33話目 針山の針と影に溶ける影法師
そうして、斑鳩家が所有する屋敷。翌朝、見藤は客間で目を覚ました。疲労からか、少し重たい頭を手で押さえて起き上がる。
来客用として貸し出された寝間着に視線を落とし、ふと壁に掛けられたスーツを見やる。それはいつの間にかクリーニングに出されたようで普段よりも小綺麗になっている。見藤は申し訳なさそうに眉を下げたのであった。
昨晩はと言うと、酒をたらふく飲んだ斑鳩は文字通りの酔っ払いと成り果て畳の間で大の字になり眠ってしまった。その場の流れで見藤が彼の世話を焼くことになり、文句を言いつつも介抱したのだった。
それを目撃した使用人達は当主の養子という立場である、斑鳩の恩人とも言える見藤に対し平謝りしていた。
見藤としても恩人などと大層なつもりは毛頭ないため、友人へのただのお節介であったと断りを入れておいた。それが見藤の知らぬ所で斑鳩家での彼の株を上げたことなど本人は知る由もない。
◇
斑鳩家による認知操作まではその目に見ること叶わないのだが、実働調査としてまだまだやらねばならないことは山積みだ。それを考えると、見藤は思わず溜め息をつく。重たい体で立ち上がった。顔を洗い、髭を剃り、早々に身支度を終えたのであった。
そうして客間に出された朝食を食べ終えると、お膳を下げに来てくれた使用人に軽く礼を伝える。すると、反対にこれでもかと言うほど頭を下げられた。見藤が慌てて止めるが、彼は止めることはしなかった。
「坊っちゃんを、……ありがとうございました」
「あ、いえ……、そんな……」
畳についた三つ指は少しだけ震えて鼻声交じりにそう言われてしまえば、その礼を受け取らなければならない。斑鳩家は使用人ともいい関係であるようで斑鳩は相当慕われているようだ、とどこか納得したように見藤の目元がふっと緩んだ。
―― のも、束の間。
見藤はユビキリマワリの報告書を斑鳩から押し付けられ、さらにはヌイメの認知の及び方の調査まで割り振られる羽目になった。
因みに肝心の斑鳩本人は、見藤が起き出すよりも早朝に警部としての仕事のためにこの屋敷を発ったと聞かされた。
要は文句を言う先がなければ、後は見藤がどうにかしてくれるだろうという斑鳩の甘い算段だ。言わずもがな、見藤の眉間に深く皺が刻まれることになった。
◇
見藤は客間から場所を移し、そこは屋敷内の一室。日本家屋の風流な内装と打って変わり、その部屋はえらく近代的な造りをしている。
既に数人がモニターに目を光らせており、情報収集にあたっていた。
斑鳩によって放り投げられた仕事に不服そうな態度を隠そうともせず、後方の椅子に仏頂面で座る見藤には、ちらちらと申し訳なさそうな視線が送られる。
どうやら斑鳩は若年層の育成に力を入れている様子で、この部屋で情報収集にあたっている者達は見藤よりもいくらか年若く見受けられた。
昔、斑鳩と見藤の間に交わされた約束。呪い師の家系に生まれた二人 ――、その家に蔓延る身分差別や一方的な尊厳の搾取、そう言った自分たちが味わった悔恨を次世代へ遺すべきではない。
本来であれば呪いは人や怪異の救いのために在る、それを人が人を呪う術として貶められる。その因習を払拭し、本来在るべきものへと戻す。そんな、険しい道のりを敷いた約束をしたものだ。
それはこうした次世代の育成といった形でも少しずつ成されていくのだろう。そして、斑鳩はその家の主軸とも呼べる斑鳩家当主の養子となる。それは次期当主としての立場が確立されたようなものだ。
見藤はあの頃の思いを、ほんの少しだけその胸に再び宿すことになったようだ。険しい表情をしながらも、ユビキリマワリの認知消失の確認作業、ヌイメの情報収集を事細やかに指示していた。
さらに言えば、見藤は機器類に疎いため、そのような事は不可能であると言ってしまえば楽であるような指示をいくつも飛ばすのだ。
その指導の厳しさは、たった数時間で斑鳩家の若い衆の中では知らぬ者がいなくなる程だったようだ。
その指導の甲斐あってか、夕刻までかかると思われた作業は昼過ぎには終わっていたのだが ――。
見藤による怒涛の指導により、その部屋に転がるのは死屍累々となった者達であった。中にはその達成感から得も言われぬ笑みを浮かべる者がいたのだが、それはそっとしておこう。
そうして、残るはヌイメの封印のみとなった。それはまた斑鳩からの連絡を待つとして、今日は事務所へ帰らねばと見藤は早々に屋敷を発つ。玄関先まで見送りに来てくれた使用人に軽く挨拶をして、出立した。
すると、斑鳩家の屋敷を後にする際、見藤はふと思い出したことがあった。
(そう言えば結界の綻び……結び直してないな。まぁ……いいか、後で斑鳩が直すだろ)
報告書やヌイメの認知操作の指示、それら全てを押し付けた斑鳩へのせめてもの仕返しだ。
見藤が屋敷を発ってからしばらく ――。庭から悲痛な叫び声が響いた。あまりの声に使用人達は手を止め、そちらを見やるほどだ。
「はぁあん!?この結界をいらった(触った)のは誰や!?こん、……こんな、やくたいやで(手のつけようがない)……」
見藤が作った結界の綻び。それは見藤のように腕の立つ呪い師でないと結び直すことは不可能で、これでは一から再び結界を貼り直すしかない。
庭で項垂れる老齢な庭師の姿があったことを、見藤は知る由もなかった。
* * *
「小物風情があいつの姿で私に手を出そうなんて、いい度胸してるわね」
冷たい霧子の声に動じることなく見藤の姿をした何者かは、面白そうに首を傾げた。挑発的な笑みはそのままに、彼女の髪を手に取っている。その仕草が霧子の神経を大いに逆撫でする。
すると、事務所の扉の向こうから何やら楽しげな声が聞こえてきた。何事かと霧子は扉の方を見やれば、その冷たい空気は成りを潜めてしまった。
がちゃり、と扉を開けたのは――。
「お久しぶりです。見藤さんに連絡はしたんですけど、繋がらなくて」
「こんにちはー!これ、皆で食べま、……」
久保と東雲であった。
ばちり、と二人と霧子の視線が合う。東雲に至っては言いかけていた言葉を噤《
つぐ》んでしまった。
そう、今の事務所内の状況。窓際の椅子に座る霧子を、見藤が覆い被さるようにしてその腕の中に閉じ込めている。若者言葉で言う、いわゆる壁ドンだ。そして、その片手には彼女の艶やかな髪の束が握られている。
その光景を目にした東雲は一瞬ぽかん、と口を開けた後 ――。
「は、破廉恥ーーーー!!!!」
と絶叫していた。キーーン……、と響く高い声に隣に立っていた久保は思わず耳を塞ぐ。
「うるさ……いや、よく視なよ東雲」
「はぁん? 何を言うてるの、久保は。どこからどう見ても破廉恥や!!」
「違う、違うから。そうじゃないって」
どうやら療養期間を経てもこの二人は相変わらずのようだ。ただ少しだけ、互いを呼び合う名に変化があったようだ。
久保の冷静な言葉に東雲は怪訝な顔をしながら彼を見やり、そして視線を窓際の二人に戻す。視線を戻したとしても、変わらぬ霧子と見藤のその距離感。
東雲からしてみれば二人だけの世界のような雰囲気を纏っており、破廉恥極まりないと思う。が、久保の次の言葉で東雲は一気にその考えを捨てることになる。
「見藤さんがこんなこと、する?」
「せぇへんわ……。そんな甲斐性ないわ……」
二人の指摘はもっともなのだが、何気に失礼な発言をしている二人。それに対して霧子は顔を真っ赤にして、金魚のように口を開閉させている。
どうにも東雲に破廉恥だという言葉を掛けられ、霧子自身と見藤が触れ合う様子を想像したのだろう。先程の凍てつくような表情とは打って変わって、顔を赤らめて羞恥心から目に薄っすら涙を浮かべる様子は猫宮に茶々を入れられたときのようだ。
―― すると、そこへ掛けられるもう一つの声。
「君たち、事務所の前で何してる。久しぶりだな」
「あっ!!?」
二人の背後から掛けられた声に東雲は驚きの声をあげる。東雲が慌てて振り返ると、そこに立っているのは紛れもなく見藤だ。しかし、目の前の霧子に迫る見藤とは風貌が違う。東雲たちが見慣れているのは、窓際にいる見藤。
東雲は事務所の中へ視線を戻す。彼の風貌は短く切り揃えられた髪に後ろ髪は軽く刈り上げられ、短い前髪は整えられるように流されている。顎に蓄えられた無精髭も健在だ。しかし、その表情は先程までの挑発的な笑みが消え、こちらを凝視している。
片や、こちらに佇む見藤。襟足が少しだけ伸び、前髪も伸びているのか額を晒し全て後方へ流している。その顎にはいつも蓄えられている無精髭は見当たらない。
それにより少しだけ顔を幼く見せているのだが、その顔はようやく依頼が終わった帰り、という様子が伺え疲労が見え隠れしている。
「明らかにこっちやな、本物は」
二人の見藤を見比べた東雲はそう言って、ぴっ、と二人と並ぶ見藤の方を指差した。と、なれば窓際にいるもう一人の見藤は偽物 ―― おおよそ、人の姿を真似る怪異だろう。
「……君ら、一体何を話して ――、」
そこまで言うと見藤はぴしり、と固まってしまった。 依然、事務所へ入ろうとしない久保と東雲の間をぬうように見藤は中を覗く。だが、そこで目にした光景は先程二人も目にした光景だ。身を固めて一向に微動だにしない見藤を、不思議そうに見上げる久保と東雲。
そう、二人は見藤と霧子の距離が少しだけ縮まっていることを知らない。故に、見藤の中でぐるぐると巡る思考に、その動きを止めてしまっている理由など知る由もない。
(俺があんなことしたからか……? いや、でも霧子さんは……。いやいや、彼女がそうしたいなら俺はそれを受け入れるべきで……。でも今更、彼女から離れられるか……?)
目の前の光景を目にした見藤は、霧子に愛想を尽かされたと曲解していた。
―― それもそのはず。見藤が事務所内を覗いた瞬間が非常に悪かった。
奇しくも、自分と同じ顔をした何者かに迫られ顔を赤らめている霧子、という光景が目に飛び込んで来たのだ。それは見藤を思考の渦に突き落とすには十分だった。
自分と同じ顔をした何者か、という異常事態が見藤の中からすっかり抜け落ちてしまっているのは、普段からその身を怪異事件などの不思議な環境下に置いていることが影響しているのだろう。
そして、そのような些細な事は気にするほどのものではなく、今は霧子の様子の方が最重要事項だ、という彼の意識もあるようだ。
── しばしの間、その場は静寂に包まれた。




