42話目 遺されたモノの願い 前編
後日、見藤は先の依頼人について斑鳩に連絡を取っていた。ことの顛末を聞いた斑鳩は見藤らしい、と電話口で笑っていた。
『そんなことがあったのか』
「あぁ、探ってみてくれ」
『了解した。にしても見藤よぉ、お前の頑固さは相変わらずだなぁ』
「やかましい」
斑鳩の軽口にやや憤慨しながらも、見藤の表情は普段と変わらずであった。
素人が成功させてしまった、人が人を呪う行為。その代償として影に追われることになってしまった、依頼人であった青年。
依頼人というからには、連絡先や名前を事前に聞き及んでいたはずなのだが、見藤の頭からはすっかり抜け落ちていたようだ。斑鳩から個人の詳細を聞かれ、右往左往する見藤を目にしたのは霧子だけだった。
件の青年はその呪法や儀式で扱う道具など、その全てを他者から教示されたと言っていた。世間における怪異の認知操作を担う斑鳩家であるが、時に一般人へ本物の呪法といったものが出回らないように取り締まることも彼らの仕事の一環だ。
よって、この件に関しては、斑鳩が専門だろうということで彼に丸投げしようという見藤の魂胆だ。
斑鳩との通話を終え、見藤は事務机に向かう。机上には書類などは何もなく、しばらくは閑散期となる見込みである。
その見通しは確かなものだ、と噛み締めるように見藤は短く溜め息をつく。
「はぁ、ようやく落ち着いたか」
「そうね」
いつものようにソファーでくつろいでいる霧子が相槌を打つ。
見藤は頬杖をつくと、久保から連絡を受けたことを思い出す。彼らの冬期休暇は明けたようだ。
「そう言えば、久保くんと東雲さんがしばらくすれば顔を出してくれるらしい」
「あら、無事に課題は終わったのね」
「全く、学生だっていうのに……」
「それは難しいわよ。だって、誰かさんは目を離すと直ぐに無茶するし、不摂生な生活になるんだもの」
「……」
霧子のお小言に抵抗する術を持たない見藤は黙るしかなかった。そして、彼は不意に訪れた鋭い痛みに眉を寄せる。―― ズキズキ……、と血管が脈打つのが分かるような感覚だ。
眉を寄せて眉間を押さえる見藤を目にした霧子は心配そうに見藤を見やった。
「どうしたの?」
「いや……ただの頭痛だ。繁忙期が明けて気が抜けたんだろう」
「そう……、」
「大丈夫だ、心配ない」
そう言って見藤は痛みを誤魔化すように首を左右に振ったのだった。
* * *
そうして数日後。事務所には久保と東雲の姿があった。彼らはどうやら無事に課題を終え、単位は守られたようだ。残すは春期休暇までの僅かな出席となった。
そのため、これ幸いと見藤の事務所に入り浸るようになった。
いつものように、向かい合うようにして久保と東雲がソファーに座り、東雲の隣には霧子。そして、久保の隣には猫宮が丸くなっている。見藤は定位置となっている事務机に向かっているものの。これと言って特に何もすることがないため、彼らに視線を向けつつもどこかぼんやりとしている。
ローテーブルの上には、丸々とした大きな豆大福が人数分。そして急須に淹れた日本茶が、湯気を立ち上らせていた。
そんな和やかでゆったりとした時間の流れは、心身共にまどろみの中に誘うには十分だったようだ。久保がぽつりとこぼした言葉がそれを物語っていた。
「正月ぼけしそう。正月明けたのに」
「せやな」
久保の言葉に東雲が相槌を打つ。そして彼女はぱくりと、見藤から出された今日の茶菓子を頬張る。そんなタイミングで久保に話し掛けられた東雲はリスのように頬を膨らせた。
「そう言えば、東雲は正月。実家の手伝いで忙しかった?」
「むんぐ、ん?あぁ、せやなぁ、去年の正月と比べると明らかに。初詣や言うのに、ついでと言わんばかりに縁切り祈願してく参拝客さん多くて。正直、驚き桃の木山椒の木……」
「へぇ、それはまたなんとも……」
東雲の返答に久保は苦い表情を浮かべた。一様に思い出す出来事があるのは必然だろう。
―― 見藤は二人のそんな会話に耳を傾けていた。
すると、事務所内に突如として響く、なんとも呑気な声。それは見藤の眉間に深い皺を刻むことになる。
「やぁ、やぁ。皆さんお揃いかな?」
「……出禁検討。うちは禁煙だと何度言えば分かるんだ、お前は」
「出禁は酷いなぁ」
―― 煙谷だ。煙の怪異、煙々羅。
彼は煙となった体を徐々に人の姿に現しながら、どこから取り出したのか片手には煙草をつまんでいる。煙谷は突如として現れ、その背にした扉は一度も開かれていない。
言わずもがな、煙谷は見藤の鋭い視線に射られることになったようだ。そして、次に送られる視線に気付く。それは東雲の強烈な視線と驚愕した表情だ。
そんな彼女に気付いたのか、煙谷はいつもの調子で飄々と答える。
「あ、そう言えば東雲サンには僕の正体を明かしていなかったね」
煙谷は東雲に軽く笑いかけると、手にしていた煙草の煙と片方の手を煙と化して同化させて見せた。さらに驚愕の表情を深める東雲と、怪訝な顔でその様子を眺める見藤。
―― 怪異は自らの正体を明かさない。それが通説だ。しかし、今しがた目にした光景はその通説を覆す。
それは地獄の獄卒という特殊な役割を持つ煙々羅。煙谷であるからなのか、ただ単に煙谷が正体を隠すことが面倒になったのか、そのどちらかだろう。
(まぁ、恐らく後者だろうが)
見藤はそう思い至り、面倒くさそうに短い溜め息をついた。
煙谷はそんな見藤の様子を気に留めることなく、ゆったりとした足取りでこちらにやって来る。すると、これまた飄々とした態度で見藤に尋ねた。
「魂を封じ込めた絵画、って言ったらどう?信じる?」
「また妙な案件を持ってきたな」
呆れ返った見藤の返事に肩をすくませながら、煙谷は煙草をふかす。
その煙によって思わず咳き込んだ見藤。口元に手をやり、顔を顰めている。その光景に腹を立てたのは霧子だ。彼女は煙谷をこれでもかと睨み付けている。
どうやら煙谷が吸った煙草の煙は、怪異の痕跡として見藤にまとわりつくようだ。
霧子に睨まれた煙谷は「おっかないね、」軽口を叩く。その次には煙草もろとも、煙と化した手の中に同化させてしまった。なんとも便利な灰皿だ。
そして煙谷は気を取り直し、再び口をひらく。
「人の魂は輪廻を巡る。そのためには現世に留まっている霊に成仏してもらう必要があるんだ。それを無理矢理、物に封じ込められると、とても困る。それに ――、これは人である必要がある」
煙谷はそう言いつつ、久保と東雲の方をみやる。その意図を読み取った見藤は、うちの助手だぞと釘を刺したのだが ――。そして、見藤が思い出したのは煙谷の相棒だ。
「お前のところには、あの記者がいるだろう」
しかし、煙谷は即座にその案を否定した。
「あぁ、檜山は駄目。記者が新興宗教の教会に乗り込むなんて、バレたら後が怖いだろ?彼女の性格上、潜入捜査みたいな事ができるほど器用じゃないし。それに君が同行だなんて、かえって怪しすぎる。君は創られた神を信じるような顔じゃない」
「お前な……。で、その言葉からするに、その絵画は宗教団体の所有物なのか」
「そう。どうにも、その絵を信仰対象にしているようだ。教会のど真ん中に飾ってある」
煙谷のような、地獄の監視者でもある怪異が怖いものなどあるものか、と見藤は言葉にしないが視線でそれを訴える。
―― それにしても、教会を所有する新興宗教団体などよほど財力があるようだと、見藤は考える。そして、そこに久保と東雲を同行させる意図も。
「まぁ、目的はその絵画に封じ込められた魂、つまり霊の解放……っていった所かな?だから、久保クンと東雲サンが適任って訳だ」
「「はい?」」
煙谷の言葉を聞いて、久保と東雲の声が見事に重なった。
時に、大学生が宗教勧誘を受けて入信し、その結果トラブルに巻き込まれた、という事件例があることも事実だ。どうやら煙谷は、勧誘に誘われ見学に訪れたという体で、その教会へ赴こうというのだろう。
「僕はその絵画に触れられない。まぁ、もちろんバイト代は弾むよ?」
煙谷の言葉は、まさに悪魔の誘いである。
久保と東雲はちらりと、見藤を見やる。彼らの視線は好奇心に満ちており、見藤に許可を求めるようなものだった。その視線を受けた見藤は困ったように頬を掻く。
今、見藤の中に思い起こされているのは先の依頼人 ――、好奇心によって身を滅ぼす未来を待つだけの青年だ。だが、彼と久保と東雲には決定的な違いがある。
「はぁ……、好奇心は時に身をも滅ぼす。よく覚えておくように。……まぁ、こいつが同行するなら問題ないだろう」
「ありがとうございます!」
「……はぁ、」
元気の良い久保の返事を聞いた見藤は思わず溜め息をつく。
そう。久保と東雲には、怪異でありながら祓い屋でもある煙谷が同行するのだ。煙谷が同行するのであれば問題ない、それは見藤が気付いていないだけで煙谷に対する信頼のようなものがあることを示しているが ――、見藤本人は決して認めないだろう。
それに気付いているのは、人に対して優れた観察眼を持つ久保だけだ。
アルバイト要員を確保した煙谷は満足げに頷くと、今度はわざとらしく何やら考える素振りを見せ始めた。嫌な予感がする、と見藤はまたも眉間に皺を寄せるのであった。
「にしても、どうやって絵画に魂を閉じ込めているのか分からなくてさぁ。その解放方法も」
「……ほーん」
「君の出番じゃない?」
「じゃない、な」
煙谷の言葉に被せるようにして、即座に否定する見藤。
わざとらしいが、煙谷は絵画に封じ込めた魂の解放 ――、つまりその絵画に施された呪いの解呪を見藤にさせようという魂胆なのだろう。
そこまで手を貸す謂れもない、と見藤は煙谷との会話を終えたつもりでいた。だが、にこりと笑った彼の表情を目にした見藤は、嫌な予感が背筋を駆け抜けた。
「あぁ。あと、もうひとつ ――」
「霧子さん、今度一緒に ――」
「そうね、いいわよ」
煙谷にその先の言葉を言わせまいと、見藤は咄嗟に霧子へ声を掛ける。先程から煙谷の依頼についてばかり会話が進み、どうしても霧子は蚊帳の外になってしまっていた。
霧子も自身は依頼に同行しないことを理解しているため、普段は何も言わないがどうやら今日は違ったようだ。見藤の逃げにも即座に返答し、煙谷ペースの会話から見藤を取り戻そうとしている。
―― だが、彼らの関係に気を遣うほど、煙谷は優しい性格をしていないようだ。彼は見藤と霧子の会話に割って入ったのだ。
「まぁ、もうひとつ。頼まれて欲しい案件があるんだよ」
「断る」
「まぁ、まぁ。これは本当に適任者がいなくてさ。君、得意だろ?呪い」
「……」
断りの即答を決めた見藤を無視し、煙谷がそう言って見藤が向かう机に投げたのは数枚の資料。その資料は煙谷の煙によって机上まで運ばれていく。
これはどうやら、檜山が取材をした調査報告書のようだ。そこに書かれている文字を目にした見藤は、少しだけ驚きの表情を見せる。
「……冥婚」
「そう。最近、あの世に来た霊たちが口々に言うんだ。僕も調査に追われてる」
見藤はちらりと霧子の方へ視線をやる。すると、霧子もことの大きさを察知したのか、煙谷の依頼を受ける了承の意味の頷きを見藤へ返した。
「はぁ……、分かった」
「交渉成立だね」
煙谷のその言葉に、見藤はもう何度目か分からない溜め息をつきながら資料に目を通したのであった。
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