41話目 猿の真似事②
塩で描かれた円の中で膝を抱えながら話を聞いていた青年。しかし、見藤が話す内容の半分も理解できていないのだろう。その表情は疑問に満ちている。
「あ、あなたは……アレをどうにかできると言うことですか……?」
「んあ?殴ればこと足りるだろうが。お前、素人か」
ようやく口を開いた青年の言葉は自分本位にも捉えられるようなものだった。それを聞いた見藤は珍しく言葉が粗暴になっていて、機嫌がすこぶる悪い彼を久しぶりに目にした霧子は眉を下げている。
『素人』―― 見藤の言葉が示すこと。それは、呪い師でも呪術師でもない。何者でもない一般人が興味本位に他人に呪いをかけた結果だという事。
そして、それが待ち受ける末路も見藤の中には当然、見据えられていることだろう ――。
「人を呪わば穴二つだろうが。俺は手を貸さない」
「え、そんな!!困ります……!!」
「俺は困らない」
はっきりそう言い放った見藤の言葉に、焦りを隠せない青年。彼は冷や汗をかきながら、顔は青白く手は小刻みに震えている。どうやら、ここへ辿り着くまでに相当、あの影に追われていたようだ。
彼は懇願するような表情を見せているが、見藤からすれば全てが自業自得なのだ。
「そもそも、依頼内容は日に日に怪異が追いかけてくるという ――、あ」
「……追いかけられていたなァ、こいつ」
「くっそ、そういう事か……」
猫宮の言葉に見藤は気付いたようだ。
何も依頼人が追われていたのは、ただ偶発的に遭遇した怪異などではなかったのだと。自分自身が興味本位で他人を呪ったが故に、追われる身となってしまったのだ。だが、素人である彼はそれが何であるのか分からない、知らないのだった。
―― それ故に、人伝手に聞いたであろう見藤の事務所へ相談を寄こしたのだ。
世にも不思議な依頼を解決しているという、この事務所の主ならばきっと助けてくれる、そんな他力本願な思いを抱いて。
「……猿の方がよっぽどマシだな」
ぽつりと呟いた見藤渾身の嫌味は、静けさに包まれた事務所内ではやけに大きく聞こえた。
しばし静寂に包まれていた事務所内。塩で描かれた円の中に座り込んだ依頼人である青年が、遠慮がちにその口を開いた。その表情は依然、疑問で満ち溢れていている。
「あ、あの……先ほどから誰と話して……」
「猫宮が視えていないのか、こいつ」
どうやらこの青年は妖怪などの類は視えないようだ。先ほどから見藤が会話をしている、火車の姿をとった猫宮の姿は彼の目には映っていないらしい。すると、挙動不審である青年は見藤の後方に佇む霧子の方へと視線を向けた。彼女はいつもの癖で人としての姿で社から降りたようだ。
そして、影の襲来によって慌ただしくあった中では突如としてその場に現れた霧子のことなど、何ら不思議に思わないのだろう。
青年の目にうつる彼女の姿。その凛とした佇まい、纏う雰囲気は美人そのものだ。彼女の美しさは人の視線を釘付けにする。
その不埒な視線に即座に気付いた見藤は、青年の視線と霧子の間に割って入った。
「おい」
そして、先程よりも更に低い声と睨みを利かせておく。
青年はばつが悪そうに肩を竦めて、さっと視線を逸らしたのだった。
◇
「で、どうしてそうなったのか話してもらおうか」
塩で描かれた円の中に座り込んでいる青年の目の前に、地べたに胡坐をかいて座った見藤。面倒くさそうな態度はそのままに、自身の脚を肘置きにして頬杖をついている。依然、その眉間には皺が深く刻まれている。
見藤の問いに、青年は僅かな希望を抱いたのか。彼は安堵したような表情を浮かべて、見藤に縋るように尋ねた。しかし、その希望も見藤の言葉によって打ち砕かれる羽目になるのだが。
「た、助けてくれるんですか……!?」
「どうして俺がお前を助けないといけないんだ」
「……!?な、なら!お話することもできません……!」
「クソガキが」
青年の態度が気に食わなかったのか、見藤は悪態をつきながら塩で描いた円の一部を ―― すっ……と、指でなぞって消してしまった。
すると ――、まるで獲物を見つけたかのようにあの「影」が再び、その体を起こし始めたのだ。言わずもがな、塩というのは邪を祓うのだ。
ゆったりと体をもたげ始めた影を目にした青年は、再び悲鳴を上げながら恐怖に顔を引きつらせて、その体を震えさせている。
「う、うわぁあぁあぁ!!!」
「で、どうする?話す気になったか?」
その光景はまるで尋問である。大方、一般人にするものではないだろう。
ソファーに座り、ことの流れを見守っていた霧子も「やりすぎよ」と言葉を漏らしていた。そして、霧子の顔を覗き込んだ影。彼女はその影に容赦なくデコピンをお見舞いし、影を蹴散らしていた。
一方、火車の姿のままの猫宮は見藤の様子を眺めながら ――。
(見藤の奴、やけに虫の居所が悪いなァ)
と、呑気に思いながら影を前足猫パンチで叩き落としていた。
そして、見藤はと言うと ――。
「なら、自分で影をどうにかするんだな」
そう言って、影の頭と思わしき部分をわし掴みにし、地面に押し付けていた。それも、青年に見せつけるように。――それはさながら、取り立て屋が使うような脅しの光景である。
青年が視線を伏せると、影の目のようなものと視線が合うのだろう。顔を青くして、更に震え始めてしまった。
ようやく、にっちもさっちも行かなくなったと判断したのか。青年は視線を左右に揺らしながら、おずおずと口を開いた。胸の前で手を握ったり、せわしなく指を動かしたり、それは彼の精神状態が垣間見えるというものだ。
「あ、あのっ……先ほどは横柄な態度を取って…………すみませんでした」
「はぁ……、」
青年は先ほどの態度を大いに謝罪したのだった。しかし、その謝罪の内容を聞いた見藤はまるで違う、というように首を横に振った。
「別に俺はお前からの謝罪が欲しい訳でもなんでもない。依頼を受けないのは、お前が呪いに手を出したからだ。それはお前自身が招いた結果であり、そして更に言えば、俺の矜持に反するからだ。あとは、お前にその方法を教えた奴をシメないといけないんでな」
見藤はもう一度、青年にことの本質を話し、彼からの謝罪は受け取らない意思を示す。
話終えた見藤は消した塩の円に追加の塩を撒いて修復してやる。すると、あの影は先ほどと同じように姿を消してしまったのだった。




