5話目 真夏の肝試し、廃旅館の開かずの間
季節は移ろい、いよいよ夏本番。太陽の日差しが肌を刺す。
事務机に向かいながら、見藤は自身を団扇で仰ぐ。熱波へのせめてもの抵抗だ。古い雑居ビルに設置された冷房器具など、たかが知れているのだろう。
久保と東雲もソファーに腰かけ、同じように団扇を手にしている。ただ、怪異である霧子だけは涼しい顔をして、優雅に雑誌を読んでいた。そんな彼女の姿は亭々たる長身ではなく、人の姿を真似たもの。久保と東雲が見慣れた姿だ。
すると、不意に見藤が口を開き、夏の予定を告げる。
「久保くん。夏の間は、しばらく間をあけてから来てくれ。ちょっと、外へ行かにゃならんのが立て込んでるんでな」
暑さ故か、彼は気怠そうにそう言った。
そんな夏の予定を耳にした東雲は、か細い声で――。
「え……。その間、見藤さんに会えない……」
「ほんと君はぶれないね」
久保のツッコミに東雲はぎっ、と睨みつける。出会った当初と比べると、東雲は大幅なイメージチェンジをしたようだ。
そんな彼女の呟きに、流石の見藤も無視を決め込み、事務机に向かい書類を捲っている。
事務机には山積みにされた書類の束が鎮座していた。見藤によると、夏は怪異による事件・事故が全国で多発するらしい。
異常気象による豪雨災害、日照り干ばつによって、人の認知は自然への畏怖の念に傾き、その負の感情は強まる。そして、その類の怪異の力を強めることになるそうだ。
そうして、力を急激に強めた怪異が引き起こす怪奇。それらの都市への影響を抑制するというのだ。キヨが店主を務める道具屋、兼情報屋。そこから、見藤の元へ依頼が割り振られる。
見藤は、はたと作業の手を止め、久保と東雲を見やる。
「くれぐれも、心霊スポットには行くなよ?」
それともうひとつの影響。夏の風物詩、肝試しである。
毎年、一定件数が報告されるらしい。心霊スポットと称される場所に足を踏み入れ、その昔に怪異が封印された石碑を荒らしたり、土地に居憑く怪異に迷惑をかけたり。
人の好奇心が引き起こす影響は計り知れない。
そして、廃神社や廃寺院、山ともなると――、その土地に居憑くのは怪異だけではない。肝試しにおあつらえ向きの「霊」である。
見藤は辟易とした表情で、語り始めた。
「心霊現象の類や、霊を祓うのは俺の仕事じゃない。そういうのは、別の奴が専門で請け負っているからな」
「へぇ……」
久保は間の抜けた相槌を打つ。――その人物はどのような人なのだろうか、と未だ見ぬ怪奇に好奇心が疼く。
そこで、見藤の厳しい声が久保を現実に引き戻した。
「まぁ、夏だからって浮かれすぎるなよ。この間みたいなことは勘弁だ」
先の縁切り神社で遭遇した、丑の刻参りが招いた人の成れの果てのことだ。
見藤の言葉を聞き、その出来事を思い出した久保は苦い顔をする。
「分かってますよ。僕も同感です」
「俺は霊の類は視えんからな。何かあっても対処のしようがない。先に言っておくぞ」
見藤は釘を刺す。その鋭い眼光に、久保と東雲はしきりに頷いた。
霊は視えない――、東雲のお守りの一件で分かった見藤の意外な一面だ。
迷い家の怪異を鞄で殴り飛ばしたり、お守りの守護を強めたり。そんな怪奇な能力を持つ見藤だが、どういった訳か。霊だけは視えないのだと語る。
東雲は怪異と霊、妖怪を視ることができるというのだから、見藤は当然、視えるものだと思っていた。久保がその理由を尋ねても、上手くはぐらかされるばかりだ。
すると、見藤は霧子を見やると、ふっと目元を綻ばせながら口を開く。
「まぁ、事務所には霧子さんと猫宮もいるから、遊びに来るといい」
「ありがとうございます!」
その言葉に、嬉々として反応したのは東雲だ。向かいに座る霧子へ声を掛ける。
「霧子さん! 夏休みに入ったら、一緒にお買い物へ行きましょう!」
「あら、いいわね。ちょうど日よけの帽子が欲しかったの」
見藤のことになると、途端ポンコツになる二人だが、仲は良いらしい。最近は、可愛がっている東雲がよく遊びに来るからなのか、霧子もよく事務所を訪れるようになっていた。――人と怪異、女同士の友情のようなものなのだろう。
女性陣の夏の予定が決まり、この日は解散となった。
そうして、助手業務に現を抜かしていた久保。すっかり、忘れていた学期末試験。
彼は死に物狂いで試験勉強をする羽目になる。慌ただしく過ごしていると、あっという間に夏休み目前。
夏休みに予定があったことなど、すっかり忘れていた。
* * *
無事に試験を終えた久保は、これから迎える夏休みに胸を膨らませていた。そこへ、思いもよらない言葉が掛けられる。
「クラスの何人かに声掛けといたから、この日に肝試し決行な。よろしくー!」
「はぁ!?」
久保は驚きの声を上げる。慌てて振り向くと、そこにはいつもの友人の姿。
友人の突拍子もない話や行動には、ある程度の付き合いがあるため、すっかり慣れたつもりでいた。だが、その内容に驚きを隠せない。
「えー、随分前から話しとったやん」
「いやいや、僕は行かないからな!」
久保は強い口調で言い返す。――断固拒否である。
先の怪奇な体験も然り、見藤の忠告もある。自分はその世界の一端を垣間見ている。誰が危ないことに首を突っ込むというのか、と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
しかし、この友人には久保の思いなど関係あるはずもなく。スマートフォンを片手に一人で勝手に話を進めている。
「ここな、動画配信サイトでもかなり有名な心霊スポットで『廃旅館の開かずの間』。ここなら、何かおもろい事が起きるやろ。一夏の思い出やなぁ。うんうん」
「そういう軽い気持ちで行くものじゃないだろ、それに……!」
「もう人数も集まってん……。ほな、明後日よろしくな!」
「明後日!?」
一切、聞く耳を持たない人間と言うのは、説得も制止も困難だ。
久保に諫められた友人は、そそくさとその場を後にした。残された久保はひとり力なく呟く――。
「どうしよう……」
見藤が不在の中、最大の危機を迎えていた。一先ず、事情が通じる東雲に連絡を取ることにした。
久保が事情を話し終えるや否や、電話口から東雲の呆れた声が聞こえてくる。
『え……? 本当に心霊スポットへ行くことになったの?』
「どうしよう……」
『あほなん? 見藤さんにも言われとったやろう!』
東雲がこうして地元の言葉が出るときは大概お怒りの時である。――にっちもさっちも行かなくなった。既に数名のクラスメイトが参加することになってしまっている。
事情を説明しても、臆病な人間だと笑われるのがオチだ。自分だけなら行かない選択をすることも容易いが、久保の小さな正義感がその選択を許さない。
「とりあえず、見藤さんに事情だけは説明しておこう……。心配だから同行します、って」
『はぁ……。うちも行くわ』
「え……!?」
『仕方ないやろう! うちだって本当は嫌やわ!』
「東雲さん……」
『早う、見藤さんに連絡取って!』
久保は初めて東雲に感謝をした、が――。
『こういう流れで同行するのがヒロインっぽいやろう』
「そういう事、言わなきゃいいのに……」
華麗な前言撤回である。




