32話目 誓いと代償
犬神の力を使用した代償とも呼べる呪いの進行を止める処置を施した後、見藤と斑鳩は今後について詮議を行っていた。
斑鳩は疲労を隠し切れない様子で、力なく言葉を溢す。
「まぁ、決行は明後日くらいか?」
「そうだな、早ければ早い方がいい。お前のその腕のこともある」
「了解した、当主に掛け合っておく」
見藤の言葉に斑鳩は力強く頷いた。
そうして、見藤と斑鳩は沈鬱な面持ちを払拭し、迷いのない目をして互いに別れた。二人は青年の頃の信条をほんの少しだけ、思い出したようだ。
斑鳩に取り憑いている犬神、そして彼をつけ狙うユビキリマワリ。そのどちらも一度に解決してしまおうと言うのが、見藤の思惑であった。そして、それには彼が過去に立てた誓いを破らねばならない。
斑鳩を見送った見藤は帰宅時の格好そのままに霧子と共にソファーに座り、一息ついていた。依然、ローテーブルの上には包帯や木箱、筆が転がっている。
深く息を吸い込むと、見藤はそっと口を開く。
「『怪異を贄とするな、その手で存在を奪うことは許されない。』……我ながら、面倒なものを立てたものだな」
「でも、それがあんたの信条だった。私はそれを否定しないわ」
見藤が紡いだ言葉は、過去に立てた誓いだった。だが、霧子は見藤の心に寄り添う言葉を口にした。彼は愛しさに満ちた眼差しを向ける。いつも、良き理解者は霧子であったと思い出す。
見藤のそんな視線が今更ながら恥ずかしいのか、霧子はほんの少しだけ顔を赤らめてそっぽを向いた。
見藤はもう一度、深く息を吸い込むと思考に身を投じた。
斑鳩が置かれている状況。呪物とも呼べる怪異をその身に取り憑かせた代償を自業自得だと見放すこともできず。さらにその原因となったのは、彼の自己犠牲につけ込んだ血の繋がった親であったという。そうして知った、斑鳩の隠された本心。
―― やり場のない鬱憤とした感情は煩悶する心へと移ろっていた。
斑鳩との対話を終え、心の中にあった複雑な感情は僅かながらに終着点を見つけた。
思考を終えた見藤は霧子を見つめながら、口を開く。
「別に誓いを破る訳じゃない、ぎりぎりな。その抜け穴をつく」
「成程ね」
霧子の言葉に見藤は力強く頷いた。先の座敷童からの依頼を経て、見藤は掟や縛りへの対抗策を講じる手腕を得た。それは過去に自らが立てた誓いとて例外ではないようだ。
その誓いは呪いの効力を確実のものとするために、認知が浅く幼い怪異達を贄とせざるを得なかった過ちを忘れない戒めでもあり、見藤自身を縛るものだ。
しかし、斑鳩のためにそれを覆そうという。それほどまでに彼は見藤にとって親友だった。
そうして見藤の言葉を聞き、どこか納得したように霧子は頷くとソファーから立ち上がった。そのときに揺れる、彼女の艶やかな黒髪と視界に入る細い手首。
見藤は先程の愚行を思い出してしまい、彼女にどう謝ろうか心中穏やかではなかった。先ほどから頻繁に霧子の顔色を伺っている。
「それじゃ、私はもう寝るわ。あんたも、さっさと風呂にでも入って頭をすっきりさせて、寝てしまいなさい」
「あ…………」
しかし、見藤の想いとは裏腹に霧子はそう言い残して、その姿を社へと消してしまった。そうして、その場には項垂れる見藤がひとり残されたのであった。
* * *
それから翌々日。
見藤は荘厳という言葉が相応しい屋敷の前に佇んでいた。彼の背は夕陽に照らされ、少しだけ影を落としている。夕空をたゆたう烏が鳴き声を響かせていた。
その場所は使い古したスーツに、ダウンパーカーを身に纏った男が訪れるにしては似つかわしくない場所だ。だが、当の本人は気にすることなくその門を叩いた。そうして、見藤の元に向かって来たのは斑鳩だ。
「早かったな」
「そうでもない。少し、……迷ったくらいだ」
「はは、そうかよ」
どこかばつが悪そうに答える見藤に、斑鳩は笑い声を溢しながら懐かしそうに笑ったのであった。
ここは、斑鳩家本家が所有する屋敷のひとつだ。所帯を持つ斑鳩自身は普段であれば、妻や子ども達と住む自宅に身を置くのだが、こうして屋敷へと足を運んだ理由はひとつ。
「ここにユビキリマワリを誘い出すって訳か。蔵の使用は話を通してあるぞ」
「あぁ、助かる。まぁ、俺の事務所で何か壊されても困るからな」
「……おい」
「冗談。お前と所縁のある場所の方が手っ取り早いというだけだ」
見藤を諫めるような斑鳩の視線をものともせず、冗談交じりに言葉を交わす。
◇
そうして斑鳩の案内の元、見藤は屋敷の敷地内へと足を踏み入れた。すると、ふとした違和感に後ろを振り返った。今度は見藤が立ち止まったことを不思議に思った斑鳩が、彼を振り返る。
斑鳩は見藤の視線の先にあるものに気付き、説明を入れた。
「うちの敷地には怪異が侵入できないよう結界を張ってある。まぁ、どこの家もそんなもんだと思うけどよ」
「ほーん……」
害を成さなければ怪異に対して寛容である見藤と違い、怪異対策を講じることを役割とする斑鳩家や他の名家はやはり怪異に排他的なのだろう。それは、呪い師が他の呪い師から身を守ることにも繋がる。
見藤が振り返った先には、水面のように輪を描く空気の流れがあった。それは屋敷、庭園と言ったこの敷地全体を囲んでいるようだ。結界と言う通り、普通の人であれば、その姿を捉える事はできない代物だろう。
すると、見藤は空を見上げるや否や、斑鳩を振り返り一言。
「その結界、少しばかり弄ってもいいか?これじゃ、ユビキリマワリをおびき寄せようにも奴が入って来られないだろ」
「……そりゃ、いいけどよ。そんなこと、」
斑鳩家のごく一部の人間でなければできない、と斑鳩は言いかけた。だが、周囲をしきりに見渡す見藤を目にすると、口を噤んだ。「全くこの男は一体何を仕出かすつもりなのか」と、懐疑的な視線を送る。
すると、見藤は目当てのものを見つけたのか。斑鳩のことなど気にせず、庭を進んで行く。
流石は名家に名を連ねる斑鳩家、といった具合にその庭も荘厳な造りをしている。屋敷の前に構えられた日本庭園は枯山水を様式とし、その趣を漂わせている。
見藤は庭師によって丁寧に描かれた箒目を崩さないよう敷砂を避けつつ、四苦八苦しながら進んでいる。
「……何してんだお前」
その光景のおかしさに、斑鳩は思わずそう呟いていた。
庭園に置かれた自然石は滝石組となっており、石を幾重にも重ねたその姿は斑鳩家の力強さを表し、登竜門伝説を踏襲したものだろう。
見藤はそこへ向かうと、何かを確認するようにしゃがみ込んだ。斑鳩はそんな見藤の後をついて行き、一体全体何をしているのかと覗き込んでいる。
見藤は素手で敷砂に何かを書いたかと思えば、今度はその手で書いたものを消してしまった。
「よいっしょ、」
見藤の掛け声と共にパキっ……、と何かが小さく割れるような音がした。
(まさか、結界を破ったのか……?)
そう思い至ると、斑鳩は慌てて振り返る。屋敷の上空や門方面の空を見上げるが特に結界が破られた様子はなく、揺らめく青い空は健在だ。そんな光景に斑鳩は不思議に思い、首を傾げたのであった。
そうして、斑鳩は見藤に諫めるようなかたちで声を掛ける。
「お前」
「問題ない。少しだけ綻びを作っただけだ。これでユビキリマワリはお前を狙ってやって来るとき、綻びを通るしかない。こうすれば他の被害も少ないだろ?」
「いや、そういうことじゃなくてだな……?」
「うん……??」
「はぁ……、今ならキヨさんの気持ちが分かる気がする」
どうしてここでキヨの名が出るのだと、見藤は斑鳩を訝しげに見上げている。
大体、その家に張られた結界と言うものは、代々受け継がれてきた秘匿されるべき呪いのひとつだ。そのための手順、用意される道具、口にする祝詞、そのどれをとっても家々の特徴などが現れ、同じものは存在しない。
そして、技法は本家のごく一部の人間にのみ伝承される、というのが定石だ。
それを部外者であるはずの見藤が、一目視ただけでその仕組みを理解した。そして、結界そのものを解呪してしまうのではなく必要な一部だけを解呪し、残った部分は結界としての機能を失わずそのまま維持している。
斑鳩は驚き半分、驚異的なことを仕出かしたという自覚が全くない見藤に呆れ半分と言ったところだ。
「はぁ……」
「斑鳩、お前。さっきから一体何なんだ……」
斑鳩は珍しく大きな溜め息をついたのであった。




