35話目 ハッカイの箱⑤
瞬く間にコトリバコの認知を得た箱を解呪してしまったキヨ。大方、コトリバコというものは子どもと妙齢の女性へ向けた呪いだ。
キヨはその条件から外れ、更に言えば箱を解体しようとする者への呪いは鬼の守護を持つ小野の一族である、彼女であればなんら問題にもならないのだ。
―― 鬼と言うのは、時にその屈強な肉体やその形相によって、人を悪しきものから守るというと言う伝承も少なからず存在する。そして、その守護は疫病や人からの悪意を退ける。
霧子は見藤を守ろうとその身に取り憑いているものの。それは怪異から見藤を守るためであり、人の悪意や敵意、呪いと言ったであれば悔しいことに彼女の守りは及ばない。
(にしても……普通の人間なら、こうも意識を保っていられないだろうに)
キヨはちらりと見藤を見やる。ソファーに座り未だ鼻を圧迫止血しているものの、その意識は明瞭で会話も成立している。少しばかり、顔色が悪い程度だ。
いくら認知によって完成されたコトリバコと言えど、その呪いは強力だと想像できる。おおよそ、ハッカイの箱 ――――。コトリバコの最上とも呼べるものまでその呪いは助長されているに違いない。
―― 人の好奇心というものは、時にありもしないものまで形にしてしまう。
しかしながら、その呪いに負ける所か、寧ろ対抗する精神力。そして、認知と呪いを一定に分散させ、終わることのないコトリバコという認知を集約し続ける形代としようと考え至った、その公算高い判断。
(全く、困った子だよ)
キヨの心の内の悪態は、見藤を称賛するものだった。
「で、どうしてキヨさんが突然…………」
「あらあら。聞いてなかったのかい?」
そう言ってキヨは仕掛けが解かれた箱を事務机に戻すと、敷かれている文様の布を適当に被せておく。こうすれば多少なりとも、見藤に及ぼす影響も少ないだろう。
キヨは見藤の言葉に首を傾げると、二人の向かいのソファーに腰掛けた。先ほど彼女が手にしていた禍々しい呪物など、さも存在しなかったかのような清々しさを纏わせながら、ことの流れを説明し始めた。
「先々代より前…………、贔屓にしてくれていた家の者が久々に連絡を寄越してねぇ。聞けば、お前さんにコトリバコという呪物を預けたというから ――。おおよそ昔に、爺さんの代から何か困ったことがあれば小野家へ連絡を寄越すように言い遺していたみたいでねぇ。ふふふ、縁とは不思議なものだねぇ」
どこか遠い思い出を探すようなキヨの表情。そして、彼女の言葉通りであるならばその連絡を寄こしたのは ――。
見藤は思い当たる人物の名を口にする。
「……、来栖」
「そうそう、今はそんな名を名乗っているようだね」
うんうん、と頷くキヨは目を細めている。
―― どうやら来栖が言っていた、手立てというのはキヨの元へ助けを求めることだったようだ。それが今回功を奏したのだ。
そして、先程までの目まぐるしい物事の流れにすっかり気を取られていたのだが、普段は着物の姿のキヨが今日は珍しく洋服を着ている。見藤はそのことに気付くと、眉を下げた。
すると、キヨは立ち上がり、事務机に置かれた箱を再び手に取った。どうやら、箱を回収するつもりのようだ。見藤に一言、「これはもらって行くからね」と声を掛ける。
「それじゃ、私はこれで失礼するよ」
「キヨさん、今回は…………すみません」
見藤が珍しくキヨに対して申し訳なさを感じていると ――。
「なぁに、いいってもんさ。これからコンサートがあるんだよ。ここへ寄ったのはそのついで」
「……………………」
前言撤回。なんとも返答のしようがない言葉が返ってきたと、見藤はげんなりとした表情を浮かべた。
「また顔でも見せにおいで。その時はそこの別嬪さんも一緒にね」
キヨはそう言い残し、事務所を後にした。
見藤を支えながら一連の出来事を隣で見守っていた霧子。見藤とは対照的に彼女は、颯爽とその場を後にしたキヨの背を羨望の眼差しで見送っていた。
「いや、霧子さん……あの人に憧れないでくれ」
「え、」
「貴女はそのままでいて下サイ」
見藤の言葉に霧子は少しだけ頬を膨らませたのであった。
◇
事務所に残った二人がそんな会話をしている頃、事務所が入る雑居ビルの前。そこにキヨは佇んでいた。
彼女の手には見藤の所から回収してきたコトリバコ成る箱。それを一瞥すると、キヨはぽつりと名を呼んだ。
「さてと…………榊木さん、いるかい?」
その名は獄卒である女鬼人だった。キヨがその名を口にすると不思議な事に、雑居ビルに映し出されたキヨの影が二重になった ―― かと思うと、背後から榊木が姿を現したのだ。彼女はキヨと並び立つと、顔に着けている憎女の面を取り払った。
「呼んだか、キヨちゃん」
「えぇ、ちょっとしたお願いがあってねぇ」
「ふっ、いつもキヨちゃんのお願いはちょっとしたことじゃないけど……。まぁ、任せな」
親しげに話す二人。キヨの先祖が繋いだ縁は、今もこうして小野一族に受け継がれているようだ。
すると、キヨは榊木の片方の角が欠けていることに気付き眉を寄せた。
「…………何かあったのかい?」
「んー、まぁ、気にしないでくれ。力及ばず、ってやつだ」
「榊木さん」
力強く名を呼ばれれば、彼女はキヨに滅法弱いのだろう。渋々何かを語り始めたのであった。その内容を聞いたキヨの眉間の皺が徐々に深くなっていった。
二人がどのような会話をしていたかを知るのは、丁度その場を通りかかった黒猫だけだろう。
―― そうして、キヨから少しばかりのお叱りを受けたのか、榊木はしょんぼりと眉を下げていた。そんな彼女の小脇にはコトリバコ成る箱が抱えられている。
「それでは、頼みましたよ」
「あぁ、任せな。にしても、よく考えたな」
「えぇ」
一時の別れの挨拶を簡単に交わすと、二人は互いに手を振り合い、榊木は箱と共にその姿を消したのであった ――。
そこは地獄と言う名にふさわしい場所。血の匂いを漂わせた風が榊木の頬を撫でる。その熱風も、冬真っただ中であった現世と比べるとほんのり温かいと感じるほどだ。
榊木はコトリバコ成る箱を小脇に抱えたまま、とある部屋へと足を踏み入れた。この部屋は現世において、大なり小なり、良くも悪くも影響を及ぼした道具を保管している場所だ。
そこで整頓作業を行っているのは門番の役目を果たす獄卒だ。榊木はその獄卒に声を掛け、ことの成り行きを説明する。
「それじゃ、この箱はこのまま安置で頼む」
「畏まりました」
「よろしく頼むよ」
こうして、認知によって現代に完成されたコトリバコは、地獄においてその認知を集約する装置となって永劫存在し続けるのであった。
おまけ
「キヨちゃん。ちなみに、あの仕掛け箱は何回の仕掛けがあったんだ?」
「三百二十四回」
「………………え、」
「ほほほ、年の功は伊達じゃない。何事にも抜け穴があるんだよ、榊木さん」




