42話目 遺されたモノの願い 前編②
「それじゃあ、よろしく頼むよ」
「はぁ……用が済んだのならさっさと帰れ」
そうして煙谷は見藤の悪態を背に受けながら、煙となって姿を消してしまった。久保と東雲には追って連絡を寄こす、ということだった。
思わずして流れ込んで来た依頼に、見藤は深い溜め息をついた。それに今回は助手である久保と東雲も実働調査になる。彼らの身を預かる立場としては危険な目に遭わせる訳にはいかない。
そこでふと、見藤は二人に手渡していた身代わり木札の存在を思い出す。
「そう言えば、君たちに渡した身代わり木札はちゃんと持っているか?」
「もちろんですよ!」
「そうか、なら心配ないな」
見藤の問いに元気よく返事をしたのは東雲だ。久保もそれに続き、見藤と視線を交わしながら力強く頷く。見藤は彼らの様子を見て安心し、事務椅子の背もたれに体重をかけて深く座り直した。心なしか、その目元は細められている。
そして見藤は不敵に笑ったかと思うと、今度は悪戯な表情を浮かべたのだった。
「まぁ、依頼は依頼だ。そっちの依頼にはとっておきの解呪道具を用意してやる」
「やけにやる気満々ね」
呆れたように掛けられた霧子の言葉に、見藤は少しばかり肩を竦める。
先程までは煙谷の要求から逃れようとしていたのだが、彼が去った今ではその姿勢もすっかりなりを潜めている。どうやら、その依頼内容は見藤をそうさせる何かがあるようだ。
見藤は仕事道具である木目が美しい木箱を手に取った。
* * *
後日、煙谷から連絡を受けた久保と東雲は待ち合わせ場所へと赴いていた。
そこは都会の喧騒から外れた場所だったのだが ――。
「……これは、また」
「あそこだけ異国みたいやな」
久保の間の抜けた感嘆に東雲の言葉が後を引き継ぐ。
煙谷との待ち合わせ場所はなにも、目的地そのものではない。目的地から少し離れた場所だったはずなのだが、現在位置からでも目に入る尖塔がそびえる荘厳な建造物。
そこは住宅街でもありつつ、少し行けば商業施設も立ち並ぶ、人々の生活と密接した場所に建てられていた。その外装は遠目から眺めても、白い。まるで白磁のように白かった。
その建造物は異国情緒あふれる教会を模したものなのだろう。その異様な白さが、その建造物だけこの世と隔絶されたような ――。いや、寧ろ、そう言う意図なのかもしれない。
二人が遠目にその建造物を眺めていると、聞き慣れた呑気な声が掛けられた。
「やぁ、お待たせ」
「煙谷さん」
「お、二人とも揃ってるね。偉いえらい」
その声に二人が振り返り、久保がその名を呼ぶ。煙谷が少し離れた所からゆったりとした足取りでこちらに向かって来る。二人が目にした煙谷は珍しく、冬の装いをしていた。彼の細身に似合う黒色のロングコート、変わらずのソバージュヘアに、頬に咲くそばかす。
彼が怪異であると知らなければ、人にしては整い過ぎているその姿に嫉妬してしまいそうだと東雲は思う。煙の怪異である煙谷はこうして人々の中に溶け込んでいるのだろうか、と東雲はじっと煙谷を見ていた。
煙谷は軽口を叩きながら、久保と東雲の前まで辿り着く。すると、彼らが目的地はどこか見当がついていることを察したのか ――。
「忘れ物はないかい?」
「もちろんですよ」
「よし、それじゃあ行こうか」
煙谷の問いかけに久保は自信たっぷりに答え、力強く頷いた。
◇
そうして三人が辿り着いたのは、白磁のような光沢と白さによって神聖さを演出している教会の門前だ。やはりそこは新興宗教団体ということもあり、門は固く閉ざされている。教会の白に相反するように門の色は黒く、それは外の世界を拒絶しているようだ。
「これ、中に入れてもらえるんですか?」
「ん?あぁ、大丈夫だよ」
固く閉ざされた門を目にした東雲の疑問は正しい。だが、煙谷は問題ないとでも言うように飄々とした態度を変えずにいる。―― 久保は、身をもって知っている。煙谷の神隠し。
久保ははっとし、煙谷の手元を見た。煙草だ、煙草の煙が不自然に地面に円を描いている。そして煙谷はその時を待っていたかのようだ。周囲には誰もいない。
「まさか……、」
「正解~!舌を噛まないようにね」
「うっ、!?」「ひょわぁ!?」
耳にした煙谷の呑気な声。
その瞬間、久保と東雲は重力に誘われるように ――、落とされた。思わず、久保と東雲はその体に襲い来るであろう衝撃に備えて身を強張らせたのだが ――。
「あれ……?痛とうない?」
「本当だ……」
「しー、あまり人目につくといい訳できないからね」
東雲の言葉を聞いた久保は自分にもその痛みがおとずれない事を知る。きょろきょろと視線を動かすと、そこはどうやら教会内部のようだ。すると、煙谷の声が聞こえて来た。
「そろそろ、降ろしていいかい?」
「……うちらは米俵か何かですか?」
煙谷の言葉に東雲が眉を寄せながら不服そうに返す。
煙谷は久保と東雲を抱えていた。久保は小脇に、東雲は肩に担がれている。なんとも扱いが雑だ。
東雲の言葉に煙谷はふっと短く笑うと、ゆっくりと降ろしてくれた。そして、久保と東雲は再び内部を見渡す。
教会内部の天井はうず高く、二つの大小のドームが重なるように設計されている。そして、教会の中央広間に設計された壇上。その壇上を先頭にするように配置された長椅子。
壇上の向こう側、そこに掛けられているとてつもなく大きな絵画。そしてその絵画を飾る額は装飾が凝っていて、いかにも信仰の対象となるように飾られている。
―― どうやら件の絵画はこれだ、と確信し久保と東雲は互いに顔を見合わせる。
「芸術は分からんなぁ」
「同感」
率直な東雲の感想に久保が同意する。そんな二人に煙谷は肩を竦めていた。
その絵画は抽象画のような、そうでないような。なんとも言えない曲線ばかり、絵の具をぶちまけたようなものだった。強いて分かることと言えば、絵画の下部分は赤褐色や赤色を基調としていて、その反対に上半分は藍色や紫色、翡翠のような色で描かれているということだろう。それが何を意味しているのか、到底理解できない。
首を傾げる二人の後ろから煙谷がこそり、と説明を入れる。
「絵画に関する奇妙な話と言えば、絵の具の代わりに人の血を使用する。なんて、他にも色々あるよね」
「「……、」」
煙谷の軽い口調で発せられた言葉の内容に、なんとも言えない表情を浮かべる二人。
「まぁ、それが魂を封じ込める何かしらの儀式に繋がるって言うのなら筋が通る」
「……確かに」
続けられた煙谷の言葉に、久保は思わず納得してしまった。
そして依頼を遂行しようと、絵画に近づこうと足を踏み出した時 ――――。がちゃり、と広間に繋がる扉が開いたのだ。
東雲は慌てて柱の陰に隠れようとした。だが、それを止めたのは煙谷だ。はっとして、煙谷を見上げると、身を隠す必要はないと言わんばかりに首を横に振ったのだ。
そして今度は久保へ視線を向けると、どうやら久保も煙谷と同じ考えであるようだ。平然と、広間に入ってくる人の波を眺めている。
「堂々としていた方が怪しまれないものだよ」
煙谷の言葉に久保が頷く。どうやら思っている以上にこの二人は似ているのかもしれない、と思いながら東雲は落ち着こうと胸に手を当てて深呼吸をした。
その間にも、どこから現れたのだろうと思うほど、広間にはぞろぞろと人が集まってくる。
「どうやらこれから集会が始まるようだね」
「えぇ、そうみたいですね」
「ま、大丈夫。僕らは勧誘を受けてここを訪ねただけだから」
―― と、いう体で素知らぬふりをして、三人はその集会へ参加した。
途中、信者と思わしき初老手前の婦人に声をかけられたが、煙谷が勧誘を受けてここを訪ねた。そう説明すると、何か思い出したことがあったのだろう。婦人は口元を引き攣らせながら、絵画がよく見える席を譲ってくれた。
そうして始まる集会。その集会は特に指導者などが発言をする、というようなものではなかった。
―― ただ厳かに、静かに、誰も言葉を発することなく時間が過ぎてゆく。
そうして一様に絵画を眺めては、祈るように目を閉じるのだ。なんとも不思議な光景だった。三人はただ、黙ってその様子を見学していた。




