32話目 誓いと代償③
犬神は人だけに憑く怪異ではない。牛馬や無生物にも取り憑くとされ、そうであれば依り代とするのが実体を持つ怪異であっても何ら不思議ではないのだ。
存在を食らわれてゆくユビキリマワリはその大きな体躯を揺らめかせながら、その体を徐々に溶かしていく。
人の依り代と異なり、流布によって生まれた比較的日の浅い怪異とでは核になる強さが違うのだろう。人の魂はいわばエネルギーの塊だ、それも斑鳩という怪異に対抗するために修行を積んだような強靭な精神を持つ者とでは話にならない。
―― 見藤の誓い。それは何も、怪異の存在を奪うよう直接手を下さなければよいのだ。
この場合、犬神の依り代として耐え切れず、ユビキリマワリは自らの存在を食われた。それだけだ。
ユビキリマワリがその姿を溶かした後、犬神にも変化が訪れる。土竜の風貌をしていたその姿は、ぼこぼこと気泡を作り、皮膚が溶けていく。すると、その下から現れたのは犬神だったもの。
『ワン!!』
吠えたかと思うと、それは空を駆け登って行った。その姿は、斑鳩だけに視えていたことだろう。
犬神の怨念を受けた依り代が消滅したことによって、犬神もその姿を消したのだ。
―― 蔵の中は一時の静寂に包まれる。すると、斑鳩が恐る恐る口を開く。
「お、終わったのか……?」
「あぁ、後は斑鳩家の仕事だ」
「……少しは休ませろ。全身が、痛てぇ……」
そう言って項垂れる斑鳩、見藤は彼を椅子に縛り付けていた縄を解いてやる。縄に貼られていた二枚の札は、燃えたように煤けていた。
そして、斑鳩の前に置かれていた酒は黒く濁り、周りにあった蝋燭はその姿を半分以下に縮めていた。
見藤は盃を空箱に入れ、隣に置いていた和紙に筆で何やら模様を描いて行く。そして、箱を覆うように貼り付けた。それは《《悪いもの》》を落とした残滓とも呼べるような代物だ。そのような物、早々に封印してしまうのがいいとでも言うようだ。
見藤は斑鳩に取り憑いていた犬神を引きはがし、ユビキリマワリを新たな依り代とした。その結果、どちらも消滅させた。それにより、流布によって生み出された存在 ――、ユビキリマワリという怪異は認知における実体を失ったのだ。
残るは新たなユビキリマワリが生まれる前に、流布された『ユビキリマワリという怪異』の認知を消滅させるだけ。それは見藤の力が及ぶ所ではない。
斑鳩は椅子から立ち上がると、体中が痛むのか動きがぎこちない。
一方の見藤はそんな彼の様子を気にも留めず蝋燭を一本、一本回収している。全てを回収し終わると、一仕事を終えた解放感から大きな溜め息をついた。
しかし、見藤は斑鳩の腕を目にすると見藤の表情が少し曇ってしまった。
斑鳩は赤く滲んだ包帯を取り払っていたのだが、その下の皮膚には咬傷ではなく火傷のような痕がくっきりと残されていたのであった。斑鳩はそんな見藤の視線に気付くと、気にするなと言わんばかりに笑ってみせた。
「ある意味、勲章だな」
「……馬鹿言え」
その痕は恐らく一生、彼の腕に残るだろう。それを勲章などと言ってしまう斑鳩に、見藤は悪態をつきながら大きな溜め息をつくのであった。
すると、そんな見藤を見た斑鳩はある提案をする。
「おい、今日はここに泊まって行け。明日の朝から動く。まだ、残ってるのがいるだろ?」
「……あぁ、そう言えばいたな。すっかり忘れていた」
「ユビキリマワリの認知の消滅と、ヌイメの認知操作だ」
「はぁ……分かった」
そう、まだ終わりではない。斑鳩の言葉に、見藤はさらに大きな溜め息をつくことになった。
二人は肩を並べて蔵の扉の前に立つ。すると斑鳩はふっ、と笑い見藤の肩へ肘を置き、少しだけ体重をかけた。見藤は少し鬱陶しそうに斑鳩を見やるも、その表情は少し柔らかい。そうして、斑鳩はぽつりと ――。
「恩に着る。助かった」
「……別に、お互い様だ」
「ったく、お前はよぉ。礼くらい素直に受け取れ」
そんな言葉を交わしながら扉を開くと、二人を出迎えたのは満点の星が幾千にも輝く夜空だった。
◇
そうして、見藤は斑鳩家の屋敷に一泊することになったのだが ――。
「飲め飲め、見藤!!!はっはっはっ!!酒ならいくらでもある!!」
「酒は飲まん!!!しつこいぞ!!くそっ、さっさと帰るべきだった……!」
夕餉をご相伴に預かったはいいものの、斑鳩の酒癖の悪さに辟易とする羽目になってしまったのであった。
それから見藤は斑鳩にたらふく水を飲ませると、彼の酔いは最高潮に至ったのか。斑鳩は豪快に大の字になって眠ってしまった。
折を見て見藤は念のため事務所の固定電話へ一報を入れておく。霧子が社にいたとしても留守番電話に入れておけば、彼女に伝わるだろうと考えたのだ。
今日の夜は事務所へ帰れないこと、明日も実働調査となり帰るのは恐らく夕刻になるだろうということ。そして、新たに生まれる怪異が異様に数を増やしている、なるべく注意するように、と彼女の身を案じる言葉も忘れない。
―― 時に、新たに生まれた怪異は、古参の怪異の縄張りを奪おうとする不届き者が現れる。
見藤はできるだけ伝えたいことを留守番電話に詰め込む。そうして、伝言を終えると縁側から覗く夜空を見上げたのであった。
その星々の煌めきは彼女を思い起こさせるには十分な輝きを放っていた。
* * *
そうして翌日。時刻は昼間頃であろうか。
この日も霧子はソファーに座って雑誌を読んでいた。見藤の帰りが遅くなることは昨日の留守番電話の伝言から知っているため、特にすることもないのだろう。
ぺらり、ぺらりと紙が捲れる音だけが事務所内に響く。
「うーん、流石に暇ね」
霧子はそう呟くと、雑誌をローテーブルへと置いた。お喋り相手の猫宮も今日は外へ出掛けている。何かすることはないかと思い至り、ソファーから立ち上がる。
すると、窓際に置かれた竜胆の植木鉢が目に入った。あの植木鉢は見藤が懇切丁寧に世話をしている。その竜胆も冬場はその花を終え、球根の状態になってしまっていて、霧子は少し残念そうにその植木鉢を見つめている。
思いついたように霧子は事務所の端に置かれた簡易椅子を持ち出すと、その窓際に寄せて置いた。どうやら今日は植物観察をするようだ。椅子に座って鼻歌まじりに、竜胆の植木鉢を眺めている。
すると ――、がちゃり、と事務所の扉が開かれた。こつ、こつ、こつ……と足音が霧子へと迫る。
足音を耳にした霧子は振り返った。だが、その姿を見た霧子は一瞬、動きを止めたのだ。―― 彼女の前に現れたのは、見藤だった。
しかし突然 ――、彼は椅子に腰かけている霧子をさらに窓際へ押しやるようなかたちで両腕を窓枠につき、腕の中に彼女を閉じ込めた。そして、その恵まれた体躯で覆ってしまった。それは霧子の顔に影を落とす。
見藤は霧子の顔にかかった髪を梳いた。その行為に霧子は思わず眉を寄せた。
「ふん、いい度胸してるわね」
―― どうやら問題は山積みのようだ。
挑発的な笑みを浮かべる見藤を見上げる霧子の瞳は凍てつく氷のようであった。
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