38話目 出張、冬景色~四国狸のお家騒動~
時期外れの繁忙期も、もうそろそろ終わりを迎えるようだ。残る依頼は妖怪同士のいざこざのみ。
ひとつは四国狸の跡継ぎ問題。隠神、金長という狸の派閥が存在し、我こそは隠神刑部というかの有名な化け狸の後継者だと主張する、化け狸同士のいざこざだ。
そして、もうひとつ。河童の泣き寝入り、と猫宮は言っていた。どうやら、銘打たれた通り河童からの依頼のようだ。
大学が冬期休暇に入るのと同時期。久保と東雲はこの日も事務所を訪れていた。
時期外れの繁忙期も終わりを迎えようとしているため、二人の仕事は簡単な書類整理のみ。しかしながら、この二人にとっても見藤と霧子にとっても、皆が揃う空間と言うのはどこか居心地が良いようだ。思いおもい、時間を過ごしていた。
見藤は事務机に向かい、残る三人はソファーに座って温かい飲み物を片手に雑談をしている。そして、ソファーに置かれた膝掛けの上には猫宮が丸くなって暖をとっている。
ローテーブルに広げられた霧子が熱心に愛読していた旅行雑誌。それは所々、可愛らしい付箋が貼られている。そこを捲れば、露天風呂のある旅館、景観のよいスポットなどのまさに観光名所が掲載されている。
霧子は向かいに座る久保と東雲にそのページを見せた。
「ね、年内に旅行でも行かない?」
「え!?」「僕らもですか??」
霧子からの突然の誘いに、驚きの声を上げる二人。
まだ彼らの冬期休暇は始まったばかりだ。年末までには余裕があるだろう。特に東雲は神社である実家に帰省すると言っていたため、次期的にも丁度よいはずである。
二人の反応を受けて霧子は少し悪戯っぽく微笑みながら、誘いの理由を伝えようと見藤へと視線を送った。
「あいつの出張ついでに、だけどね。行き先は四国よ」
霧子の視線を受けて、作業をしていた手を止めた見藤。話を振られた彼は視線を上げて久保と東雲を見やり、その出張内容を説明する。
「四国の狸達のお家騒動を相談されてな、猫宮の仲介だ」
「狸……」「もふもふ」
「こら」
予想外な依頼主に久保と東雲は驚きを通り越して、狸というその魅力的な存在に思考を占領されているようだ。見藤は思わず、二人の意識を狸から逸らそうと声を掛ける。
すると、はっとした二人は旅行と聞いて心配する事があったようだ。先程と変わり、その顔は不安そうな表情に変わった。しかし、彼らの不安要素は予め見藤にも予想がついていたようで ――。
「え、でも…」
「ふっ、旅費は全て経費で落とす」
「「うわぁ」」
そう言って悪い笑みを浮かべる見藤に、二人は同じ反応をするのだった。
『出張』と銘打たれていたように思うのだが、既に旅費と言ってしまっている辺り、見藤自身も少なからず楽しみにしていることが伺えるというものだろう。
そして、東雲はこの面子に足りない彼女のことを尋ねる。
「沙織ちゃんは、」
「未成年は駄目だ」
それは覚りという妖怪でありながらも、人の世で生きていく選択をした彼女を尊重する見藤らしい判断である。
その意図を理解した東雲だが、どうにも沙織を仲間外れにしているような気持ちになり、少しだけ顔を暗くする。そんな彼女の胸中を察したのか、久保はなだめるように声を掛けた。
「仕方ないよ、東雲」
「そっか、そうやね」
見るからに肩を落とす東雲に、見藤は申し訳なさそうに眉を下げる。しかしながら、折れる訳にもいかず。どうしたものかと、困ったようにぽりぽりと頬を掻いた。
すると、その様子を眺めていた猫宮が助け船を出したのだった。
「まァ、土産でも買っていってやれ」
「うん!そうしよう、猫宮ちゃん」
彼の提案に力強く頷く東雲。時に、怪異 ―― もとい妖怪というものは人からの贈り物、特に地のものの土産というのを好むのだ。
沙織に対して、妖怪としてではなく年相応の少女として接している久保と東雲には、あまり関係のないことだったのか。素直に、色々な土産を吟味する時間や渡したときの彼女の喜ぶ顔を楽しみにしているようだ。
猫宮の助け船にほっとしたのか、見藤は短く息を吐いたのだった。
そうして、見藤と霧子は二人に今回の出張日程や、移動手段などの決定事項を説明し、この日を終えたのであった。
* * *
それから二週間後。見藤一行は飛行機で四国の地へと向かった。勿論、今回の依頼は猫宮の仲介であるため、彼も同行している ―― のだが、出発の数日前に猫宮をペット同伴として搭乗させようとした見藤。
二人が大喧嘩をしたことは霧子のみが知ることだった。
猫宮の姿が見えないことに首を傾げた久保と東雲だったが、手に引っかき傷をつくった見藤が「あいつは空から来るから大丈夫だ」と仏頂面で言ったことで何かを察したようだ。
そうして、搭乗。見藤は仮眠を摂り、久保は機内で映画を楽しみ、各々自由に過ごしていた。霧子と東雲は旅行先でどこへ買い物に行こうかと、会話に花を咲かしていたのであった。
空港に降り立つとレンタカーに乗り込み、道路を走らせる。次第に外の景色は、連なる山々を背にした灰色をした冬の海へと移り変わっていく。車窓から覗くその光景、久保と東雲にとっては物珍しいようで、海が見えると子どものようにはしゃいでいた。
バックミラー越しに映る彼らの様子に、思わず笑みが零れる見藤と霧子であった。
◇
そうして市街地に辿り着いたのは、もうすぐ昼間に差し掛かろうとしている時間だった。
見藤は市街地でレンタカーを停め、久保と二人で霧子と東雲の荷物を降ろす。どうやら、彼女達は一足先に観光を楽しむようだ。
「それじゃ、また後で落ち合いましょう」
「あぁ、いってらっしゃい。夕方には宿に向かう」
「えぇ、分かったわ」
そして、見藤は霧子と言葉を交わして、手を軽く振った。
見藤と久保は彼女達と別れた後、三県境へと車を走らせていた。そこはその名の通り、三つの県境が接する珍しい場所だ。が、県境というだけで山の中であるために何もないのだが。
見藤がハンドルを握り、助手席には久保が座っている。移動中は時間にも余裕があり、二人は会話が弾んでいるようだ。
「四国というのは、京都に続いて怪異 ――、というよりも昔からその存在を言われているような妖怪伝説を数多く残す地だ。地名にも妖怪の名が使われていたり、妖怪に親しみを持ち、祭りになっていたり……な」
「へぇ、凄く身近な存在なんですね」
「あぁ。まぁ、もうその数もほとんど残っていないらしいが。化け狸に河童、天狗に……、」
見藤はその先の言葉を言おうか躊躇するようか素振りを見せた。しかし、なんでもないと久保に言った。
すると、その時だった ――――。
「……!?掴まれ!!」
「うっ、!?」
見藤の剣幕と、久保の体にかかる重力。それは久保にシートベルトが肩に食い込んだことを知らせる。今度はその反動で座席に背中を打ち付けた。
思わず目を瞑っていた久保だが衝撃が納まると、恐る恐る目を開けた。その視線の先に捉えたのは ――。
「……狸だ」
「はぁーーっ、……勘弁してくれ、」
見藤はとてつもなく大きな溜め息をつきながら、うなだれるようにハンドルへ額を付き突っ伏す。相当、肝を冷やしたようだ。
久保の呟きの通り、彼の視線の先にはこちらを凝視する山の獣 ――、狸だ。狸が一匹、車道へ飛び出して来たために、見藤は咄嗟に急ブレーキを踏んだのだった。
「すまない、久保くん」
「いえ、大丈夫です。にしても、こんな所に狸なんて ――、っ!?」
久保が言い終えるよりも前に今度はぐらり、と車体が傾いたのだ。そして、何かが車体を左右に大きく揺らしたかと思うと、タイヤが大きな音を立てる。そして、その次には目の前の景色が平行になった。どうやら、車体の自重で元に戻ったようだ。
すると、フロントガラス一面が白い毛に覆われた。次にはぬっと出て来た、大きな目と視線が合う。
「よぉ、早かったな」
「……猫宮ぁ」
聞き慣れた声に安堵する見藤と久保。それはレンタカーに降り立った、火車の姿をした猫宮だった。彼の思わぬ合流方法に悪態をつく見藤。
この場面で猫宮が合流を果たしたとなると、目の前に飛び出して来た狸というのは ――。
「お待ちしておりました」
どこからともなくそう話す声が聞こえて、ぺこり、と狸が頭を下げたのだった。
目の前の光景に久保は目を丸くしている。隣の見藤は今更何に驚いているんだ、という視線を送る。そう、この目の前の狸はただの狸ではない。
―― 化け狸、古狸、怪狸などと称されるように、れっきとした妖怪だ。
見藤は車を脇に停め、久保と共に車から降りる。はっと息を少し吐くと、息は白み消えた。山というのは些か冷える、その寒さに思わず肩を縮めた。
猫宮は火車の姿のまま、何やら道端の狸と話し込んでいる。そして、話し終えたのか、猫宮は見藤の元へと歩いて来た。
「こっちだ、ついてこい」
「いや、車 ――」
オオヤマネコのような顔をくい、とそちらの方向へ向けた猫宮に見藤は「ちょっと待て」と制止する。そう、車道にこのままレンタカーを乗り捨てる訳にもいかないのだ。
そんな見藤と猫宮のやり取りを眺めていた狸は、足元まで走って来ると彼らを見上げて声を掛けた。
「大丈夫です、お任せください」
と、狸が言うや否や ――。どこから取り出したのか、狸は青々しい葉を手にした。そして、突如として吹く突風。思わず、目を瞑った見藤と久保。
次に目を開くと、そこにレンタカーの姿は跡形もなくなっていた。化け狸の妖術によって車の姿を隠してしまったのだ。それは、ほんの一瞬の出来事で久保は目を丸くしている。
「ほーん、大したもんだな」
「ありがとうございます。では、参りましょう」
猫宮が感嘆した声を上げ、それに礼を言う狸。猫宮や人に対して、ここまで丁寧な態度で接する狸に、どうやら彼は比較的若い個体のようだと久保は考える。一方の見藤は、何やら怪訝な表情を浮かべていたのだった。
そして、若狸に促され見藤達は山へと足を踏み入れた ――。
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