37話目 金の蚕②
「あの、角を曲がるような二重の鳥居の神社は ――?」
「ここの氏神さまですよ。ここら一帯は昔、養蚕業が盛んでしてね。その養蚕業の繁栄を祈って、畏怖の念と親しみを込めて『おはしらさま』と呼んでいました」
「そうですか。養蚕業と言えば、もっと北の方かと……」
「それが珍しいもので、養蚕業が盛んだったのはここらの辺りだけなのです」
「それは興味深い」
年配従業員の説明に、来客の男は興味深そうに頷いているようだ。どうやら、物書きの取材というのは本当であるらしい。如何せん、彼の風貌は物書きとは遠くかけ離れているように思うのだ。しかし、それは口にしないでおく。
―― そして何故、こうもありありと会話の様子が伺えるのかと言うと。
(声が大きい……)
彼らは少し離れた応接室にいるはずだが、会話が丸聞こえなのである。特に、年配従業員の声が大きい。それに相槌を打つ男の方はそうでもないのだが、一度気になってしまえば、耳はその会話を拾おうとする。
―― 思わず、社長は頭を抱えてしまった。
それは目の前に座る中年の警官も同じであるようで、眉間に皺を寄せている。しかし一方、男に敬礼をした若い警官はこちらの聴取よりも、あちらの会話内容が気になるような素振りを見せている。
なにか気になる話でもあったのか、それとも些細なことでも事件解決の糸口となるようなことがないのか、気を張っているのか。それは定かではない。
どうやらあの男はこの地における民俗学の取材に訪れたようだ。あちらから聞こえて来る会話は、社長にも馴染深い話だった。
そうして、年配従業員と物書きだという男は話し込んでいるようだ。
―― 男の声が聞こえる。
「どうにも、北の方で養蚕の神さまと呼ばれるものと似ていますね。とても興味深いです。それに ――、金蚕蟲というものを知っていますか?」
「はい?」
「金蚕蟲というのは、その家に囲われ、祀り上げられた信仰対象でしてね。その名の通り、金を生み出す蚕です。何ら変哲もない畑の畝には大きな野菜が育ち、冬も同じく豊富な収穫量が懐を潤す ―― そして、秋になればその実りを示すかのように黄金に輝いた穂をもたげる光景が美しい土地となる、そんな恵みをもたらすとされています」
これまで口数が少なかった男がそう話す。彼はいつになく饒舌で、何かを確かめるような口調であるように思えたのは気のせいであろうか。
すると、その話を聞いた年配従業員がさらに大きな声で答える。
「その話は、この地に伝わる発展の歴史に似ておりますなぁ!」
「偶然でしょうか」
「その話はどちらから?」
「いえ、知り合いの民俗学者から聞き及んだ話ですよ」
大きな声の会話に、既にこちらの雰囲気は失踪した従業員の事情聴取どころではなくなっていた。社長は、思わず警官二人に対して「うちの従業員がすみません」と謝罪をしたのであった。
◇
それから、物書きだという男は取材を終えたのか、軽い別れの挨拶を交わしていた。会話を終えたその場は、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返る。
年配従業員が見送るというので、社長はふたつ返事で彼を送り出した。
―― ようやく、静かに話ができそうだ。
「はぁ……、本当にすみません」
「いえ、こちらも突然伺ったもので ――。ところで、彼はこちらに勤めて長いのですか」
「え?えぇ、まぁ……。私は出戻りなものでして、私よりも彼の方がここの内情をよく知っているかと……」
若い警官からの突拍子のない質問。どうしてそんなことを聞くのだろうと、不思議に思いながらも社長は問いに答える。
「彼」というのは年配従業員のことだろう。若い警官は、神妙な面持ちをしながらそっと ――。
「でしたら、あの事件のことも知っているかもしれませんね……。おはしらさまの神社で発見された、繭のような物で包まれた遺体遺棄事件、」
「おい!!」
突然、中年警官が声を荒げた。おおかた、公表されていない情報を口走った若い警官を咎める為であっただろうが ――。
若い警官の話を聞いた社長は、先程の年配従業員と物書きだという男の会話が頭から離れなかった。
先々代よりも前の時代に発展した養蚕業、金蚕蟲という人の家に祀り上げられた信仰対象、そして繭のようなもので包まれた遺体遺棄事件。
そして、突然の失踪事件。抱いた違和感は消えることなく、思考の奥底でくすぶっていた。
それから、中年警官から失踪する前の従業員の様子を細かく聴取された。勤務態度や、社内での交友関係、出勤簿や有給取得まで。
―― 全ての聴取を終えた頃には、外の景色は夕暮れとなっていた。
社長はこの失踪事件を受けて早めに従業員を帰宅させ、事務所の戸締りに追われていた。順番に施錠を確認し、深い溜め息をつく。
従業員の失踪という、突如として訪れた非日常をどう受け止めればよいのか分からないのだ。警官への情報提供は可能な限り行った、あとはことの成り行きを見守るだけだ。失踪した従業員の無事を祈るしかできない。
ピピッ、と電子音が響き、最後の施錠を確認した。ふと、顔を上げると目に映る古い倉庫。あの倉庫は自分が戻るより以前から手つかずであったと思い出す。
その倉庫は先々代よりもずっと昔からあるもので、古くなれば同じ場所に建て替えられてきた。その中には、この地の発展を語り継ぐような農耕器具や、養蚕業の名残である巣箱などが保存されているのだが ――。
一体何故なのか、その日はやけにその倉庫が気になったのだ。社長はその倉庫の鍵は自宅の金庫に保管されていたはずだと思い出し、一旦その場所を後にしたのだった。
◇
―― そうして、社長はその手に古めかしい鍵を握って倉庫の前に戻っていた。
こうも焦燥感に駆られるのは一体何故だろうかと、車を停めた場所から走って戻ったために乱れた息を整えながら男は疑問を抱く。
どうにも、嫌な予感がするのだ。それは、虫の知らせというやつなのかもしれない。
カチャリ、と静かに解錠される音が薄暗い辺りに響いた。観音開きとなっている倉庫の扉をゆっくりと開く。社長は一度帰宅した折に、懐中電灯を持参していた。
懐中電灯の電源を入れ、倉庫内を一通り灯りで照らす。灯りに照らされ、白く反射するのは長年放置されて積もりに積もった粉塵だろう。
「流石に埃っぽいな……」
その埃臭い匂いに、社長は思わず咳き込む。どうやら思ったよりも長らく放置されていたようだ。
一歩、また一歩と何かに誘われるように倉庫内へ足を踏み入れる。倉庫内は聞き及んでいた通り、昔ながらの農耕器具や木箱が多く保管されていた。
そして、目に留まったのは古めかしい手帳のような物。それに、光る装飾物。
手帳は鉄製の棚に雑然と置かれているだけの物だった。目を引いたのは懐中電灯の光がその装飾物にきらりと反射したからだ。
目を凝らして見ると、表紙は所々装丁が剥がれ落ちている。そして、その装飾物だと思った物は奇妙なことに、銀装飾の簪が差し込まれていたのだった。
社長はその簪を外すと手帳を手に取り、何を思ったのか ――、ぺらりと開いた。
『この地の発展の歴史は、血塗られたものであると語り継がなければならない ――』
その手記の書き始めは、そんな物騒な文言から始まっていた。抱いた違和感が何であるか、それを確かめるかのように、社長の手は次のページを捲る。
『金蚕蟲、もしくは食綿虫と呼ばれる怪異が存在する。それは犬神と同じく――、人の手によって造られた呪物とも呼ぶべき怪異だ。
その製法は蟲毒によるもの。毒のある生き物を集め、十字路に埋める。そうして、しばらく経過すると今度は香炉の中に保管しておく。すると、蟲ながらも火を恐れず、消滅させることが非常に難しい蟲 ――、蚕の怪異となる。
金蚕蟲を飼う家は家畜を飼えば大きく育ち、畑に農作物を植えれば大きく育ち豊穣をもたらす。病気になることが少なく、死ぬような大病もせず、数代に渡って財産を築くことが出来る。その恩恵を忘れてはならない。
金蚕蟲は人を食べることを好み、年に一度は人を喰らうという。これには ――、人を買ってきて金蚕蠱に食べさせる必要がある。それを年の初めとした場合。年の暮れにはその家の主人はその年に得た豊穣の清算をしなければならない。』
ここで言う『人を買ってきて金蚕蠱に食べさせる』というのは、大昔であれば口減らしとして売られた人、または奉公に出された人の事であろう。
―― ごくり、と唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。そして、静かに次のページを捲る。
『金蚕蟲の運用について。
毎年年末になると、家の主人は金蚕蟲と清算をしなければならない。その年に得た富の数を言い、差し引きが多いほどその年に得た利益が多いことを意味する。
その利益に見合った奉公を清算しきれないと家中の人間が徐々に死んで行き、よい結果は訪れない。喰われるか、病に倒れるか ――。
そのため、もたらされた富に余剰があった場合、金蚕蟲に捧げる贄が必要になる。家の主人が呪い殺したいと思う人を金蚕蟲に告げ、喰わせる。そうすれば、清算の帳尻合わせはこれにて完了する。』
所々昔ながらの文章で書かれていたのだが、要約すると上記のような内容だ。知らぬうちに自分の手が震えているのか、目前の文字がぶれる。
―― 社長はようやく声を絞り出した。
「な、なんだ……この手記は」
もし、この手記に書かれていることが本当であったのなら ――。
『おはしらさま』は何も、養蚕業の神などではないのかもしれない、と思い至る。柱とは神を数える際に用いる言葉だ。神話の時代、国を支える柱として御わした神々をそう数えたのだ。
それは、この土地において贄として捧げられた人を「柱」として数えることに踏襲したのであったならば。そして、その供養として神として祀り上げたのならば。なにも、おかしなことはない。時に、柱という言葉は「人柱」などに用いられる。
―― その贄は、金蚕蟲によって喰われる人間だ。
社長は恐ろしさのあまり、その手記を放り投げて倉庫から走り出した。
今回の起きた従業員の失踪事件。それはこの話と無関係なのか、否か。くすぶっていた疑念が、形となった瞬間だった。




