36話目 珍妙バディの大仕事③
翌日、午前。煙谷の事務所に響き渡る電話の音。
依頼書を整頓していた煙谷は、ちらりと電話を見やる。そして、作業を中断せざるを得ないその音が鬱陶しく思えたのか、溜め息をつくとようやく受話器を手に取った。
「はい、」
『やっと出た!さっさと電話取って下さいよ!?私も暇じゃないので!!』
「檜山」
電話の主は檜山であった。彼女は昨日、突如として煙谷から頼まれた「調べもの」の報告しようと電話を寄こしたのだ。その「調べもの」とは ――。
『ダム建設予定地にあった御神木を移植する計画が三十年ほど前にあったようです。ですが、ダム計画そのものが頓挫。神社は移転となったみたいですが御神木は誤って伐採され、その切り株はそのまま長年放置 ――。ということがあったみたいです』
「ふーん」
『えぇ……せっかく調べたのに、何ですか。その、うっすい反応』
報告を受ける煙谷は興味なさげに返事をしていた。流石の檜山も、そんな煙谷の返答に文句のひとつでも言いたくなったのだろう。
彼女の呆れたような声音を耳にした煙谷は電話越しではあるものの、肩を竦めた。煙谷に対して遠慮がない檜山だ。流石の煙谷も飄々とした態度はそのなりを潜めてしまうようだ。
『まぁ、いつもの事ですからいいでしょう。話の続きですが、どうやらその御神木の切り株。最近、都市伝説や怪談話が流行ったこともあって、心霊スポットとして有名になりつつあるようで』
「なるほどね」
納得したように言葉を溢した煙谷。彼が檜山に依頼した事。―― それは御神木の木霊からの依頼。その背景を調べることだった。
依頼書なる枯れ葉に書かれていた内容は『引っ越しを頼みたい』というものであった。それはとても簡潔に書かれていたため御神木の移植を意味するのか、何も情報がなかったのだ。
檜山は更に言葉を続けた。
『どうにも、誤って伐採された御神木の怒りで、そこに残る切り株や根に触れると呪われるとか、なんとか ――』
「はぁ……また、ありきたりな」
檜山の報告を聞き終えた煙谷は、枯れ葉を置いて頬杖をついた。そして、再び溜め息をつく。
おおよそ、怪談話により広まってしまった御神木の切り株の存在。その切り株を一目見ようと、肝試しに訪れる人が後を絶たないのだろう。それに、ダム建設計画というものは、時に地元住民の怒りや喪失感を連想させ、その地に残る悔恨を想像させやすい。
―― ダムに沈むはずだった町。住み慣れた場所を追い出された人々の悔恨。
怪談話にはうってつけの背景だろう。そして、それにより迷惑被っているのは御神木の木霊だ。
(それによる、木霊の引っ越しか……)
煙谷は納得し、心の内に呟いた。
木霊というのは人目につくことを嫌う。自然より生まれた怪異と言うものは、自然の流れに身を任せ、その時を移ろうことを好むのだ。
ところが、それを邪魔された挙句。謂れのない怪談話のネタにされ、人目に晒される。そうなれば、耐えかねてその場所を離れるという考えに至ったのだろう。そして、木霊の引っ越しとなると ――。当然、御神木という依り代と木霊は一心同体だ。
(どうにも、大事になりそうだな)
煙谷は一際大きな溜め息をついた。
そもそも、この依頼は木霊が見藤へ直接助けを求めて便りを寄こしたのではなかったのか、と悪態をつきたいところだった。しかし既に、久保に依頼協力する返事をしてしまった。契約は成されたのである。
思考に呑まれていた煙谷はすっかり黙り込んでいたようだ。すると、沈黙している彼を訝しんだ檜山が電話口で不満げに呟いている。
『でも、この手の情報ならキヨさんに頼んだ方が ――』
「いや、ごく小規模間で流行っただけのものは、あの婆さんが扱う情報の範疇ですらない。彼女はもっと重要度の高い情報を扱うからね」
『はぁ……、そうなんですね』
なんとも不服そうな檜山の声音に一言「助かってるよ」と告げれば、どうやら彼女の機嫌は治ったようだ。―― 鼻歌混じりに突然、電話を切られた。
「……おい、」
ぶつん!と切れた通話の大きな音は煙谷へ少なからず傷跡を残したようだ。
珍しく悪態をつく煙谷。咥えた煙草の吸い殻がぽとりと机上に落ちた。凸凹珍妙バディは、凸凹なりに上手くやっているようだ。
* * *
そうして時間は流れ、夜。
煙谷の事務所には約束通り久保の姿があった。しかしながら、彼に何があったのか。珍しく久保は待ち合わせの時間に遅れて来たのである。
―― 久保の表情は、ぐったりとして疲労感が隠せていない。
流石の煙谷も、そんな彼の様子を気に掛けているようだ。煙谷はシャベルを一本だけ準備しているが、その手を止めて久保を見やった。
「どったの」
「……見藤さんに、バレまして。しこたま怒られました」
「ふっ……、あっははは!!」
思いがけない久保の返答に笑い声をあげる煙谷。じっとりとした視線が煙谷に向けられるが、お構いなしとでも言うように彼は笑い続ける。
「で、どこへ行くんですか?」
ぶっきらぼうに言い放つ久保の言葉を聞き、ようやく煙谷は笑いが収まったようだ。少しばかり長い息を吐いたかと思うと、尻のポケットからソフトパックを取り出した。そして、流れるような動きで煙草へ火を着ける。
煙谷によって吸われ、吐かれた煙草の煙は不思議なことに床へと流れる。そうして、ゆっくりと久保と煙谷を囲むように円を描いていく。
煙によって描かれていく円。その端と端が繋がった瞬間 ――、煙谷は久保に一言。
「舌、噛まないようにね」
「うっ、!?」
――――― 落ちた。
久保が煙谷の言葉を理解するよりも前に、感じる浮遊感に思わず声が漏れた。何がどうしてそうなったのか、理解できないまま ――。
「いだっ!!!」
盛大に尻もちを着いた。
久保はその衝撃に思わず大きな声を上げた。尻に鈍痛を抱えながら、おぼつかない足で立ち上がろうとする。その流れでふと視線を上げると、煙谷は平然とその場に佇んでいた。勿論、彼の手には先ほどまで準備していたシャベルが握られている。
そして、煙谷と自身が立つ場所を理解したとき ――、久保は更なる混乱状態に陥る。
「えっ……!?」
月明りに照らされたそこは辺り一面、人が住んでいたと思わしき痕跡がある。しかし、その建物すべてが錆びつき、ひび割れて朽ち果てようとしている。地面は舗装されていると言うには程遠く、砂利が多いようだ。
久保の混乱を察したのか、煙谷はこの場所がどこであるのか、補足を入れた。
「ここは、水底に沈むはずだった町だよ」
「……ダムの建設計画跡地、」
「そいうこと」
煙谷はそう言うと、煙草の火を手で握り潰す。少しだけ手が煙と化したが、それもほんの僅かな時間で人の手に戻っていた。
久保は巡る思考の中にいた。―― どうやってこの地に辿り着いたというのだろうか。煙谷によって連れてこられた、ということは理解できるのだが、その原理がどうにも分からない。
そんな久保の心中を察したのか、煙谷は短く息を吐く。そして、依然混乱している久保をからかうように笑ったのだ。
「さながら、神隠しってやつかな?」
「……見藤さんが、あなたを嫌う理由が分かった気がしますよ」
「お、言うねぇ。助手クン」
恨めしそうに煙谷を見やる久保。そんな彼のささやかな抵抗である嫌味は、煙谷に軽々と躱されてしまったようだ。
いつもの飄々とした笑みを浮かべながら煙谷はシャベルを肩に乗せ、ゆったりと歩き出す。久保はその後を慌てて追いかけた。
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