37話目 金の蚕③
すっかり夜の帳を降ろした暗闇の中、社長は車を停めている場所まで必死に走った。―― その最中、突如として脳裏によぎる言葉。
『毎年、清算しないといけない』
確か、曾祖母がそう言っていたような気がする。まだ、辛うじて養蚕業を営んでいた時代の人だ。それは、手広く行う事業のことだと考えていた。
高齢だったために認知機能に障害を持ってしまったが、仕事のことだけは最後までよく覚えていたと祖母が話していたことを思い出す。
(も、もしかすると本当に……)
人ならざるものの手を借りてこの地域は発展していたのだとすれば、物書きだという男の話と、彼が話していた民族学者の話。不思議なことに、それら全てが繋がっていく。
それに加えて『おはしらさま』と呼ばれるあの不思議な神社や養蚕業の繋がり。その一つひとつが繋がっていたのだとしたら ―――― 背筋に、強烈な悪寒が走った。
* * *
翌日。社長である男は、出勤早々に年配従業員を呼び止めた。
「え、あの客人の所在ですか?社長」
「道満さん。えぇ、何か知りませんか」
「あぁ、連絡先なら聞いとりますんで。こちらです」
「ありがとう」
―― 道満、それが年配従業員の名だった。なんとも珍妙な氏だが、彼は昔からこの地に住む家の者だ。
民族学者から話を聞いた、と言っていた物書きだと言う男。もしかすると、その手の話の続きを知っているかもしれない。社長はそんな淡い期待を抱く。
どうか、何か手立てを教えてもらえまいか。そんな気味が悪いモノなど ―― 現代においては不要であるのだ。そんな思考に埋め尽くされる。
社長は事務所に据え置かれている電話を取り、外線に繋げる。そして、年配従業員から聞いた電話番号を打ち込んでいく。心なしか、その指は震えていた。
数回に渡る呼び出し音の後に、通話が繋がったことを知らせる短い音。その音は得も言われぬ安堵をもたらした。
『はい、見藤ですが』
「あっ!先日はどうも ――」
そんな形式だけの挨拶を早々に終えると、社長は要件を伝えた。
金蚕蟲の話には続きがありますか?と。その話を聞かせて欲しいこと。そして、もしその怪異なるものから逃れるには一体どうすればいいのか。
社長の中には、見藤という物書きなる男がどうして突然そのような話をして来たのか、と疑問を抱くかもしれない、という思考など持ち合わせていなかった。
すると、不思議なことに彼はあっさりとその話を教えてくれた。
―― 唯一、金蚕蟲から逃れる方法。
それは『銀装飾の簪、香炉と香灰 ―― すなわち金蚕蠱を布で包み、十字路に置き去る。すると、銀装飾の簪を見た人がその価値に目が眩んで自然に拾っていき誤って包みと一緒に金蚕蠱も拾っていく、という。金蚕蠱は拾った人についていき、その者と共に去っていく。そうすれば、家に要求される贄はなくなる。しかしながら、得た豊穣、富を全て手放すことになる。』というものだった。
「そ、その話は本当ですか……?」
『えぇ。なにぶん、この地方に伝わる民俗学を研究している者から聞いた話ですので。確かな情報だと思います』
男はそう言って何やら考える素振りをするような間をおいて、「そう言えば正午辺りがよいと言っていたような……」と、まるで独り言のように電話口で呟いた。
銀装飾の簪、と聞いて社長はすぐに思い当たるものがあった。昨晩、金蚕蟲のことが書かれた手記に挟まれていたものだ。残るは、香炉と香灰だが ――。
乾いた喉が水を欲するかの如く、早く行動に移したい気持ちが沸き上がる。もう行方不明など面倒事は沢山だ、とその先に待つツケのことなど ――、社長の頭には一欠片もないのだ。
そもそも、その金蚕蟲という怪異が、どこにその住処をおいているかどうか。この男はそれさえも知らないと言うのに、焦燥感は判断を鈍らせる。
◇
「上手くいったみたいだな。ボロが出る前で助かった……」
その日の正午過ぎ。田畑を見渡せる十字路に佇みながらそう呟いたのは ――、見藤だ。彼はゆったりとした歩みで、銀装飾の簪が上に置かれた包みを手にする。すると、その包みを開いてみせた。そこには、香炉もなければ香灰もない。
しかし、奇妙なことにそこに居るのは――、紛れもなく金蚕蟲。金色の色をした体を持ち、蠢いている。その丈は蚕というにはあまりに大きい。見藤の手の平を水平に渡った大きさをしているほどだ。
見藤はその姿を目にすると、小さな溜め息をついて話し掛け始めた。
「お前はどうしたい?人を喰らったことは咎めなければならないが……」
見藤の言葉を理解しているのか、包みの上でもぞもぞと動いていた金蚕蟲はぴたりとその動きを止めて、頭をもたげた。どうやら、彼を見つめているようだ。
そして、見藤は言葉を続ける。
「消滅させるには忍びないが……、封印の眠りにつくのか、このまま何処かへ行くのか。ここだけの話、俺はどちらでも構わない。これは人の強欲さが招いた結末だ。俺は人だが ―― 同情はしないし、人を助ける義理もない」
それは怪異に心を砕く、見藤らしい提案だった。人を好んで喰らうという金蚕蟲の行動原理は、おおよそ怪異としての『役割』にある。それに、人の命というものは ―― 時に、豊穣や富を授ける贄として十分な対価となるのだ。
大昔において盛んに行われていたような、雨乞いなどで人を生贄として捧げるというものと近いだろう。
見藤の言葉を聞いた金蚕蟲はぴたりと動きを止めた。そして、瞬く間にその身を繭で包んだ。と思う否や、ものの数秒で羽化して見せたのだ。
ゆったりと両羽を広げ、鱗粉が太陽光に反射して輝く。その体は黄金に輝き、複眼に見藤を映す。羽化した金蚕蟲は、見藤の顔から胸までの大きさをしていた。
そもそも蚕というのは、人の手によって家畜化された虫だ。野生回帰能力を完全に失ったその虫は、自らの力で生存すること叶わず。体が大きいことや、飛翔に必要な筋肉が退化してしまったことで、羽ばたくことはできるが飛ぶことはほぼできない、なんとも哀れな虫だ。
蚕という虫を踏襲したような風体の、金蚕蟲が自らの意思で羽化することを選んだ。―― それは、人の手からの脱却。
そして、怪異としての特質を生かせば飛ぶことができない蚕と異なり、大空を羽ばたくことができるだろう。
そんな金蚕蟲の意図を読み取ったのか、見藤は諭すような口調で言葉を続ける。
「いいか、もう人は喰うな。次に人を喰えば ――」
『問題ない。そもそも、人を喰らうよう強要してきたのはそちら側だ。それに ――、人の命というものは、まずい』
「……それは、なんとも言い難いな」
突然、言葉を話し始めた金蚕蟲に驚きを隠せない。それにその言葉も、どう反応してよいのやら。少し困ったように答えた見藤に、金蚕蟲はからかうように黄金の羽を小刻みに羽ばたかせたのであった。
兎にも角にも、これにて『金蚕蟲を回収する』という大きな依頼は完了した。
―― 見藤の手には、空となった包みと銀装飾の簪が持たれていた。
「さてと、キヨさんへの報告……どうするかな。にしても、隔絶された田舎の因習というものは本当に、碌なことがない……」
長い溜め息をつき、そう呟いた。そんな彼の肩に金蚕蟲がとまった。見藤はてっきり、金蚕蟲はこのまま大空へと羽ばたき、姿を消すものだと思っていたのだ。思いがけない金蚕蟲の行動に呆気にとられている。
見藤は既に依頼を終え、残るは事務所へと帰るだけなのだ。そうなると、この金蚕蟲もついて来ることになる訳だが ――。
「ん?着いて来るのか?」
『行く当てもない』
「そうか。うーん……お、そうだ」
困ったような金蚕蟲の声音を聞いた見藤。そんな彼が抱くのは、金蚕蟲への同情だ。
金蚕蟲は今日までこの地に囲われていたのだ。おおよそ数百年、この地の発展のために望んだ訳でもなく人を喰らい、富をもたらしてきた。
自由の身となったと言えば聞こえはいいが、突然に広大な世界へ放り出されたにすぎない。怪異という存在がどういうものなのか ――、人から生み出された金蚕蟲には、その知識がないのだろう。
見藤は少し考える素振りを見せると ――。
「いいアテを知っている」
そう、悪戯な表情を浮かべながら金蚕蟲へ話しかけていた。
* * *
依頼を終えた見藤が辿り着いたのは ――、煙谷の事務所であった。
「こないだうちの助手が世話になった礼だ」
突然訪ねて来た見藤の姿を目にした煙谷は事務仕事をしていた手を止めて、心底嫌そうな表情を浮かべた。しかし、彼の肩にとまる羽化した金蚕蟲を目にすると興味深そうに頬杖をついたのだった。
見藤は煙谷が向かう事務机の前まで足を進めると、ひと言。
「これでチャラにしろ」
「それ、君が言う台詞じゃないでしょ」
見藤の言葉に、呆れたように返す煙谷であったがその表情は彼が何をもってしてチャラにしろと申し出ているのか、見当がついている様子だ。
見藤の肩にとまっている金蚕蟲も、煙谷が煙々羅であることは既に分かっているのだろう。複眼にじっと彼の姿を映し出していた。
「ふぅん……。ま、いいか」
『世話になる』
含みを持たせたような返答の後、煙谷はにやりと笑ったのであった。その言葉を聞いて、金蚕蟲は黄金の羽を優雅に羽ばたかせながら、見藤の肩を飛び立つ。
そして、煙谷の元へと降り立つと、そう言った。
―― こうして、依頼は丸く収まった。キヨへの報告書を除けば、だが。
◇
そうして、煙谷の元から自身の事務所へ帰り着いた見藤。扉を開くと出迎えてくれた霧子の姿に自然と目元が緩む。
見藤は荷解きをほどほどに終えると、ソファーに座る彼女の隣に腰かける。ふと、目にしたローテーブルに置かれた雑誌の数々。今日、霧子はいつものように雑誌を読んでいた様子が伺える。
「なぁ、霧子さん」
「なに?」
「四国の狸達の依頼なんだが ――、」
見藤は霧子の読書の切りがいい所で声をかける。そう、この繁忙期。残る依頼は妖怪同士のいざこざのみとなった。
ひとつは見藤が口にした、四国狸の跡継ぎ問題。隠神、金長という狸の派閥が存在し、我こそは隠神刑部というかの有名な化け狸の後継者だと主張する、狸同士のいざこざだ。
そして、もうひとつ。河童の泣き寝入り、と猫宮は言っていた。どうやら、銘打たれた通り河童からの依頼らしい。
詳しいことはまだ報告を受けていないが、両者とも近い地域に生息している妖怪達だ。そうなれば、まとめて一気に依頼をこなしてしまおう、という魂胆だ。
と、なれば依頼を遂行するには、自ずとそれは泊りがけになるというもの。見藤は霧子に、同行を願い出ようとしていたのだが ――。
「ふふっ、それなら既に私が素敵な旅行計画を立てたのよ!」
「……旅行計画?」
霧子からの思わぬ提案に、見藤は彼女の言葉をオウムのように繰り返す。どうやら霧子は見藤よりも先に猫宮から事の詳細や場所を聞き及んでいたようである。
彼女は、それはもう楽しみだと言わんばかりに可愛らしい付箋を付けた旅行雑誌を取り出したのだ。
「《《皆で》》行くのよ、四国へ!!」
「…………」
霧子が口にした、『皆で行く』その言葉通りならば久保と東雲も同行する、ということだろう。見藤としては霧子と二人で、出張がてら旅行気分を味わうつもりであった。おおよそ、十数年前に彼女と全国を旅したあの頃を思い出すように。しかし、霧子からの思わぬ提案に、見藤は何も言えずにいる。
そう言えばここ最近、霧子は旅行雑誌を愛読していたと思い出す。それがまさか、この為だったとは。
「ふふ、楽しみだわ」
そう言って柔和な笑みを浮かべる彼女を目にすると、見藤はさらに何も言えなくなるのであった。ただ、ひと言 ――。
「そうだな」
彼女の笑みにつられ、そう返したのであった。
※金蚕蟲関連の話は脚色強めです。




