けた臀部を庇いながら二人は立ち上がる。
ふと周りを見回せば、そこは見慣れた見藤の事務所の中だった。しかし、そこの主は不在のようだ。二人は同時に溜め息をついた。
―― 今度から煙谷の短期アルバイトは受けないようにしよう。
そんな共通意識が二人に生まれた瞬間であった。
◇
とうに日が暮れ、夜風が頬を撫でる頃。教会の廊下をゆったりとした足取りで進む司祭の姿があった。
彼のその手には祈りに用いたのか、半分ほどに減った蝋燭を立てた手燭が目先を照らす。どうやら頼りになるのは月明かりと蝋燭の灯りだけのようだ。
「はぁ、老いぼれ共のお陰でこんな時間になってしまった……方針に納得できないのは分かりますが、当主の決定は絶対でしょうに」
―― と、何やらぼやきながら彼は足を進める。
昼間と打って変わって、その悪態のつき方は年相応にも見て取れる。そうして辿り着いたのは、あの絵画が飾られる広間への扉だ。
ゆっくりと扉を開き、司祭は足を踏み入れる。暗がりの中、蝋燭の灯りを頼りに絵画の元まで辿り着く。そうして、彼が目にしたのは ――。
「これは、……そうですか。まるで、導きのようですね」
ぽつり、と溢した言葉は、静まりかえった広間ではやけに大きく聞こえた気がした。
司祭が見上げる絵画は ――、白紙になっていた。
「あの青年……、の仕業には到底思えませんが」
ふと、今日の出来事を思い出し、司祭は首を捻った。
いつもなら、この教会にいるはずのない青年とその連れ。彼らは勧誘を受けて、今日、この場所へ来たのだと言っていた。そして、その勧誘を受けた――という言葉には嘘が感じられなかった。現に、熱心な信者が未だに勧誘を続けていることに頭を悩ましているのだ。
司祭は真っ白になった絵画を凝視した。僅かに視える――、解呪の痕跡。そして、別れ際に青年が握り締めていた物。それは、青年が握ると不思議な気配がしたのだ。
(あれは何かしらの木札でしょうね……)
―― そう、この司祭は久保に名を芦屋と告げた。
となれば、司祭は見藤と同じく呪いを扱う者、ということ。そんな彼が、東雲と煙谷が行っていた鬼灯の匣による解呪の気配に勘づかないのは ――、些か違和感が残るというもの。
司祭は顎に手を添えて、考え込む仕草をする。そこでふと思い当たるのは ――。
「そうですか……。あの青年を導いた者による計略となれば納得です。是非とも、お会いしたいものですね」
ぽつり、と溢した言葉は広間に消えた。
―― 司祭には、真っ白になった絵画が今まで以上に神秘的に視えたのであった。




