39話目 出張、冬景色~河童の一揆~②
「……水神、ね」
残された見藤はもう一度その名を口にし、思考を反芻していた。見藤としても、主神となる水神と河童が争う事態は避けたいのだ。
そもそも、どうしてその水神は時代が移り変わろうとも河童達に重税を課すのか。その点がどうにも腑に落ちない。そして、その税となる尻子玉は架空の臓器である、と河童の口から告げられた。
――だとすれば、今日までに納めていた税とは一体何であったのか。
見藤の目には、人の子と手を繋ぎ遠ざかって行く河童の姿が――。なんとも意味深に思えたのだった。だが恐らく、彼は人との共存を強く望んでいる。
そして、それは彼の同族とて同じことなのだと伺える。人との共存関係を、壊したくないのだろう。
「どうしたものか……」
ぽつりと呟かれた見藤の言葉に、眉を下げているのは霧子と東雲だ。霧子はぱくり、とパフェを口に運ぶと、スプーンに新しくいちごと生クリームをすくい「食べる?」とパフェを見藤に勧めていた。流石にそんな気分になれない見藤は、気遣ってくれた霧子に礼を言うだけにしたようだ。
そして、東雲は先ほどの見藤と河童の会話に分からないことがあったのか、不思議そうな表情を浮かべている。
「まぁ、神なんて現代では悉くその姿を消している。人間達が神さま、と呼んでいるのは人によって祀られた怪異だ。人の信仰心によって、神のような力を得たに過ぎない。土地神なんてのも、その類いだ」
見藤はいつか久保に話したことを、東雲にも話してやる。
「なら、その水神様は人が祀り上げた怪異……ってことですか?」
「そう考えるのが妥当だろうな」
見藤の説明に、東雲は何か思うことがあるのか考える素振りをしている。そんな彼女を、見藤は不思議そうに見やった。
「どうしたんだ、東雲さん」
「いや、気になったんですけど。もし、大昔に本物の神様がこの地にいたのなら――。神様の存在という認知の残滓が残っていて……。その残滓を怪異が食べたことで神のような力を得ていたら、と思いまして」
そして東雲は、「猫宮ちゃんも、怪異になり損なった認知の残滓を食べてるんですよね?」と見藤に向かって首を傾げた。確かにそうだが、それによって得られるのは腹の肉の蓄えだけなのだが。
――しかし、東雲の次の言葉は妙に的を射ていたのだった。
「人の信仰心なんて、そんな力があるように思えなくて。人の信仰は、自分に都合がいいものですから」
それは神社の生まれである東雲が言うと、妙な説得力を持つ。
確かに、彼女の実家である縁切り神社は、主神となる白蛇の怪異を祀っているものの。その神社の参拝客は自らの願いを叶えてほしいがために、神社を訪れているではないか。それは純粋な信仰心とは言えないだろう。東雲の着眼点は鋭い。
「その定義を覆すような、こと……。いや、そもそもこの話は――」
――そう、この話は呪いの師でもある牛鬼から教えられたことではない。
昔、見習いとしてキヨの元で修行を積んでいた頃だ。そのときに、聞かされた話であったと思い出す。教えられたことに何も疑問を持たなかった。そして、それが世の常であるかのように過ごしてきた。
だが、神獣 白澤の件然り、獏の件然り。その摂理は不変であると、断言できないことが起きた。
ということは、この人々の信仰心によって神にも似た力を得た怪異。よって、現代に神として祀られている怪異、というその定義がそもそも別の存在だとすれば――。
現代において、神と呼ばれるものは人々の信仰心によって神となった怪異。そして大昔に存在したと言われる、生まれながらにしての神。
その神々がこの地を離れる際に、この地に残した残滓を食らった怪異。この二種の神の名を持つ存在がいる、ということになるだろうか。
見藤は思考をまとめると、ふっと目を細めた。
「君の鋭い思考力は流石だな」
「うえっ!?」
「……どうしたんだ、」
「いやぁ、褒められると照れます」
「……そ、そう」
珍しく見藤から褒められ、照れくさそうに笑う東雲。一方見藤はそんな彼女の様子を見て、出会った当初の東雲を思い出したのか――、少しばかり身震いするのであった。
* * *
そうして、子ども達を送り届けた彼が戻ると、見せたいものがあると言われ、皆で移動した。
「水の匂いが濃いぞ。俺の自慢の毛並みが……」
「我慢だ、猫宮」
案内されて訪れたのは、水神が祀られているという小さな神社だった。神社はほどほどに手入れがされている程度のようだ。そして、そこの境内には目の前が海という土地柄故か、津波避難塔が建てられていた。
猫宮が言うように、神社の境内は冬と言う乾燥が強い時期にしてはどこか湿っぽい空気が充満していた。そして、閑散とした雰囲気を感じ取っている見藤を見た彼はおもむろに口を開いた。
「こんな田舎に人は居着かん。今おる子どもらも、大人になれば仕事を探して外へ出る。ここに残るのは年寄りと儂らみたいな人に化けたもんだけ。信仰なんてもんは廃れていくのが世の流れよ」
「そう、か」
彼の言葉を聞いた見藤は、霧子から聞いた言葉を思い出していた。信仰は廃れるものだと。
そして、先の神獣の一件。獏は己の力の誇示と欲を満たす為に事を起こしていた。そうであるならば、この水神も似たようなことなのかもしれない、と見藤は思い至る。そのために、河童達に重税を課しているのだとしたら――。
(……説得、は難しいか)
見藤の中でそう結論付けられた。
「少し、時間をくれ」
見藤はそう言うと、思考の渦の中に身を投じた。
怪異や神獣を封じる術は持っている。しかし、それが神の名を持つ怪異ならば――、どうだろうか。怪異封じはその効力を発揮するのか、予想が立たない。
その見通しが半端なまま水神の怒りを買えば待つのは破滅だ。そして、それは河童達にも危険が及ぶだろう。最悪の場合、この地域全体にも。
見藤は大きな溜め息をつきながら、首を掻いた。すると、そんな見藤の様子を見ていた霧子は眉を下げながら、遠慮がちに彼に声を掛けた。
「癪に触るのだけれど、方法がない訳ではないのよ」
「ん?」
「貢ぎ物よ。人からの貢ぎ物、お供え物。それは眷属である妖怪から納められるものより、はるかに意味があるの」
「そうか、俺が何か供えれば――」
霧子の言葉の意味を理解した見藤だが、すぐに懸念事項が頭をよぎる。
「はぁ……、俺としては霧子さんの機嫌を損ねたくないんだが」
「ふん!」
見藤はそう言うと霧子の方を見た。ぷいっ、と顔を背けた彼女はやはりと言うべきか、少しばかり虫の居所が悪いらしい。それもそのはず、見藤からの貢ぎ物を長年受け取ってきた霧子だ。
それは、衣食住。彼女が着ている洋服や口にした食べ物などの生活品、それに最近では住となる、社の分霊等々。
そんな見藤が、他の神なる怪異に貢ぎ物をする。それでは機嫌も悪くなるというものだろう。見藤としても霧子の心情を十分に理解しているために、彼女の助言を行動に移すには億劫になるというものだ。
「猫宮はどう考える?」
「あァん?俺は死体を漁るのが本業だったんだぞ?貢ぐ貢がれるの概念は分からん」
「そうか」
どうやら猫宮に意見を求めるのは見当違いだったようだ。しかし、貢ぎ物というならば丁度よい物を持っているではないか、と見藤は思い至る。
――銀の簪だ。
この出張に出る以前の依頼だ。金蚕蟲の回収をした際に、その怪異を家から引きはがす為の手段として共に捨て置かれたのが、銀の簪だ。
どうにも使いどころに恵まれず、何かに使えないかと思い仕事道具である木箱に入れっぱなしにしていたのだ。
見藤はその銀の簪の存在を思い出し、レンタカーへと取りに戻った。すると、見藤達に同行している彼を心配したのか、同族である他の河童達も集まっていた。
彼らと共に、見藤は銀の簪を包んだ手布を手にして境内へと戻る。そして、それを霧子と東雲、河童達に見せる。もちろん、その銀の簪は金蚕蟲の回収を終えた際に見藤の呪いによって、しっかりと人の穢れを浄化している。
「銀には水の浄化、解毒作用があると云われがある。それに――」
見藤はそこで口を噤んだ。そう、銀の簪という装飾品は純粋さ、誠実さを示すものであるという見方もある。水神への供え物としては十分過ぎるだろう。
見藤の言葉の先を引き継いだのは霧子だった。
「東雲ちゃんのように、純粋な子がお供え物をすれば水神だってイチコロよね」
「えぇ……、私、煩悩まみれですけど」
東雲の言葉に霧子は首を横に振った。なにも彼女が人として抱く、持つべき欲のことを言っている訳ではないのだ。
霧子が言う、東雲の純粋さ。それは見藤を想う――、素直な感情だろう。そして、それは見藤と霧子の関係に憧れを抱く彼女の想いも当てはまる。それらは愚直なまでに純粋だ。
――霧子は十分にそれを理解していた。
「分かりました、私がやります」
東雲はそう言うと力強く頷いて見せたのであった。




