42話目 遺されたモノの願い 前編③
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どのくらい時間が経ったのだろう。あまりに静か過ぎるその集会は異質ともとれる。
すると、壇上付近の長椅子に座っていた信者が立ち上がったのを皮切りに、その後ろも続く。そうして、広間に集まっていた人々は徐々に姿を消していった ――。
その場に残された久保と東雲は不思議な体験をしたと、呆気にとられていた。一方の煙谷はいつもの態度を変えず、人の集団が成す事に関心など抱かない、とでも言うようだ。
気を取り直して、と小声で呟いたかと思うと、隣に座っていた久保に声をかける。
「で、あいつから持たされた物は?」
「これですね」
煙谷からそう尋ねられた久保は軽く頷き、邪魔にならないよう床に置いていた鞄を長椅子の下から引き出した。そうして、久保が鞄から取り出したのは、見藤から預かった解呪のための道具だ。それは彼の手に納まるほどの大きさをしている。
それは匣だ。しかし、いつも見藤が封印に使用する朱赤の匣とは様相が異なっていた。その模様は斜めに文字がいつくも描かれ、一面には鬼灯を模した絵が。そして、その箱の色は橙色と緋色が重なったような色をしている。
久保はその箱を煙谷に見せると、小声で説明を始めた。それに合わせて、東雲も席を立つ準備をしている。
「まず、絵画の一部をこそげ取ります。で、この匣に入れる。そうすると、この匣がひとりでに解呪を始めるそうです」
「ふーん」
「ですが、解呪が完了するとそれまで絵画に取り込まれていた魂は、この世に分散する可能性があるそうで。だから、匣の仕掛けによって魂も一緒に匣の中に収めてしまうそうです。『その霊が悪さをしない、なんて保障がないからな』って」
「へー」
「あとは煙谷さんがこの匣ごと回収すれば、依頼は完了です」
「ほーん、これはまた面白い」
久保の説明を聞き終えた煙谷は興味深そうに、その匣を眺める。―― 鬼灯という植物は死者の霊をあの世に導く提灯の代用、と言われることがある。
恐らく見藤はそれを踏襲したのだろう。そして、絵画にかけられた呪いの解呪と霊を捕縛する呪いを掛け合わせた匣を作ったのだ。
すると、東雲の動きがぴたりと止まった。先ほどの久保の言葉に引っかかる点があったようだ。彼女のその表情は辟易としている。
「あんなぁ、久保。下手な見藤さんの物真似やめて」
「あ、伝わった?」
「似てへんわ」
ぴしゃり、と言い放った東雲はすっくと立ち上がった。そして、久保はそんな彼女に匣を手渡す。どうやら、鬼灯の匣の仕掛けを起動させるのは東雲のようだ。
彼女に続き、久保と煙谷も長椅子から立ち上がる。そして、久保は煙谷を振り返るとにやりと笑ってみせた。
「見藤さん、『とっておきだ』って言ってましたよ」
彼の笑みの向こうに見藤の姿を想像したのか、煙谷は心底辟易とした表情でコートの裾を少し乱雑に掃ったのであった。
すると、すぐに久保はその笑みを真面目な表情に変えた。
「ただ、この匣が絵画に施された呪いを解呪するまでの間、時間を要します。もし、その間に勘づかれるとまずいです」
「なるほど」
久保の丁寧な説明は少しばかり時間を要したようだ。東雲は振り返り、二人を急かそうと声を掛ける。
「はよう、人がおらんうちに ――」
「如何されましたか?」
―― 突如として、背後から掛けられた声に久保と東雲は、これでもかと肩が跳ね上がった。
平静を装いゆっくりとした動作で振り返ると、そこにはなんとも場違いとも言える風貌をした人物が広間に通じる扉の前に佇んでいた。
その人物はどうやら、集会が終わったにも関わらず広間に残っている人影を不審に思ったのだろう。ゆったりとした足取りでこちらに近づいて来る。
声から察するに男のようだが、彼の顔つきは中性的で一見すれば女性かと思うだろう。髪は後ろで団子に結わえられている。頬に沿う髪は黒に淡い紫色と淡い白色をインナーカラーとして染髪している。その髪色も特徴ながら、彼が纏う装いもまた、異質だった。
それは司祭服だと見受けられるが、東雲が知るものとは違う。それは、この新興宗教独自のデザインだろう。そして、その司祭服の色は珍しいものがあしらわれたものだった。
東雲は司祭と思わしき人物をじっと見つめ、怪訝な表情を浮かべていた。その落ち着いた雰囲気が彼の齢を曖昧にするが、恐らく見藤よりも若いだろう。
久保はなるべく怪しまれないように、笑顔を貼り付けて口を開く。
「こんにちは」
「えぇ、こんにちは。今日はどうされたのですか」
「こちらにお誘い頂いたので、見学に ――」
「あぁ!そうだったのですね、失礼致しました」
久保の機転のお陰で特別怪しまれずに済んだようだ、と東雲はほっと息を吐く。
すると、どうだろう。久保は司祭と会話を交わしながら、他にも見学できそうな場所はあるのか、教義は一体どのようなものなのか。この教会を案内してもらえるか、少しずつ広間から退室するよう誘導している様子だ。その途中 ――。
「お連れの方はよろしいのですか?」
「あぁ、彼は足が悪いので後から来ますので。彼女はその付き添いで ――、」
「なるほど、それはそれは……」
という会話が聞こえてきた。―― 機転が利く、その一言に尽きるだろう。
(流石、久保やな)
東雲は密かに、久保の猿芝居を称えていた。
久保が司祭と共に広間から退室したのを見届けた東雲と煙谷。二人は足早に絵画の元へと移動する。見上げるほど大きな絵画、間近で見るとその表面は凹凸が激しい。
東雲は思わず、先の煙谷の絵に関する奇妙な話とやらを思い出してしまい、顔を引き攣らせていた。
「よし、始めようか」
しかし、思考の渦から現実に引き戻すような煙谷の言葉に、東雲は力強く頷いた。




