36話目 珍妙バディの大仕事
そうして夕刻。久保と東雲の二人は、数日ぶりに事務所を訪れていた。
久保が事務所の扉を開くと、ソファーには霧子が座っており、その手にはいつものように旅行雑誌が。見藤の姿はその場になく、どうやら居住スペースで休んでいるようだ。
久保の手には片方ずつ、小さなビニール袋と可愛らしい絵柄が描かれたケーキ箱が提げられている。霧子を元気付けるきっかけになればと、東雲と二人で買ってきたものだ。それは彼女が好んでいるスイーツ店のもの。
無論、見藤にも手土産を持ってきた。―― できた助手達である。雑な食生活をしているだろうということで、電子レンジで温められる簡易的な粥なのだが。
「霧子さん、これ。よかったら」
「……!ありがとう」
久保から手渡され、彼女が嬉しそうに受け取ったのはビニール袋だった。そんな彼女の様子に、敵わないなと肩を竦める久保と東雲。余計な言葉は必要ないだろう、と二人は何も言わなかった。
そして、久保は事務所内を見渡すが一匹、足りないことに気付く。
「あれ……猫宮はどうしたんですか?」
「じきに戻って来るわ。少しだけ、依頼の段取りをしてもらってるのよ」
「なるほど」
久保が相槌を打った時だった。ばたん、と事務所の扉が音を立てて閉まったのだ。それに霧子ははっと、して見藤が休んでいる居住スペースへと視線を向けた。
久保と東雲は、扉を開けっ放しにしていたことを失念していたようだ。二人は霧子に申し訳なさそうに謝罪する。依然、居住スペースから物音はせず、どうやら見藤は寝ているようだ。
霧子は謝罪をした二人に気にするな、というように首を横に振った。
「普段は少しの物音で起きるのだけれど…。今日はその心配もないみたいね、どうぞ座って」
それほどまでに見藤は疲労を溜めこんでいたのだろう、と久保と東雲は溜め息をついた。霧子の様子を見ても、彼を心底心配していることが分かる。
霧子に促され、二人はソファーに腰かける。彼女は二人が腰かけるのを見届けると一旦、事務机へと向かい書類を手に戻って来た。
すると、霧子の表情に陰りを感じていた東雲が口を開いた。
「どうせ見藤さん、また無理をしたんですね」
「……分かる?」
「霧子さんの顔を見れば、なんとなく分かります」
「ふふ、流石東雲ちゃんよ」
そう言って笑う霧子の表情は二人に心配をかけさせまいとしている。
人と怪異という違いはあれど、女同士の友情というものはよく分からない。久保は持参したケーキ箱を開封しながら、そう思うのであった。
そして、ローテーブルの端に並ぶ、コーヒーを淹れたマグカップとティーポットにカップ。久保と東雲が差し入れにと持参した洋菓子名店のティグレ。
さっそく、ひとつは東雲の胃袋へと消えた。差し入れとして持参したというのに先陣を切って食べるとは何事か、と久保の呆れた視線をものともせず、彼女は霧子へ同じ味を勧めている。まぁ、霧子もそんな東雲が可愛く思えるのか楽しそうだ。
すると ――、ふと表情を変えた霧子。
「二人に相談したいことがあって。これなのだけれど」
そう言って霧子がローテーブルに置いたのは、残る依頼書類の束。それは見藤の活躍によりその数を減らし、いよいよ繁忙期も終わりが見えてきたようだ。
残るは緊急性が低く、優先順位も低いものばかりだ。―― となれば、それを解決するのは格別、見藤でなくてもよいということ。
それは力の弱い怪異同士の小競り合いの仲裁や、キヨを介さない怪異からの直接の依頼。しかし、久保と東雲に依頼を一手に任せるというのは、一線を引き続ける見藤が許さないだろう。
そして、怪異同士のいざこざに霧子が介入することを見藤は嫌う。怪異同士のいざこざ、そこに彼女が介入するとなると ――、余計に拗れるのだ。要因は様々であるが、よい結果となった試しがない。そして、その手の依頼は猫宮に段取りをさせているため、助手として彼らの手を借りることもない。
残りの算段としては彼の同業者かそれに準ずる者の協力を得て遂行しようと言うのだ。
「特に、これよ。どちらかが煙谷の所へ行って協力を仰いで欲しいの」
「これ、ですか」
霧子がそう言って差し出したのは紙の依頼書ではなく ――、枯れ葉に書かれた歪な文字。おおよそ、怪異から届いた直接の依頼書ということだろう。依頼書なるものが葉というところに、どことなく空想的な雰囲気を感じる。
久保はその枯れ葉を受け取ると、その文字を読み取ろうと奮闘するが如何せん、歪すぎて何を書いているのか分からない。隣に座る東雲にも見せるが、彼女も首を横に振った。
「煙谷に見せれば分かるはずよ」
「分かりました。煙谷さんの所へは僕が行きますね」
「お願いするわ」
そう言って力強く頷いてみせた久保に、霧子は頼もしさを称えるように微笑んだのだった。そして、久保がその依頼の橋渡しを請け負うというならば、東雲は ――。
呪いの影響をその身に受けた見藤は、たった二日しか休息を取らないのだという。それを聞いた久保と東雲は示し合わせたかのように、二人同時に大きな溜め息をついたのであった。
「監視よ」
スパイ映画さながらの雰囲気を纏わせながらそう言い放った霧子と、その言葉に力強く頷いた東雲。どうやら彼女達は、見藤がこれ以上仕事を背負い込まないように監視役となるようだ。
明日からの二日間、彼に仕事をさせないつもりである。
―― そうして、久保は再び大きな溜め息をつく他なかった。
これから起こるであろうドタバタ劇を想像したのだ。見藤へ多少の憐れみと、快方を願う気持ちを抱きながら、久保は残ったティグレを口に運んだのであった。
* * *
そうして久保はその日のうちに、煙谷の事務所へと赴くことにする。すっかり日の暮れた空は夜の帳を降ろし、その空に輝く星々を映し出している。
見藤から夜は出歩くな、と忠告を受けてあるのだが、それは大方 ―― 怪異が活発になることに関係しているのだろう。見藤は迷い家に呼び寄せられた彼を案じているのだ。奇しくもその忠告は聞き入れられなかったようだ。
すると、久保の背後に忍び寄る影。街灯に照らされた久保の影とその影は繋がり、徐々に形を成す。
「坊主、お主。夜分は出歩くなと……彼奴に言われていただろうに」
―― どこからともなく声を掛けられ、久保は慌てて振り返った。
しかし、その背後には誰もいない。すると、ふと足元を掠める毛玉。猫だ。暗闇の中に金色の瞳が浮かび上がる。どうやら、彼は黒猫のようだ。
「此処だ」
「え……、猫又?―― とは違うか……」
その声の主が足元の黒猫だと認識するや、彼の尾を見やる。しかし、黒猫の尾は二股に分かれておらず、久保は首を傾げる。それに、思い当たる言葉を掛けられたことにも疑問が募る。
こうして久保を諫めるのは、黒猫の姿を借りたドッペルゲンガーだ。夜の闇に紛れ、街灯に薄く照らされた久保の影に紛れる。すると、その姿は久保が見覚えのある少年の姿へと変貌を遂げた。「あぁ!」と声を上げ、記憶の中にあった怪異を思い出す。
すると、彼は再び黒猫の姿に戻ってしまった。
どういう訳か、彼は久保の後をつけていたようだ。彼がどうして黒猫の姿を借りているのか、久保は察しがついたようで言葉を交わすことに驚きもせず会話を続けた。
「それがさ、見藤さん。あんな事になったのに、二日しか休まないって言うもんだから……急いだほうがいいだろ?」
「そうか」
そう短く言葉を返すドッペルゲンガーに、やはり彼は人への加害性を持たない怪異なのだと久保は改めて認識する。そして、先の件、然りどうにも彼は見藤を気に掛けているようだ。
霧子が見藤を目に見えて分かるように守護する者であるならば、ドッペルゲンガーはさしずめ影法師という名の通り、影から彼を護る者なのだろう。
その理由を聞いたところで教えてくれないだろうと自己完結し、久保は止めていた足を再び動かし始めた。その後を猫特有の歩みのままについて来る彼。
「ん?ついて来るのか?」
「彼奴の心労を増やすのは些か心苦しい」
「そうか……ちょっと、悪い事してるみたいで、見藤さんに申し訳ないな」
久保の問いに彼はそう答えると、暗闇でも分かるような呆れた表情を見せたのだった。―― おおよそ、久保が何かしら怪異事件に巻き込まれた場合。見藤はその場にいなかった自分を責め、その心を痛めるだろう。それならば、事象を未然に防ごうと久保を警衛しようというのだ。怪異らしからぬ、なんとも律儀なことである。
そして、そんなドッペルゲンガーの真意に気付いた久保は少しだけ眉を下げたが、次には ――。
「まぁでも ―― ほどほどに、いい子はやめたんだよ」
そう言って悪戯っ子のように笑ったのであった。その姿が、本来の久保なのだろう。
彼の言葉を聞いたドッペルゲンガーは面白そうに、ふっと笑ったのであった。
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