33話目 針山の針と影に溶ける影法師④
見藤がヌイメの封印を完遂した頃より、時を少し遡り ――。
適度に休憩を挟みながら、久保と東雲は依然として書類の仕分け作業に追われていた。せめてもの救いは山積みにされていた書類が、三分の一ほどの高さに減ったことだろうか。
東雲が一息付こうと「うーん」と伸びをした時だった。
ガチャリ、と事務所の扉が開かれる音がする。見藤不在の場合、事務所の扉には『休業』という掛け看板が出されるため、突然の来訪者はいないはずだ。
二人は不思議に思い、扉の方へ視線をやる。すると、そこには出掛けたはずの見藤の姿。何か忘れ物をしたのだろうか、と久保は声を掛けようとしたのだが、はたと止めた。
見藤は無言のまま事務所内を見渡したかと思うと、何かを探している様子だ。ばちり、とソファーに座る二人と視線が合う。すると、彼は一瞬びくりと肩を震わせた。
その様子を見た東雲は不敵に笑ったのだ。どことなく悪い顔をしている。そんな彼女の表情を見た久保はこれから起こることが予測でき、思わず溜め息をついたのであった。
「ふっ……、うちの目を欺こうなんて百万年早いわ」
そんな台詞とともに、東雲はさらりと前髪を手で払いのけた。きらりと光るピアスがなんとも粋な演出をしているものだ。その表情と台詞はまるで、正体を見破った名探偵。
―― そして始まる、東雲による怒涛の見藤語り。
「ええか!?見藤さんは扉なんかを通るとき、少し猫背気味になる!!」
「……、……」
「あと、眉間の皺!!そんなに浅くない!もっと、こうっ!!目尻の優しげな雰囲気はなぁ!?」
突然、語り出す東雲の熱量に見藤の姿をしたナニか ―― もとい、ドッペルゲンガーも流石に引いている。
見藤の顔をしながらも、その表情は豊かであるようで今度は久保に向かって何かを訴えている。しかし、依然その声を聞くことはできないようだ。身振り手振りで久保に東雲の方を指している。
久保は疑問に思い、彼に尋ねる。
「うん?どうしたの?」
「……、……!!」
「あぁ、バレバレだからな。ほら、霧子さんに見つかる前に帰りなよ。また怒られるよ?」
久保はそう声を掛けると、自分の知らぬ間に設けられた神棚を見上げる。それにつられて彼も神棚を見上げたのだが、その表情はどこか悔しそうだ。
久保は見藤の言葉を思い出す。古参の怪異の縄張りを奪おうとする新参の怪異。彼がどうしてそこまで、この事務所 ――、というよりも霧子の縄張りとも呼べる見藤の周辺に固執するのか分からない。
何しろ別段、ここ周辺に居着く古参の怪異、と言っても霧子だけではないだろう。猫宮しかり、その長い生から考えれば古参中の古参であるように思うのだが ――。
久保の巡る思考に果てに、その答えは出なかった。
それに彼に関して言えば、目に見えて人に危害を加えようとしたところを見たことがない。
よく耳にするドッペルゲンガーは不埒な目的のために、人の姿を借りるという。―― と言っても、見藤からしてみれば彼の姿を借り、霧子に近付いた時点で不埒な目的と言えるのだろう。このドッペルゲンガー、その真意は分からない。
(見藤さん、怪異に好かれやすいからなぁ……。人たらし、ならぬ怪異たらし、なんて)
それは久保の心の内に呟いた独り言だった。
一方のドッペルゲンガー。―― どうなっている。それが率直な思いだった。
認知の残滓から実体を成したのは悲願とも言えることだった。それがドッペルゲンガーだとは思ってもみなかった。その怪異は人の姿を借りなければ、存在を維持できない。朧気な記憶を辿り、ようやく人の姿を模った。
その姿の因果とでも言うのだろうか。不思議と引き寄せられるように、ある場所を目指した。『彼』がいる場所だ。
ドッペルゲンガーは、本人と関係のある場所に出現するという認知のためだろうか。影を移動し、影に潜んだ。ようやく目にした『彼』の姿は、記憶と随分と違っていた。
怪異として実態を得たばかりであるからか、その姿を借りるにも少しばかり時間を要した。そしてようやく、その場所へ足を踏み入れた。
までは良かったのだが ――、悉く偽物だと見破られるのだ。同列の存在である怪異ならまだしも、人にも己が怪異であると即座に見破られてしまった。それは存在意義の敗北。
ドッペルゲンガーは人の姿を借り受け、その人と存在ごとすり替わる。しかし、この怪異は違った。すり替わりたかったもの――、それは『彼』の傍に居つくあの女怪異だった。
◇
久保と東雲にその正体をいとも容易く見破られたドッペルゲンガーは、呆然とその場に立ち尽くしている。それを見つめる二人も、このドッペルゲンガーをどうしたものかと決めかねているようだ。
すると、事務所内に巻き起こる空気の揺らぎ。それは篝火を纏わせながら、風と共に姿を現した。その姿に久保は目を見開き、嬉しそうに名前を呼んだ。
「あ、猫宮!」
「んァ?よぉ、お前達やっと戻ったのかァ?」
久々の再会に嬉しさを抱いたのも束の間 ――。猫宮の帰宅と共に、なんと山積みにされていた書類は宙を舞った。猫宮が降り立ったのは、ローテーブルの上だったのだ。
思わず久保と東雲は絶叫し、猫宮はその声量に驚きの声を上げる。
「な、なんだァ!?」
「あぁあーーーーっ、うちらの努力がぁ……」
「振り出しに戻った……」
はらり、はらりと舞い上がった書類が落ちて来る。時間をかけて為遂げたはずの紙の山は、見るも無残に床に散らばっていった。
流石の久保と東雲もじっとりと猫宮の視線を送る。何も追及されない、無言の圧力と言うものは時に怒りの言葉よりも大いに効果的なことがある。
猫宮はその狭い額に皺を寄せたかと思うと、哀愁漂わせた表情を浮かべる。そして、申し訳なさそうにそっと口を開く。
「弁解の言葉もございマセン」
「「はぁ……」」
珍しく丁寧な言葉で陳謝する猫宮に、二人は溜め息をつく他なかった。
久保と東雲は膝を折り、黙々と書類を掻き集め始めた。猫宮はそんな様子を遠巻きに見ているドッペルゲンガーへちらりと視線をやる。久保に向き直り、彼について尋ねた。
「にしても……、どうしてまた新たに怪異がここに居ついてるんだァ?それにその姿……、姐さんの逆鱗に触れるだろうが。俺はとばっちりを食らうのは御免だぞ!」
猫宮の言葉にむっとした表情を見せたのは、見藤の姿を真似たドッペルゲンガーだ。腕を組み、こちらを睨み付けている。
そんな彼の様子に久保は少しだけ眉を下げた。一応、猫宮には現状を説明しておく。
「うーん、居つくというのは少し違うかもな。見藤さんと霧子さんに追い払われたはずなんだけど……。どう言う訳か、ここに固執してるみたいで……」
「ふーん、」
「そういう事もあるのかな?」
「さァな」
久保の求める答えを猫宮は持ち合わせていないようだ。その素っ気ない返答に久保は少しむっとしながらも、こちらを見ているドッペルゲンガーが視界に入る。
すると、何かを思いついたように少しだけ悪い顔をして見せたのだ。それはどことなく、二人の雇い主を思い起こさせる。
「君が話の分かる奴って言うんなら、ちょっと手伝ってくれるかな?」
「お、それええな。丁度、人の手が欲しかったんや」
じろり、と二人に睨まれたドッペルゲンガーは肩をびくつかせた。だが、観念したようにこくりと頷いた。そして出会った時と打って変わり、借りてきた猫のように大人しくなった。
彼は戸惑いながらも、ちょこんとソファーに座ったのであった。その動きは体格に恵まれた見藤の姿で目にすると、面白おかしいものがあった。
どうにも見藤らしからぬ行動や表情をするもので、久保の調子は狂う。久保は再開した書類の仕分け作業の手を止め、おずおずとドッペルゲンガーに声をかけた。
「あぁー……見藤さんの姿だと気まずいから、別の姿になれるかな?」
「……、……!」
「うん、頼むね」
すると、ドッペルゲンガーは一瞬、久保の影にその身を潜めたかと思うと今度は別の姿をとり、その場に現れた。その姿は ――。
十五、六ほどの少年だった。短く切り揃えられた黒髪に、丸みを帯びた額は幼さをより強調させている。その鼻筋はすっと通り、薄い唇は形がいい。やや切れ眉であるが、目は少しだけその端を下げている。
睫毛は長く、その奥に輝くのは深い紫色をした瞳。珍しい色をしていると思ったのだが、二人は特に気に留めていない様子だ。そして、彼の格好も特徴的で、和服と洋服を組み合わせた不格好なものだった。
その姿を目にした久保は抱いた疑問を口にする。
「……誰だろう?」
「さぁ?でも、すごい綺麗な顔した男の子やな」
「どこか見藤さんに似てる……?まさかね」
「他人の空似ってやつかな」
見覚えなどあるはずがない、誰かの姿に既視感を覚えた久保と東雲。二人は首を傾げたのだが、手伝いさえして貰えればその姿が誰であろうと構わなかった。
ドッペルゲンガーはソファーに座ると、書類を手に目を通し始めた。どうやら文字は読めるようだ。そうして、猫宮によって散らかされた書類を仕分ける作業が始まったのだが ――。書類を見るも無残に散らかしてくれた猫宮に、久保は ――。
「手伝ってくれればいいのに……。まぁ、その丸い前足じゃ無理か……」
そう呟いた時だった。
久保と東雲が座るソファーの向かい。先ほどまで霧子が座り、雑誌を読んでいた位置だ。猫宮はそこに座り、なんと付箋が貼られているページを前足の爪をひっかけて器用に捲っているではないか。
久保はわなわなと震え――。
「又八ーーーー!!」
「にゃぎゃっ!!」
怒りに任せて猫宮の尻尾を容赦なく引っ掴んだのであった。
ご覧頂き、ありがとうございました。
最後にブクマ・評価★・感想など、いずれでも頂けると励みになります。




