34話目 よすがの指環⑤
◇
この日は外出するにはぴったりの気候だった。冬にしては風が温かく、日差しも出ている。それは小春日和というにふさわしい。
そんな中、東雲と西方は屋外で開催されるアートフェスタへと足を運んでいた。その規模は小さいながらも、年齢層は様々で多くの人で賑わっている。
「開始時刻すぐやのに結構、人が多いなぁ」
「まぁ、人気の作家さんも出店してるみたいだしね」
ガイドブックを手に、東雲と友人は会場一帯を見渡した。
会場はポップなガーランドに彩られ、淡い色合いの風船も飾られている。一部では飲食物も販売しているのか、いい香りが鼻を掠める。これは楽しみになるのも必然だと、二人は顔を見合わせて笑い合う。
「そうそう、言ってた指輪ね。早めに行かないと品切れになるかも」
「ほな、まずはそこから回ろうか」
二人はそんな会話をして、ガイドブックに掲載されている会場案内を確認する。彼女達はその店を目指し、歩き始めた。
―― そうして彼女達が辿り着いたのは、簡素な店構えのスペース。
「いらっしゃい」
そう声を掛けるのは店主だろう。店先に並ぶのは事前に見た通り、流行りのデザインが施された可愛い指輪。そして、シンプルなものまで幅広い。
西方は種類の多さに目を輝かせて、どれにしようかと悩んでいる様子だ。しかし、東雲は――。
(……なん、か。この指輪……変な感じ)
東雲の目に映るのは、もやもやとした黒い影。それは、彼女に得も言われぬ不安感を与える。思わず、首に掛けている木札を服の上からぎゅっと握った。
「それじゃあ、これを買います」
「はい、ありがとうございます」
東雲が不穏なものを感じていることなど知る由もなく、西方は指輪を購入しようと店主に声を掛けていた。
東雲は「今、止めないと ……」と、焦燥感に駆られる。だが、咄嗟に言葉は出て来ない。
「待っ ――――」
「ちょっと、待ってもらえるかな?」
指輪に伸ばす西方の手を遮るように、目前に差し出された大きな手。突然、隣から掛けられた声に驚き、東雲がそちらを振り返れば見慣れた顔があった。
彼は少し伸びた前髪を後方へ流したオールバックで、その精悍な顔つきを惜しみなく晒している。そして、切れ眉にやや垂れた目尻は優しげな印象を与え、すっと通った鼻筋は若い女子を釘付けにするには十分過ぎた。
東雲の隣にいた西方はぴたり、とその動きを止めている。そして、東雲は彼の名を呼んだ。
「見、藤さん……?」
「ん? 東雲さん? どうしてここに――」
どうしてここに、とは東雲から言わせてみれば同じことだろう。そして、見藤のやや後方に立つ煙谷の姿。彼の姿を目にした東雲は、先の直感と指輪に感じた違和感が正しいことに気付く。
(これは、まずい予感)
そう、見藤と煙谷。馬の合わない二人が行動を共にしている、ということは怪異事件、もしくはそれに準ずる事件であることが多い。
それと、同時に突然、現れた恵まれた体格を惜しみなく生かしたスーツ姿の男と、アンニュイな雰囲気を纏った細身の男。という非日常は色恋沙汰に目がない西方にとって大いに目の保養となったようで、東雲の隣に立つ西方は目を丸くして固まっている。
――珍しく、東雲は大きな溜め息をつくことになったのである。
(見藤さんには、はようあの冴えないおっさんスタイルに戻してもらわな)
と、彼女の胸中を知る者はいないだろう。そんな絶妙な雰囲気が流れる最中。
「少しお話、いいですか?」
突然掛けられた、馴染みのある声。東雲がはっとして声がした方を見やると、そこにいたのはスタッフ腕章を付けた久保だった。
先ほどから接客を遮られ続けた店主は、その憤りを隠す素振りもなく、声を荒げ始めた。
「一体、何なんですか!?」
「いえ、確認したいことがありまして。この二人に同行してもらえます?」
声を荒げる男に臆することなく、久保は男にスタッフ腕章を見せる。そうすることで、男は手続きか何かに不備があったのか、と都合のいい方向に勘違いしてくれたようだ。店主は渋々頷きながら、椅子から立ち上がった。
それを確認し、久保は見藤と煙谷へと視線をやる。これは無言の合図だ。
「それじゃ、こっちに来てくれる?」
煙谷の有無を言わさない圧力に、男は従う他なかった。
煙谷が店主を連れ少し離れたのを見届けると、見藤は突然現れた久保を疑惑の眼差しで見つめていた。そんな視線に気づいた久保は悪戯っぽく笑ってみせる。
「いやぁ、ボランティアサークルって色々と都合がいいんですよね」
「…………君に驚かされる日が来るなんてな」
「誉め言葉として受け取っておきますね」
そう言ってにこやかに笑う久保に、キヨのような曲者らしさを感じた見藤は思わず肩を震わせたのだった。そして見藤は煙谷の後を追い、久保はそんな彼の背中を見送っていた。
見藤が煙谷の元へと追いつくと、彼は男を人気のない場所まで追い込み、壁際で問い詰めていた。
「君、気付いてるよね?自分が作った物が不幸を呼び込むってこと。困るんだよねぇ、勝手なことされるとさ」
煙谷は片手で男の顔面を押さえつけ、空いたもう片方の手は煙と化す。その煙は男の鼻腔と口に流れ込み、呼吸を支配する。男はバタバタと足を動かし、手で煙を払おうとするがその程度で煙谷の拘束から逃れられる訳もなく――。
男は壁につけられた背中の位置を徐々に低くして行き、尻もちをつく姿勢になる。煙谷は屈み、変わらず男の顔を引っ掴んでいる。
それは下手をすれば窒息するのではないか、と煙谷の後ろに佇む見藤は少し呆れたように溜め息をついた。そこで止めに入らないのは、見藤としても止める理由がないからだろう。
男からの助けを求めるような視線を感じるが、無視するに限る。
そして、男はこの状況が現実なのか、はたまた白昼夢を見ているのか判断しかねている様子だ。
目前の男の存在、煙によって呼吸を支配され拘束されている状況。それは常識で考えれば非常に非現実的だ。徐々に男の顔は青ざめていき、酸欠も相まって目がせわしなく動き回っている。
そんな男の様子を目にした煙谷は呑気に口を開く。だが、徐々に語気を強めて行った。
「あぁ。大丈夫、大丈夫。僕は死神って訳じゃないから、命までは取らないよ。でも……、君が作った指輪。あれは駄目。――あれで、何人死んだと思ってんの……?」
「――、――――!!??」
「あぁ、勿論? 君が直接手を下した訳じゃないって言うのは僕も重々分かってるよ? でもね、人を自殺にまで追い込んだ奴がのうのうと息をしていると思うと……」
煙谷の言葉に男はさらに顔を青ざめさせる。ぴくぴくと瞼が痙攣している。
男が視たモノ――、煙谷の背後にぴったりと寄り添う影と煙谷が男を掴む腕にしな垂れるように寄りかかる影。そのどちらからも、怨嗟が籠った視線を感じる。思わず視線を外し、足元を視る。すると、地面から伸びる無数の青白い手。それは手招きをしている 。
「反吐が出るよねぇ」
煙谷は男を見据えながら、にこりと笑ってみせた。
その瞬間――、男の目に影に見えていたモノは徐々に姿を成していき、非難轟々と言葉を叩きつける。
徐々に影だったその姿が見え始め、言葉を耳にして理解ができる。それは半分自分も、あの世へ足を突っ込んだということなのか――。どこか他人事のように思考が巡り、男の顔は恐怖と後悔でさらに歪んでいく。
日の光が唐突に失われたような感覚に陥り、それも相まって煙谷の表情は狂人のそれだ。
「ま、でも……君の寿命が終わりを迎えたら――。どこの地獄に堕ちるのがいいか、地獄の王に進言してあげよう。――あれ?」
鬼気迫る煙谷のお灸の据え方に男は失神したようだ。だらり、とその腕を地面に着けて、目は開かれたままで焦点が合っていない。病的な失神ではないために、しばらくすれば勝手に意識も戻るだろう。
その状況に相反する煙谷の呑気な声に、流石の見藤も額に手を当て困った表情を浮かべている。見藤からしてみれば、煙谷が男をただ糾弾していただけに見えていた。見藤の目に、煙谷の協力者の姿は視えていない。
「……怖がらせすぎだ、煙谷」
「えー、いいだろ。これくらい灸を据えとかないと繰り返すじゃん、人ってやつはさ」
煙谷のいうことは尤もだ。だが、あまりの脅かしように苦言を呈したくなった見藤。
煙谷がぱっと、手を離すと男はだらりと地面に倒れ込んでしまった。彼は面倒くさそうに溜め息をついたかと思うと、男の首根っこを引っ掴んで壁に体を預けるように姿勢を直しておいた。
これで急病などとは思われず、人が集まることもないだろう。大方、ただの座り込んでいる人だと煙谷はうんうん、と一人納得したように頷いている。
そんな大雑把な誤魔化しに、見藤はさらに大きな溜め息をつくことになった。そして、煙谷は「よいしょ」と掛け声を口にしながら立ち上がる。ふと見ると、知らぬ間に煙谷の手は煙から人のものに戻っていた。
「この件。血に祟る、どうにもそれっぽいんだよね……」
「血?」
唐突に煙谷から出た言葉。それに見藤は首を傾げた。
煙谷はポケットからソフトパックを取り出し、仕事終わりの一服とでも言うように吸い始めた。煙を嫌う見藤はきゅっと、眉間に皺が寄る。そんなことなどはお構いなしに、煙谷は言葉を続ける。
「彼の先祖が何かの拍子に呪術の類に手を出したり、数多の人を陥れて不幸にしたり。すると、人を不幸にしたそのツケは子孫までその血を追うことになる」
「ふーん……」
「まぁ、もちろん。そのツケはその人の命で払うことになる。死後もね」
大方、そのツケによってこの男の人生は不幸の連続であったのかもね、と話す煙谷は呑気に煙草をふかしていた。
「でも、そのツケを人生の不幸で払い終えたとして……その後の人生を好転させることができるのも人の力だ。それを怠った結果だよ、これは。妬み、嫉み……そんなよくない感情に縋ると――、どんどん堕ちていく。努々、忘れないようにしないとな」
煙谷の言葉は一体、誰に向けられた言葉だったのだろうか。
立ち去り際、煙谷はちらりと後ろを振り返っていた。ここまで脅したのだ、男が再び呪詛を込めた指輪を作ることは、今後ないことだろう。
見藤と煙谷が一仕事を終えて、男の出店スペースへ戻る。すると、そこには久保の姿があった。大方、二人が戻るのを待つのと同時に指輪を購入しようとこの場所を訪れた人に閉店となる旨を伝えること、新たな購入者が出ないようにその場に留まっていたのだろう。
見藤はそんな久保に礼を言うと、東雲とその友人の姿が見当たらないことに首を傾げた。
「東雲さんは?」
「あぁ、東雲なら二人の姿を見て何かを察してくれたようで。友達と一緒に別のブースを回るとか。いい感じに誤魔化してくれていましたよ」
「そうか。助かったよ、久保くん」
「いいえ、これくらいお安い御用ってやつですよ」
ほっと息をつく見藤。そんな彼に、久保は少しだけ誇らしげに答えたのであった。
孤独感を埋めるには十分すぎるほどの満ち足りた時間をもらったことの恩返しが、少しでもできればいいと――、そんな久保の思いは行動によって示される。
* * *
そうして、既に販売された指輪は見藤の実働調査による回収。そしてさらに、指輪に塗布された研磨剤による健康被害の暴露、と設定した注意喚起を促す情報の流布が斑鳩によって行われ、自ずと見藤の元に指輪は集められるだろう。これでこの件は収束に向かって行くはずだ。
そこまではよかった。呪詛が込められた残った指輪の処分はと言うと――。
「煙谷のクソ野郎、こっちに全部押し付けてきやがった……」
「はいはい、手を動かしなさい」
「ちっ……」
パキ……、と霧子の手の中で指輪が割れる音がする。
ガンっ!! と指輪を金槌で叩き潰す音が響く。見藤、怒りのはけ口となった金槌は次々に指輪の呪詛を祓っていく。
「はーい、鉄屑は回収しますね」
久保の呑気な声が、その場の雰囲気を調和する。
――そんな時間がしばらくの間、続いたのであった。




