36.5話目 見藤の休日②
見藤と猫宮。そんな珍しい組み合わせの買い出しの途中、見藤は沙織とばったり出会う。どうやら、彼女の生活圏は彼らと同じであるようだ。
しかしながら、夕刻も過ぎ去ろうという時間に彼女が一人で外を出歩いていることに疑問を抱く。そんな見藤の心中を読み取ったのか沙織はふぅ、と溜め息をついたのだった。
「大丈夫、最近あの人帰ってこないから」
「……」
「あ、寧ろそっちの方が私も気が楽だから心配しないで」
沙織の言葉を聞いた瞬間。見藤の眉にこれでもかと言うほど皺が寄り、その眼光は人を射殺せそうな鋭さを放っている。彼女は慌てて静かに怒る見藤をなだめる。
あの養父はついに親の責任を放棄したようだ。どうせ、外に新しい女でも作ったのだろう。実に人というのは身勝手だ、と見藤は辟易とする。
そして、目を反らすことなく現状を受け止める彼女の健気さに、見藤は溜め息をつく他なかった。
「はぁ……、うちに寄って行くといい」
「いいの?」
「皆で夕食を摂ろうかと思ってな。今日はこれから久保くんと東雲さんも来る。随分と賑やかになるぞ」
「うん!」
嬉しそうに頷く沙織の姿に、目を細めた見藤であった。
* * *
そうして、見藤が沙織を連れて事務所へ戻ると ――――。
「……つまみ食いしたな、霧子さん」
「ち、違うわよ!味見をしただけよ!?」
「……」
見藤がちらりと、ローテーブルの上を見やると既に開けられた一升瓶の王冠。そして、大吟醸が注がれたコップ。
味見、もといつまみ食いをするために使ったと思わしき取り皿と、蓋が開きっぱなしの練り辛子。
「霧子姉さん。それは最早、食事中の光景だよ」
「あら、いらっしゃい。美味しいわよ?」
沙織の指摘もものともせず、霧子はごくりと大吟醸が入ったグラスをあおった。そして、すかさずパクりと大根を頬張ったのだ。
その様子を見ていた沙織は彼女の傍へ行き、すとんと、隣に座る。
「ダメだよ?もう」
「ふふ」
沙織はそう言いながら、ぎゅっと腰に抱きついた。その仕草は霧子にとっても、彼女を可愛らしく思うものだったのだろう。
霧子は沙織を抱き締め返して、優しげな笑みを浮かべている。そんな光景に誰よりも目を細めていたのは、見藤だった。
しばらくすると ――。
「こんばんは!」
「見藤さん、追加のおかず買ってきましたよー!」
「お、いらっしゃい」
景気のよい東雲の挨拶と共に、久保が手に総菜の入った袋を提げてやって来た。二人は、霧子と沙織を目にすると顔を見合わせて、にんまりと笑ったのであった。
皆で囲む食卓というのは賑やかであればあるほど、その時間を豊かにしてくれるようだ。
ローテーブルの中心には温められているおでんが鎮座し、その周りには総菜や飲み物が並べられている。各々、取り皿に好きなように料理をとりわけ、食事を楽しんでいる。
ローテーブルで隔てられたソファーには見藤と霧子、そして沙織が。向かいのソファーには久保と東雲、猫宮が座っている。
「このおでん、すっごく美味しい…、です」
「キヨさん直伝だからな」
「なるほど」
普段であれば雑な食生活を送っているであろう見藤が作るにしては、上品な味に驚く久保と東雲。なかなかに失礼な助手達であるが、見藤は気に留めていないようだ。
寧ろ、彼らにも気に入ってもらえたようだと満足げだ。こうして賑やかな食事の時間は過ぎていく ――。
「沙織ちゃん」
「ん?」
「ありがとう」
そんな中、突如として久保から礼を言われた沙織はきょとんとした顔をしている。勿論、もぐもぐとおでんを頬張ることは休まない。大きめの大根をごくり、と嚥下してようやく一息ついた。
「なんのこと?」
「夢遊病の件。君が助けてくれたって聞いて。やっと、お礼が言えた」
久保はそう言って気恥ずかしさを誤魔化すように、おでんへ箸を伸ばす。
―― 獏の一件から、久保は療養期間として事務所へ顔を出さない日々が続いていた。沙織も、私生活における環境の変化から事務所を訪れることはなかった。
そして、沙織に贈ろうと東雲と共に選んだプレゼントも――。彼女へ渡されることはなかった。
「いいってこと。それにお兄ちゃんを一番心配してたのは、おじさんだから」
「そっか」
「うん、そう」
沙織はそう言って、おでんに箸を伸ばそうと前のめりになる。そして、そんな二人の様子を見ていた東雲。彼女はタイミングを見計らっていたかのように沙織へ差し出した ――、可愛らしくラッピングされた包み紙。
「遅くなったけど、うちと久保の二人から」
「え?」
「沙織ちゃんに」
沙織は差し出された包み紙をおずおずと受け取ると、恥ずかしそうな表情を浮かべていた。その顔は怪異らしからぬ、女子中学生という年相応なものだった。
その様子を傍から見ていた、見藤と霧子、そして猫宮は彼らの行く末が明るいものであるよう、願うのだった。
「さて、飲むわよ!」
「姐さん、こっちの酒もうまいぞ!」
「え、そうなの!?ちょっと、味見を ――」
「……加減してくれよ、」
霧子の景気よい掛け声を合図に、始まった怪異達の酒盛りに巻き込まれるのは ――。
「うぅ…もう、無理」
「はーっはっは!情けないなぁ、久保は!」
「一緒にしないで、」
久保と東雲であった。久保は既にダウン寸前、ソファーにもたれかかり天を仰いでいる。
―― そうして、宴もたけなわ。
ローテーブルに並べられていたおでんや総菜はすっかりその姿を消し、グラスも空になっている。霧子と猫宮により、空瓶が床に数本転がっている有様だ。しかし、どうやら怪異である彼らはまだ飲み足りないのか、新しい酒瓶を開けている。
見藤はその様子に肩を竦めながら、卓上を片付けようと立ち上がる。服が食器に触れないように、袖を捲った。
「あれ……、見藤さん」
「うん?」
「その、腕の傷 ――」
東雲の目に留まったのは腕捲りをした袖から覗く傷跡だった。それは直線的で、どうやら切り傷のようだ。東雲は、どうして今になってその傷痕が目を引いたのか不思議に思った。―― そうだ、見藤は真夏でもスーツを身に纏っていた。それもワイシャツは長袖であったと思い出す。
「あぁ、ガキの頃に怪我をしたんだ。なんともない」
見藤はそう言うと、せっかく捲った袖を手早く戻していた。
そうして、彼は空いた食器やグラスを片付けていく。その様子を見た東雲は、自分も手伝おうと慌てて立ち上がった。しかし、酒が回った体ではふらつくのは当然で。ぐらり、と回った視界の先に見えたのはソファーだ。
「ぶべ、」
「いいから、座ってなさい」
「ふぁい」
豪快にソファーへ倒れ込んだ東雲を気遣い、見藤は一人後片付けをするのであった。
◇
そうして、夜も深くなり ――。見藤は沙織を猫宮に送らせると、ソファーで眠りこける久保と東雲を見やる。
この二日間、ゆっくりと体を休めることができた。それには霧子の彼を想う心情と、久保と東雲 ―― 彼らの頑張りがあってこそだろう。見藤の胸中を占めるのは、彼らへの感謝だ。
「まぁ、この忙しさもそろそろ終わる。あと少しだ」
「そうね」
見藤と霧子、二人はそれぞれ久保と東雲に毛布をかけてやるのだった。
―― こうして、見藤の休日は終わりを迎える。




