36.5話目 見藤の休日
休日一日目。見藤はすっかり昼夜逆転の生活になってしまっており、それを正すことに一苦労しているようだ。
見藤が仕事をしないよう、霧子と東雲が監視する中。大概、彼は居住スペースで睡眠をとっていることが多い。昼の時間になり、痺れを切らした霧子に起こされ、事務所の方へ顔を出しても寝ぼけ眼でうつらうつらしている。
それに加え、整えられていない寝癖のついた髪の毛と徐々に伸びてくる無精髭。見藤の風貌はなんとも、冴えないおっさんに戻っていた。
そうこうしているうちに、夕暮れが近づいて来た。
見藤が伸びた髪を流石に鬱陶しく思い「散髪に行く」と言い残して外出した時も、ふらふらと足元がおぼつかない様子であった。その背中に心配そうな視線を向けながらも、彼女達は見送った。
そうして、小一時間ほどが経ち ――。
「ただいま」
「「おかえりなさい」」
霧子と東雲に出迎えられた見藤は、目に入った光景に珍しく眉を顰めたのであった。そんな彼の風貌は、無精髭を蓄えて短く切られた前髪、少し癖毛を残しながら後頭部は刈り上げられていた。
見慣れた見藤の姿に、東雲はうんうんと力強く頷いている。
「これは、どういうことだ」
日中の間、心ここに在らずであった見藤は、ようやく意識がはっきりしたようだ。そして彼が目にしたのは、事務机においてあったはずの書類が数枚減っている光景。朝方は意識がぼんやりとしていたためか、気付かなかったようだ。
人に関することは記憶が朧気になりがちである彼だが、物に関してそれは当てはまらないようだ。特に、怪異事件などの仕事に関しては。
見藤は事務机に向かって無言で歩いて行く。そうして辿り着くと椅子には座らず、立ちながら、どの依頼書がないのか、どの依頼書が完了しているのか、細かく確認している。
あからさまに不機嫌な見藤の声音を聞いた、霧子と東雲は思わず彼の背から視線を反らした。そして、心なしか表情が強張っている。
「霧子さん、東雲さん」
「「はい」」
「説明してもらおうか?」
見藤によって二人に向けられた爽やかな笑みは、彼女達への怒りを示すには十分だったようだ。霧子は洗いざらい、事の流れを話すに至ったのだ。
彼女の話を黙って聞いていた見藤は、頭痛がするのか眉間を押さえている。そして、大きな溜め息をついた。
「~~~~っ、はぁ…………」
「べ、別に危険な依頼って訳じゃなかったのよ!?」
「霧子さん、」
「……………………」
名を呼ばれ声音と視線だけで咎められる。
何も、見藤とて理由なく怒っている訳ではない。彼女の、見藤を気遣う気持ちは十分に伝わっていることだろう。しかしながら見藤としても、助手達と霧子を危険な目に遭わせるつもりなど毛頭ないのだ。
―― もし何かの拍子にそうなれば先陣を切るのは自分だと、そう考えている。
見藤と霧子。互いに想い合い、再びぶつかり合う譲れぬ主張があったのだが ――、するとそこへ呑気な声が突如として響いた。
「こんにちは、霧子さん!それじゃ僕は煙谷さんの所へ行ってきま ――、」
「久保くん」
「は、いっ!?えっ、見藤さん!?」
「君は一番、お灸を据えないとな」
にこり、と笑った見藤は恐ろしかった。それを見た久保は思わず、変な声を上げてしまった。
◇
「煙谷は煙々羅だ。既に、君と怪異であるあいつとの間には一時的な契約が成されている。それは事が終わるまで誓約として働く」
「と、いうことは?」
―― ちらり、と久保が見藤を見やる。どうやら、彼はこの短期間のうちに、どうにも強かな一面を存分に発揮するようになったらしい。
久保の挑発的な返答と視線に、見藤の眉間にはこれでもかと皺が寄った。そんな彼の様子を遠巻きに眺めていた霧子は、とばっちり食らうことを恐れて社へ姿を消したのであった。残された東雲は、こそこそと帰宅する準備をしている。
「はぁーーーー…………。行ってらっしゃい ――、とでも言うと思ったか!!」
「うっ…………!?」
「説教だ!!」
珍しく声を荒げる見藤に久保は体をびくつかせた。その次には、こんこんと説教されたのであった。彼は扉の前で地べたに正座をし、その説教を受け入れる他なかった。
―― 煙谷との約束の時間に、久保が遅れたことは必然であった。
* * *
休日二日目。その日、見藤は朝から霧子と買い出しに出掛けていた。
―― その折に昨晩、事務所で夜を明かした久保を起こして帰宅させることも忘れない。彼は一度、自宅へ戻り夕方頃に再び顔を出すらしい。
見藤の手には買い物袋がいくつか提げられ、霧子の腕の中には酒屋で購入した一升瓶が大事そうに抱かれている。今日はこれから、事務所で一杯やるようだ。主に霧子が、だが。
事務所に帰り着いた見藤と霧子は各々コートを脱ぎ、買い物袋から食材を取り出していく。その食材は給湯スペースに設置されている小さな冷蔵庫へとしまわれる。
そして、見藤は給湯スペースに設けられた吊棚へと手を伸ばす。
「どこへしまったか…………」
「戸棚の右側じゃないかしら?」
「ん。よっと、」
何かを探す素振りをしていた見藤に、霧子が助言をする。長年共にいた二人の間であれば、何と言わなくても伝わるようだ。
そうして探し物を見つけた見藤の手には、大きめの土鍋があった。彼はこれからの意気込みを己に確かめるように頷いた。
◇
そうして、おでんを仕込む見藤の姿があった。
大根、ゆで卵、こんにゃく、さつま揚げ、牛すじ。そして、がんもどきに餅巾着。変わり種として串に刺されたミニトマト、卵焼きだ。二人で食べるにしては大きめの土鍋にこしらえられていく、おでんの具。
「仕込みすぎたか?」
「そう?いいんじゃない?」
見藤が少し首を傾げると、それを彼の背から覗き込んでいた霧子がそう答える。温められた出汁が鼻腔をくすぐる。これは今から出来上がりが楽しみというものだ。
―― 彼女は見藤の作るおでんがとても好きだった。
くつくつ、とリズムの良い音に鼻を掠める出汁の香り。ローテーブルに設置されたガスコンロの上で温められた土鍋は白い湯気を発たせ、その蓋を開けられるのを待っているかのようだ。
土鍋の蓋が小刻みに揺れ始めたのを合図に霧子はその手にミトンをはめて、土鍋の蓋を取った。立ち上がる白い湯気と共に、豊かな出汁の香りが解放される。
「ふふ、美味しそう」
思わず頬を綻ばせて呟かれた霧子のその一言が、見藤の胸の内にじんわりと染み込んで行く。
彼女は菜箸で大根の染み具合を確認すると、どこから取り出したのか。――どん、と机に景気よく置かれたのは大吟醸の一升瓶。その一升瓶を見た見藤は思わず眉間を押さえたのだ。
「……霧子さん、今日は久保くんと東雲さんも来るんだが」
「いいじゃない。あの二人は飲めるでしょ?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
霧子のことだ。二人を同じ土俵に引きずり込もうとするのは目に見えている。そうなれば、彼らが酔い潰れれば一体誰が世話をするのだ、と言うことだ。
「帰ったぞー。お、美味そうな匂いがするなァ」
ご機嫌な声を響かせながら、猫宮が事務机に降り立った。辺りに篝火がちらちらと舞う。
そんな猫宮の帰宅に、見藤は目尻を下げる。そして、労いの言葉と共に彼に頼んでいたことの進捗を尋ねた。
「ご苦労さん、段取りはどうだ?」
「順調、順調。これで、いつでも顔を出せるぞ」
「分かった、もうしばらくすれば顔を出すと伝えておいてくれ」
「あいよ」
猫宮はそう返事をすると、ローテーブルに並べられた一升瓶をその視線に捉えた。
「酒もあるじゃァないか」
「む、これは私のよ」
「えぇー……、姐さん、そこを何とか」
猫宮の獲物を狙うような視線を感じたのか、ぎゅっと一升瓶を大事そうに抱えている霧子。拗ねるように少しだけ頬を膨らませている。
そんな二人の攻防を端から眺めていた見藤は、霧子の可愛らしい抵抗に思わず笑ってしまった。
「なによ」
「ふは。いや、霧子さんが可愛らしくてだな。つい」
「……ふん」
くすくすと肩を振るわせる見藤に、霧子はじっとりとした視線を送る。抱きかかえた大吟醸を、猫宮に分け与えるつもりは毛頭ないようだ。
見藤は猫宮の背中をぽんぽんと軽く叩き、二人で買い出し行こうと誘う。
「猫宮、買いに行くぞ」
「えぇー……、」
「ほら」
「ちっ、仕方なねぇなァ」
そうして一人と一匹は出掛けたのであった。
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