35話目 ハッカイの箱④
そうして、見藤は来栖と別れた後。無事に事務所へ帰り着いていた。言わずもがな、事務所には霧子のみ。どうやら猫宮は縄張りの見回りで多忙のようだ。
見藤は文様の布で覆った箱を事務机に置き、この箱の処遇をどうしたものかと首を捻っていた。
「ふーん……これを解体して呪詛を弱めた上で、集団認知の形代にしてしまうのが得策か……?」
認知を得て新たな呪物と成ったこの箱に、斑鳩家の認知操作は効果を得られないだろう。そして、その認知を消滅させることも些か困難というもの。
となれば残るは、コトリバコは現実に存在するもの ――、としてその認知を集約し続ける装置として形を留めておいた方がむやみやたらに振りまかれる呪いの害は少ないだろう、という算段だ。
しかしながら、その箱を保管する場所はどうするのか、という新たな問題が生じるのだが。ある程度解呪してしまえばその算段もつくはずだ、と見藤は思い至る。
見藤は小さめの溜め息をつくと、文様の布を取り去った。すると、露になる禍々しい気配とそれに相反する美しい文様。
寄せ木細工に使用された模様は亀甲文様と呼ばれ、鶴は千年、亀は万年という言葉を由来とする。奇しくも、それを呪詛に置き換えるとその長い年月まで祟る、呪うと言った具合だろうか。
そして、文様が描かれた箱。それは仕掛け箱、秘密箱と呼ばれ特定の面を押したり引いたり、または箱の仕掛け部品を押せば開くといった具合だ。
―― これらを見藤は解かなければならないのだ。
それは箱の製作者によって様々で、五寸十回など箱のサイズ、何回仕掛けがあるのかを示す印字がされたものがある。はずなのだが ――。
「ないな……」
「書かれていないわね」
「これは困った。だが、やるしかない」
心配そうな表情を浮かべる霧子を余所に、見藤はこの箱に集約された呪いを解呪しようと事務机に向かうのであった。
―― これは短期決戦に持ち込まねば、こちらがその呪いに負けてしまうかもしれない。
そんな代物だと、見藤の直感が告げていた。
◇
それから二日間。見藤はおおよそ文化的な生活とは呼べない日々を送っていた。
解呪による作業はその強烈な悪臭から、小一時間が限界。その都度、休息を挟みながら再び事務机に向かう。そして、鼻に残る匂いから食欲などとうに消え失せてしまい、食事を抜くこともしばしば。適当に風呂を済ませ、頭痛に悩まされながら眠りにつく。
そうして三日目 ――。
(駄目だ、血生臭い…………)
―― ズキズキ、ズキ……と血管が脈打つのが分かるほど、頭痛が悪化している。この匂いが嫌悪感を引き起こす。ぱた、ぱたた……と落ちる雫の音。
「ちょっと!?」
傍で様子を見守っていた霧子が思わず驚きの声を上げ、箱を見藤から取り上げた。
「…………ちっ、今日はこれが限界か」
「あんた!!」
「ん、問題ない…………」
「この状況でよくそんなことが言えるわね!?もう!!」
心配して声を上げる霧子を余所に、平然と返事をする見藤。そう言って彼が手の甲でぬぐったのは自分の血だった。鼻から出血している。恐らく、その強い呪詛にあてられたのだ。
なにも、コトリバコは女子どもだけに呪詛を振りまくものではないらしい。その強力な呪詛によって作り手をも死に至らしめると言う。認知を分散するために、箱を解体してしまおうとする見藤を、仇成す者として箱が認識したのだろうか ――。
不意に、見藤の視界が歪む。額を手の平で押さえ、意識を保とうと緩やかに首を横に振る。すると、少しは頭痛も緩和されたような気になる。
霧子が箱を取り上げたことで、多少なりとも呪詛の影響から見藤を引き離せたようだ。彼女は仕掛け箱を抱え上げたかと思うと、今度は乱雑に事務机に置く。
そして、手の甲で鼻血を拭う見藤を椅子から立たたせて肩を貸した。彼に負担を掛けまいと、ゆっくりとした足取りでソファーへと向う。
「座れそう?」
「あぁ……、悪い、」
「そう思うなら、少しは無茶する癖を直しなさい!」
落ちるようにソファーに座った見藤の肩を霧子が抱き、体を支える。彼女の表情は今にも泣き出しそうなほど、歪められていた。
そんな彼女の表情に気付くことなく見藤は深く長い溜め息をつくと、目頭を強く押さえた。すると、突然に事務所の扉が勢いよく開け放たれた。
「邪魔するよ」
「…………、キヨさん??」
「なんだい、鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」
キヨの突然の来訪に驚きを隠せない見藤。そして、彼女は見藤の側に寄り添い立つ霧子を目にすると、少しだけ肩を竦ませた。長年、見藤に取り憑いていた怪異はこの者だったのかと、どこか納得したように頷いた。
対する霧子はちらりとキヨの方へ視線を向けたが、すぐに見藤へと心配の眼差しを向けたのだった。そして、彼の肩を抱いた手にぐっと力が籠る。
それを目にしたキヨは見藤へ視線を向けると大きな溜め息をついたのであった。
「お前さんも男なら、下らないことで女を泣かせるんじゃないよ。それもこんな別嬪をね」
「……なんの、話を」
「ほほ、それが分からないとなると。まだまだ未熟者だねぇ」
怪異でありながら人間の男に恋慕する稀有な存在というのは、キヨにとってやぶさかではなかったらしい。寧ろ、霧子に心配をかけた見藤を諫めたのだ。
一目見ただけで、この二人の関係性は見てとれる。それほどまでに、霧子の表情や眼差しは彼を案ずるものだった。
そうして、キヨは事務机に置かれた箱を見るや否や、呆れた表情を浮かべながら見藤へと視線を戻す。心なしか彼女も怒っているようだ。
「こんなもの、さっさと連絡を寄越せばよかったものを」
「だから、一体なんの話をして、」
「貸してみなさい」
見藤の言葉に全く耳を貸さないキヨは速足で事務机の前まで辿り着くと、そこに置かれた仕掛け箱へ手を伸ばしたのだ。
あまりに突拍子もない行動に見藤は慌てて彼女を止めようとするが、酷い頭痛のせいでそれもままならない。
「キヨさん、それはっ…………!」
「心配ないよ、黙って見といで」
ぴしゃり、と見藤を制すると彼女は仕掛け箱に触れた。そして、両手を添えてくるくると箱を一回転させるとじっと見つめ、少しだけ箱を振った。
「ふむ、もう少しだったねぇ。及第点」
キヨはそう言って不適に笑うと、ものの数手で ―――― カチャリ。仕掛け箱が開いたのだ。
見藤は驚きのあまり、目を見開いている。その表情にキヨはおかしそうに笑ったのだった。あっという間に箱の仕掛けを解いてしまったキヨに目を丸くしたのは彼だけではない。その隣に寄り添う霧子も、ものの数秒の出来事にその動きを止めてしまっている。
「ふぅん、私もまだまだ現役だよ。仕掛け箱の解呪なんて昔は山のようにやったもんだ。なにも情報だけを牛耳って、ただ椅子に座っているだけの婆じゃないさ」
そんな二人の様子を目にしたキヨは、そう言って再び不敵な笑みを浮かべたのだった。
見藤が脳筋なのはキヨさん譲りだと思う。




