40話目 大晦と楽欲②
師走というだけあって、瞬く間に迎える大晦日。見藤は事務所の埃を掃い、年を越す用意に追われていた。それに伴って、事務所の様相は普段と少しばかり違っていた。
数日前から鏡餅と門松が置かれ、事務所の玄関となる扉にはしめ飾りが飾られていた。そのどれもが、年神を迎え入れる目印となるものだ。
そして、事務所の中にはもうひとつのしめ飾りが。それは霧子の社に彩りを添えており、そのデザインは霧子が好みそうなモダンで可愛らしいものだった。
数日前に霧子と出かけた商店街で、見藤がこっそり購入していたのだ。
神棚を彩るしめ飾りを目にした霧子は、大いに喜んだようだ。飾られてから数日経つというのに、今日もそのしめ飾りを眺めては鼻歌まじりに過ごしている。
そうこうしているうちに、夕刻となり見藤は夕食の支度をし始める。普段は雑な食生活をおくっているものの。流石に年末ともなると、そうはいかないようだ。もちろん、霧子の分も忘れてはいない。怪異と言えど、食欲には忠実なようだ。
早々に風呂を終えて、ラフな格好に紺色の半纏を羽織っている見藤と、そんな彼に向かい合うようにして座る霧子。彼女は温かそうな寝間着に身を包み、朱色の半纏を羽織っている。
霧子が大吟醸を持ち出していると、タイミングよくローテーブルに食事が用意されていた。それは年越しに相応しく、海老の天ぷらとかき揚げが乗った年越し蕎麦だ。
その豪勢とも呼べる晩餐を目にした霧子は手にした大吟醸を見やり、自分の土俵に見藤を誘う。
「今日くらい飲んでもいいんじゃない?」
「うーん……、グラス一杯だけにしておくよ」
見藤が霧子からの誘いを断れるはずもなく――。彼はグラスに大吟醸を注いだのであった。
「今年は大変だった、妙な程に」
「そうね」
―― そうして始まる、今年最後の晩餐。
温かい蕎麦に舌鼓を打ちながら、思い返せば様々なことが起きたと今年を振り返る。
「夏の怪異異変は堪えたし、昔話だと思っていた神獣がまだ現代にも残り、人の社会にちょっかいをかけていたとは。それに霧子さんのことが一番、堪えた……。あのときは本当に、……いやよそう。獏を封印した匣はあのままキヨさんのところの置物になったよ、ははっ、奴にはお似合いだな。あとは……、斑鳩の奴はあの後、嫁さんにしこたま怒られたそうだ。身勝手な自己犠牲で犬神をとり憑かせたからな。全く、世話が焼ける奴だ……まぁ、そんな奴でも放っておけないのも確かだが。あぁ、あとは時期外れの怪異事件頻発も面倒だったな……」
「そうね、でも皆で行った旅行はとても楽しかったわ」
「はは、そうだな。楽しんでた霧子さん、とても可愛かっ ―――― むぐっ、 」
「っ、それ以上は言わないの!!」
見藤の言葉を遮るように、食べかけの海老の天ぷらが見藤の口に無理矢理ねじ込まれてしまった。霧子のお椀から減ってしまった天ぷらを目にした見藤。そっと自分のお椀から綺麗なものを補填してやる。
徐々に短くなっていく海老の尾を恨めしそうに見つめる霧子の表情はとても可愛らしいものだった。
どうやら見藤は酒が入ると、これ程までに饒舌になり、自分の気持ちに素直になるらしい。普段は弱音を吐くことも、霧子を愛しく想う言葉を口にすることも気恥ずかしいのだろう。酒の力を借りるというのはまさにこのことだ。
だが、霧子からしてみれば少々タチが悪い。彼女を口説いたはいいものの、翌日となれば口にした言葉を覚えていない事などざらにある。
見藤本人はそれをちゃんと理解している、故に普段であれば飲酒を遠慮しているのだろう。だが、今日は霧子から仕掛けたのだ。
(うぅ……、やっぱりこいつに飲ますんじゃなかったわ……)
まさに後悔後先に立たずである。
そんな二人は共に食事を終えると、残り少ない時間に想いを馳せる。
冬の夜にふさわしい静けさに、響き始める鐘の音。その音を微かに聞いた見藤はついでに酔いを冷ますに丁度いいと、夜風に当たるために窓を開けようと立ち上がる。そのとき、霧子には寒くないようにと気遣って、ひざ掛けを渡しておく。
見藤が窓を開けると、除夜の鐘が辺りに響いていた。窓枠にもたれるように前屈みになり、頬杖をつく。すると、不意に視界を横切る白く小さいもの。
「雪だ」
見藤がそう呟き、窓の外に手を出す。すると、細雪は彼の手のひらに舞い降り、消えた。視線を上げると、次々に舞い降りる細雪。風に吹かれて飛んで行く。
事務所に風が舞い込み、窓際に置かれている竜胆の植木鉢にも細雪が舞い降りた。
除夜の鐘は一年の終わりを告げる。鐘の音がその余韻を響かせ、それさえも終わりを迎える。すると、見藤は窓の外を見つめながらぽつり、と呟くように願いを口にした。
「来年も、こうして二人で過ごす時間を大事にしたい」
そんな見藤の独り言のような願いは、どうやら霧子の耳に届いていた様子で。彼女は恥ずかしさと嬉しさが入り雑じった表情を浮かべていた。
そして、霧子は忘れてはいない彼らのことも付け加えておくことにする。
「久保くんと東雲ちゃんも一緒に、でしょ?」
「はは、それなら猫宮もだな。どうせ、煙谷の所で酒をたらふく飲んでる頃だ」
霧子の言葉を聞いた見藤は彼女の方を振り向き、苦笑しながらそう言った。―― それは楽欲。二人の願いは、年神に聞き届けられたのだろうか。
こうして、見藤と霧子は新しい年を迎えた。




