35話目 ハッカイの箱③
認知によって完成された現代のコトリバコ ――。今回はその対処にあたらなければならないようだ、と見藤は考える。寧ろ、来栖が早い段階でその呪物を回収したために被害は小規模で済んだようにも捉えられる。
ところで、彼が回収したという、その箱。今はどこにあるというのだろうと、見藤は不意に思い至る。そんな彼の疑念を察したのか、来栖はそれに答える。
「あぁ、今は僕の自宅に保管してあります」
「……、大丈夫なのか」
「はい。幸い、僕しかおりませんので」
―― そうして、見藤と来栖は詮議を終えた。
件の箱を見藤が引き取ることになり、来栖も彼が来訪できるよう日程を調整する、という方針が決まった。
見藤は長らく話し込んでしまったと霧子を気に掛けるが、どうやら彼女の機嫌は来栖の賄賂によって保たれたらしい。ケーキタワーはすっかり綺麗になっていた。
「見藤さん、事務所までお送りしますよ。僕の車で」
「……いや、流石にそれは遠慮させてくれ」
「欲のない人ですね」
来栖がからかうように笑うと、見藤は辟易とした表情を浮かべるのであった。
* * *
それから翌日。事務所には久保の姿があった。彼はローテーブルに向かい、半分以下に減った書類を再び整頓している。もちろん、キヨへの報告書の代筆も忘れない。有り難いことにそうした積み重ねが、見藤の余暇に繋がったのだろう。
そして、その余暇が見藤に新たな問題を解決するための時間を与えた。
見藤は事務机に向かいながら、ソファーに座って作業をする久保とその向かいに座っている霧子を呆然と眺めていた。昨日、慣れないことをしたせいで見藤の疲労は隠せない。溜め息をつく数が増えている。
すると、見藤は作業がひと段落した久保に声をかけた。
「久保くんは、コトリバコという物を知っているか?」
「えっ……それって本当に存在するんですか……?だとしたら、相当やばい物じゃ……」
「いや、それがな ――」
昨日の出来事を久保にかいつまんで説明する。すると、見藤の言葉を聞いた久保はあからさまに顔を青く変えた。
そして、久保が知っていると言うコトリバコの都市伝説を聞かされた。それはおおよそ、来栖から聞かされた話と同じで、こうも正確に話が伝わるとなるとその認知の及び方は確かなものだろう。
「久保くん。この件が終わるまで、東雲さんにも事務所に来ないように言っておいてくれ」
「分かりました」
「あくまでも模造品だが、認知がどこまで及ぶのか分からんからな」
見藤の言葉に久保は力強く頷いた。これから事務所に、そのコトリバコなる物を引き取って来ること。そして可能な限り、その呪いの解呪を試みること。
そして、久保はふと気になることがあったのか、向かいに座る霧子へと視線を向けた。
「え、霧子さんは?大丈夫なんですか?」
「えぇ、関係ないから」
―― 関係ない、それは彼女が怪異であるからという理由なのか。それ以外に理由があるのか、久保には理解が及ばなかった。
その日を境に、事務所へ久保と東雲が訪れることは一時的に禁じられた。
* * *
「見藤さん、こちらです」
「すまんな、来栖」
そうして後日。来栖に連れられて訪れたのは、若い彼の自宅と言うには荘厳な造りをした昔ながらの屋敷だった。彼ひとりが住まうという割には、庭まで手入れが行き届いているように見受けられる。
見藤は不思議に思い首を傾げる。すると、足元に転がる毛玉を視た。
(すねこすり、か)
どうやら来栖の屋敷には妖怪が居着いているようだ。
見藤がすねこすりと呼んだ妖はしきりに来栖の足元にその身を寄せている。だが、どうやら肝心の彼はその姿を視ることは叶わないらしい。少し残念そうに、身を離したすねこすりが見藤には少し不憫に思えた。
来栖は見藤の元へ怪異が関連していると思わしき事象を相談、依頼を寄こしてくるのだがどうやら、その怪異の類を視る目は持ち合わせていないようだ。
思い返してみると、一体どうして怪異の仕業だと断定できるようなきっかけがあったのか、その怪異の知識はどこで知り得たのか ――。今になって疑問が浮かんで来る。
そうして玄関先まで辿り着くと、鋭い視線に射抜かれる。見藤は、はっとその視線を辿った。すると、縁側の方に佇む影がこちらを凝視していることに気付く。
その姿はさしずめ式神というに相応しいだろうか。怪異や妖怪の類とは全く異なる気配を纏っており、どこか神々しさを伺わせる。おおよそ、見藤を部外者であると断定付け、警戒しているのだろう。
そこで、見藤の中に浮かぶ新たな疑問。この屋敷に居ついている妖怪や式神、これらを視ること叶わない来栖が彼らに好かれる理由とは一体何なのか。
見藤は少しばかり気になり、前を行く来栖に声をかけた。
「……来栖、」
「はい?どうかしましたか」
「敷地の中に怪異 ――、というよりも妖怪がいると言ったら……、どうする?」
怪異に関心を寄せる来栖はそれをどのように思うのだろうか、と先ほどのすねこすりの様子を目にしたためか、見藤はお節介にも気になったのだ。
来栖は見藤を振り返り、何事かと首を傾げた。そして、尋ねられた質問に少しだけ目を見開いた。
「それは喜ばしいですね」
「そうか」
「はい」
来栖の答えは、どうやら見藤を安心させた。ほっとしたような表情を浮かべて、次にはあの睨みを利かす式神の存在を来栖に知らせる。
「式神、なんてのもいるようだが……」
「あぁ……、本当に……。律儀だなぁ」
来栖のその言葉は何を意味しているのか。見藤には理解できず、縁側に佇む式神の方へと視線を向ける。すると、来栖は「あぁ、そこに居るんですね」と嬉しそうに言った。
式神というのは神がまだ存在した遥か昔の時代 ――、陰陽道の術者によって、この世に顕現させられた格式の低い神や、妖怪を使役したものだ。
その存在が現代において術者を失っても尚、来栖という一族を見守っているのだろう。元来の神々などとうに姿を消した現代においても、その姿を見せているとなると ――。あの式神は妖怪の類なのだろうか、と見藤は推察する。
そして、来栖は他言無用ですが ――、と言葉を続けた。
「うちは元々陰陽道を基盤にその腕を振るった家系だったそうなのですが ――。ある時を境に、氏をも変えてその道を閉ざしてしまったようなんです。高祖父が残した書物を読み漁ってみても、その理由は分からないままでした」
来栖の言葉通りであるならば先人達が氏を変え、その道を閉ざしたのは ――。
来栖《彼》がそうであるように、怪異の類が視えなくなった ――、というのが大きな要因だろう。来栖が怪異に関心を寄せ、その知識を持つ理由を初めて聞いた見藤は少しばかり驚いた表情を浮かべていた。
そして、名は体を表す ――。その氏を名乗り続けることによって生じる障壁から、先人達は後の世代を遠ざけようとしたのだろう。どんなに栄華を誇った名家であっても、終わりは必ず訪れるということだ。
そんな見藤の思考もほどほどに、来栖は困ったように微笑みながら屋敷を指す。
「今はこうして残った土地や資産を元手に、細々とやっているんです」
(これのどこが細々なんだ……)
―― という、突っこみは胸の内にしまっておこうと、見藤は少し呆れたように首を横に振った。
そうして、来栖に連れられて足を踏み入れたのは、屋敷の中にある部屋のひとつ。そこは物置として使用されているようで、どこか古めかしい書物や道具が保管されているようだ。
部屋の中央に置かれている、一目見ただけで異質だと分かるその箱。来栖の話にあったように、寄木細工が施された亀甲文様が美しいものだ。しかし、その美しさは禍々しさを助長させている。
「うっ、」
見藤は思わず鼻を手で覆った。眉を寄せ、漂う異臭に嫌悪感を示す。ただの模造品だと言う割には、こうも血生臭い匂いがするのは何故なのか。
見藤の反応を目にした来栖が心配そうに彼を見やる。だが、心配をかけまいと気にするなと言うように首を横に振った。
「見藤さん?」
「来栖には何も感じさせないか……」
どうやらこの異臭は、来栖には感じ取れない様子だ。それはあの式神が彼を守っているからなのか、それは分からない。
「これは俺が引き取る」
「分かりました。よろしくお願いします。僕としても……何か手立てがないか、調べてみます」
見藤の言葉に来栖の背後に彼を守るようにして佇んでいた式神はさっさと行け、と言わんばかりに手をしっ、しっと払う素振りを見せた。どうやら式神である彼からしても、この箱の存在は不愉快だったのだろう。
見藤は溜め息をつくと、その箱をどう持ち帰ろうかと首を捻った。いつものように、封印の朱赤の匣に一時的に封じてしまうのがよいだろうか。そうすれば周囲への被害はなく、事務所まで持ち帰ることができるかもしれない、と考えたのだが ――。
(……いくらこれが認知によって完成された怪異擬きの呪物だとしても、これが効くのか怪しいな)
そうなれば、持ち帰る最中にその呪いを周囲に振りまいてしまうことも考えられる。
(と、なれば ――――。持参しておいて正解だったな)
思考はそこまで。見藤は持参していた手荷物から何やら道具を取り出す。それは何も描かれていない白色をした風呂敷と、小さめの剃刀刃だ。
それを目にした来栖は嫌な予感がしたのだろう。
「見藤さん、何を、」
咄嗟に彼を止めようと、その肩に手を置こうとしたが見藤本人が制止したことによって遮られてしまった。
白い風呂敷は箱を覆うように上から掛けられ、その姿を隠す。そして、来栖の嫌な予感は当たる。
「……ちっ、」
何かを堪えるような舌打ちをしたかと思えば、見藤の片手には剃刀刃。そして、白い風呂敷は所々に赤い斑点を描いていた。その赤い斑点は徐々に布に染み込んでゆき、不思議な文様が浮かび上がる。そうして、白かった布はゆっくりと全体をその色へ変えた。
見藤はそれを確認すると、箱を覆った布で箱を包み始める。彼の血を吸った布は赤黒く、次第に漆黒へと変化していた。
箱の中を血で満たしてから作られると言うコトリバコ。その認知然り、周囲に呪いを振りまく呪物を囲ってしまうのなら、それに拮抗する力を持つのは同じく血で構成された呪いであるようだ。
見藤は箱を包み終えると、深く溜め息をついた。そして、剃刀刃で切った自身の手掌を握ったり開いたりを繰り返す。深く切り過ぎたのか、じんわりと滲んでくる血は止まることはない。流石にどうしたものかと見藤は気まずそうな表情を浮かべている。
すると、視界の端から見えたのは差し出された清潔な布。はっと視線を上げれば、困ったような、呆れたような。どちらともつかない表情を浮かべた来栖がその布を差し出していたのだ。
「見藤さんは助手さんがいないと駄目なようですね」
「……告げ口はするなよ」
「全く」
差し出された止血のための布は有り難く使わせてもらうとして。来栖の言葉に、念のため久保へ告げ口をしないよう釘を刺しておく。
一方の来栖はどうにも、見藤は助手には弱いようだと肩を竦ませたのであった。
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