41話目 猿の真似事③
そして、平静さを取り戻すまで少し時間を要し。青年はことの発端を語り始めた ――。
その発端は見藤が予測していた通りの事象が関係していたようだ。考える仕草をしながら、小さな呟きを漏らしていた。
「やはり発端はあの時期か ――、」
そう、ことの発端は神獣 獏によって原因不明の夢遊病が拡大した例の時期。
夢現に囚われた暴漢に立ち向かった見藤を心配し、大勢の民衆の目前に怪異としての姿で霧子が現れたのだった。そして、時代の産物とも呼べる動画での記録行為。
怪異と言う存在が記録された動画が広まったことによって、人々の関心と流行は都市伝説や怪異と言う人ならざる存在へと大いに向けられた。
さらにその事象に付随するかのように、呪術というものに手を出す者が後を絶たなかったのだ。専ら、興味本位で行った呪術が何かの拍子に成功したようである。
―― この青年もそのうちの一人だろう。
きっかけは些細な事だった。社会人として仕事に生きて来たはいいものの。変わり映えのない毎日、些細な失敗で怒鳴る上司。同僚は昇進や、結婚など人生において彩りとなるような事象を手にしている。
それに変わって、自分にあるのは一体なんなのか。気に食わない上司や同僚に恨み妬みを募らせていくのは必然だった。唯一、自分を気にかけてくれる先輩から、その上司から受ける問題行動について相談されたのが決定打だった。
そうして流行した、人知を超越したかのような不思議な力やその世界。好奇心が沸き上がり、その世界に惹きこまれるには十分だった。
「呪術を再現してみよう」
―― 彼は誤った正義感と好奇心に突き動かされ、悪戯にことを起こしたのだった。
その青年の願いは、上司の不幸を望むものだった。なんでもいい、小石に躓いて転ぶだとか、そんな些細なこと。
ただ、この世界。一度でもそれに手を出してしまえば、引き返すのは難しい。より、効果があるような呪術はないのだろうか。この青年はそんな好奇心に支配されたのだろう。
―― そうして積み重なった業は、こうして呪いをかけた主に牙を向く。
話を聞き終えた見藤は呆れ返っており、その眼差しは軽蔑的だ。青年を取り囲む塩の円を修復したことにより、消え去った影。その影を押さえつけていた手をはたきながら、見藤は溜め息をつく。
「自業自得だな」
「そ、そこをなんとかっ……!依頼料なら、いくらでも ――!!」
「はぁ……、金で解決する問題じゃないだろう。ここまでの影を引き寄せているんだ」
それは現実主義である見藤にしては珍しい返答であった。彼の答えに、猫宮も霧子もそれは当然だと言わんばかりに頷いている。
そして見藤の厳しい表情は変わらず、青年を追求する視線を送っている。
「何に手を出した?呪術と言っても、その方法はひとつじゃない。更に言えば、何処でその方法を知った?」
「え、……そりゃ調べて、」
「調べて出てくる呪法程度じゃここまでの数、あれは出て来ない。それに道具も揃えられないだろうが」
見藤の言葉に青年は口を噤む。すると、そんな彼の様子を見かねた見藤は再び塩の円を指で消そうと手を伸ばしたのだが ――。
「教えてもらったんです……!!」
「誰に」
「えっと……、僕が入っている社会人サークルで、オカルトマニアがいて……、道具もその人から、」
見藤の追及は成功したようだ。
口を割った青年の言葉が正しいと仮定すれば、その社会人サークルに所属している人間の中には紛れもなく、本物の呪法を知る人物がいるということになるだろう。そして、それは人間社会に混乱を招きかねない。
(その件は斑鳩に探らせるか……)
見藤はそう結論付けた。
見藤の悪友である斑鳩。彼は警部としての本業の傍ら、呪いを扱う名家の次期当主である。
そして、斑鳩家の役割は世間における怪異の認知操作や、呪いを扱う他の名家がよからぬことを企てないよう監視するというものだ。そして、今回のような一般人に本物の呪法といったものが出回らないように取り締まることも彼らの仕事の一環だ。
そして、見藤は思考から意識を切り離す。依然、怯えた表情でせわしなく視線を動かしている青年を見やると、そっと口を開いた。
「影そのものを、俺がどうにかできる訳じゃない。あれはお前が背負うべき代償だからな」
見藤の言葉に青年は項垂れるように、膝を抱えて蹲ってしまった。
「その代償が何なのか、それは俺にも分からない。病かもしれないし、事故に遭うかもしれない。精神に異常をきたすかもしれない」
見藤は深い溜め息をつくと、譲歩案を提示したのだった。それは見藤が持ち得る最大限の譲歩だ。
「ただ――、影を視えなくすることはできるぞ」
「……えっ!?ほ、本当ですか!!」
「視えないだけだが、目に見えて怯えて暮らすよりはマシだろう」
出された助け舟に、この青年が乗らない訳がなく ――。勿論、この助け舟は泥船であろうが、青年には救いにも似た思いだったのだろう。
「是非、お願いします!」と間髪入れず大きな声で叫んだのだった。そんな彼の声量に耳がよい猫宮は驚き、火車の姿から猫又の姿へと戻ってしまった。
(まぁ、その先に待ち受ける代償には怯えて暮らす羽目になるんだが)
―― と、いう見藤の皮肉は青年に伝えられることはなかった。
そうして始まる見藤による呪いの儀式。見藤は器用に、撒かれた塩を円から正方形へと形を整え、さらにもう一つの正方形を描いてみせた。
それは線と線が重なるようにずらされている。さらに、塩で描かれた線には文字列を描いていく。そして、見藤は祝詞を唱え始めた。
そうして、祝詞が唱え終わる頃になると、青年の挙動不審さはなくなっていた。
見藤はおもむろに立ち上がり、描いていた塩の線を足で蹴ってかき消した。その行動に青年がぎょっとした表情を浮かべる。そして、恐る恐る辺りを見渡すが彼の目にはナニも映らない。
「わ、本当だ……!」
青年のぱっとした明るい表情、見藤は黙ったまま険しい表情をしていたのであった。言わずもがな、儀式を終えると見藤はしっかりと依頼料を請求したのだった。
そうして、見藤は青年を見送ろうと事務所の扉の前に佇んでいた。そんな彼の様子が気になったのか。霧子が傍に寄り添い、そっと見藤の腕に自分の手を添えた。
「よかったの?」
「あぁ。ああいう奴は変わらないし、変えられない」
見藤はそう言って、いつまでも青年の後姿を見送っていた。彼の後を、ぞろぞろとついて行く影たちもその目に映しながら ――。
* * *
見藤が依頼を終えてから数日後。依頼人であった青年は職場に設けられた休憩スペースにその身を置いていた。その顔は少しやつれており、目の下には隈ができていた。
すると、どこかで見たような風貌の女性社員が近寄って来たかと思えば、青年に声を掛ける。
「どうしたの、佐々木くん。最近、顔色悪いけど?大丈夫?」
「あ、檜山さん。お疲れ様です」
その女性は檜山 ――、人間社会に居ついた怪異、煙々羅である煙谷のビジネスパートナー。心霊特集を担当している女記者、檜山であったのだ。
佐々木と呼ばれた青年はどうやら彼女の後輩にあたるようだ。こうして、世間話として彼を気に掛ける程度の関係らしい。
「いやぁ、なんでもないです。ところで、檜山さんの心霊オカルト特集、売れてますよね」
「まぁ、いい先方に巡り合えたのが大きいよねぇ。人使いが粗いけど――、」
そうして世間話は加速する。
「あぁ、あの上司。最近は態度があからさま過ぎて一周回って尊敬するわ」
「そ、そうですか……」
そんな檜山の愚痴を聞いていた佐々木は何か思いついたかのように、顔を明るくした。
「そう言えば、縁切り神社というものも流行ってますよね」
「うん、そうだね。よく知ってるね」
「あれ、本当に縁が切れるんでしょうか。あの人、左遷されないかなぁ……」
そう呟いた佐々木はすかさず自身のスマートフォンで縁切り神社について調べていた。
―― 人の本質はそう簡単には変えられないということだろう。
佐々木の背後でゆらゆらと揺れる影。その影はあともう少しで彼の肩に手を掛けようとしている。そして、檜山の背後にはその得体の知れない影に怯える無数の幽霊が佇んでいたのであった。




