31話目 果たされなかった約束③
見藤と斑鳩。二人の間に交わされた、果たされなかった約束。
若かりし頃に抱いた、志とも呼べる青年達の野望。それは歳を重ねるごとに現実を目の当たりにし、無残にも打ち砕かれたのだろう。
しかし、斑鳩は諦めてなどいなかったのだ。随分と回り道をし、時に自身の親ともその道を違え、ようやくあの頃に抱いた野望をその手にしようとしている。
だが、見藤は先に折れてしまった。キヨや斑鳩と出会ったことによって抱いた、人への淡い期待。孤独に依頼をこなす日々。しかし、その結果。再び人の醜悪さに打ちのめされ、その期待は塵となって消えたのだった。
◇
葉が塵となり消えた後、斑鳩はふと包帯が巻かれた腕に違和感を抱く。あの忌々しい痛みが消えている。目を見開き、包帯が巻かれた腕と見藤を交互に見やる。
すると、その意を理解した見藤は斑鳩に先ほど施した呪いについて説明をしておくことにする。そして、犬神に対する忠告も。
「呪いの進行を止めただけだ。もう、犬神は呼ぶな」
「あぁ、分かってるさ。今回が初めてだったんだ。にしても、流石だなー」
「なに……?」
見藤によって施された呪いの感想を呑気に述べる斑鳩の「今回が初めて犬神の力を借りた」という言葉に見藤は、はたと思いつく。
もし本当にそうであれば、斑鳩が払う代償はまだほんの少しに違いない。その証拠と言わんばかりに、代償は払われているかのような、あの咬傷。――まだ、間に合うかもしれない。そんな僅かな期待と、そうなれば破らねばならない自らの誓いなど天秤にかける余地もなかった。
見藤は斑鳩を見据えて口を開く。
「おい、斑鳩……」
「んあ?」
「その犬神、落とせると言ったらどうする?」
「駄目よ」
しかし、見藤の言葉を遮ったのは斑鳩ではなく ――。
「霧子さん……、何で出てきた」
「なんだ、えらく別嬪だな」
先ほど社に還ったはずの霧子だった。その表情は険しく、見藤を見つめている。そして、斑鳩の言葉にぴくりと眉を動かしたのは言わずもがな見藤だった。
だが、斑鳩の彼女を褒めるような言葉とは裏腹に、彼は霧子をその鋭い眼光で睨み付けている。それは見藤に取り憑いている彼女を牽制しているようだ。
斑鳩と霧子は、折り合いがすこぶる悪い。斑鳩は見藤ほど怪異に寛容ではなく、寧ろその身の上から怪異を敵対視している節がある。更に、それが親友であると言わしめる見藤に取り憑いている怪異ともなれば、その敵対心は非常に強い。
そんな斑鳩の言葉と態度に、睨みを効かせるのは見藤だ。
いつになく鋭い目つきで睨み付けてくる見藤に、斑鳩は根を上げた。
「……そう睨むなよ、怖ぇよ。それに俺は嫁さん一筋だ」
「俺は今、すこぶる虫の居所が悪い」
「それは見れば分かる」
「誰のせいだっ、誰の!?」
「痛い痛い痛い!!勘弁しろ!!」
斑鳩の軽口も、今の見藤には神経を逆なでするだけのようだ。包帯が巻かれた彼の腕に、ぐぐっと見藤の指圧が入る。流石にそれは大いに痛むようで、斑鳩は悲鳴を上げた。
そんなやり取りを繰り広げている二人を見つめる霧子の表情は、いつかのように悲痛なものだった。霧子は見藤に焦った声音で忠告する。
「自らの誓いを破るなんてっ……一般人の口約束とあんたの言霊とでは、代償が違い過ぎるのよ!?」
「…………」
霧子の言葉に相違はないのだろう、見藤は黙って彼女を見つめるだけだった。
俗にいう一般人が立てる口約束と、見藤のような祝詞を口にする呪い師が立てた誓いでは、その言霊の影響力が違う。当然、その誓いを破るとなるとそれに伴った代償を払うことになる。
そんな霧子の言葉に疑問を抱いたのは斑鳩だ。遠慮なく、二人の会話に割って入った。
「誓い?なんの話だ」
「……お前に話す筋合いはない」
「ふぅん。まぁ、いいさ。お前が犬神を落とせるって言うなら願ったり叶ったりだな」
見藤に仏頂面でそう言われてしまえば斑鳩は引き下がるしかない。それに見藤は話すつもりなど毛頭ないようだ。
斑鳩は思い返す、彼は昔からそうであったと。見藤はあまり自分の身の上を語ろうとはしなかった。―― 何故こうも呪いに長けているのか、このえらく別嬪な長身の女怪異との間柄もなぜそうなったのか、そして小野の養子となった経緯も。
だが、それは斑鳩と見藤の間には些細なことだった。こうして道は違えど、時に互いの為にその力を振るおうとする。しかし、そんな不器用な男同士の友情など霧子には通用しないようで、斑鳩の軽々しい返答は霧子の怒りに触れたようだ。
「こいつ!!ガキの頃から気に食わないのよ!人の善意を当たり前のように受け取って……!」
「霧子さん」
「でも……!」
反論しようと声を荒げた霧子は見藤の表情を見るや否や、その先の言葉を噤んだ。
見藤は何も、計略もなしに誓いの縛りと対峙しようと言う訳ではない。そして無暗に斑鳩との果たされなかった約束を利用しよう言う訳でもない。
霧子は先程と打って変わって、呆れたように溜め息をつきながら口を開く。
「あんた。今、最高に悪い顔してるわ。はぁ……、心配して損した気分よ」
「まぁ、悪知恵だけは働くんでな。でも……その心配が、嬉しかったと言ったら怒るか……?」
「それは……、いいのよ」
そんな見藤の思惑はどうやら顔に出てしまっていたようだ。呆れたような表情を浮かべた霧子に指摘されてしまった。だが、それと同時に彼女の心が自分に寄せられていると強く感じられ、見藤の心を満たす。なんとも狡い男だ。
そうしたやり取りを目の前で繰り広げられた斑鳩は思わず茶々のひとつやふたつ、入れたくなるのが悪友の性分なのだろう。彼はソファーにもたれながら、じっと二人を見据えたかと思うと ――。
「なんだ、上手くいってんじゃねぇか」
「……斑鳩ぁ!!」「こん、のクソガキ!!!」
「ははっ、悪い悪い!」
斑鳩は見藤と霧子、二人の息の合った怒号を浴びせられる羽目になったのであった。
そうして、斑鳩の腕の処置を終えてからしばらくして。斑鳩が置かれている状況を知った見藤は、なぜ彼に取り憑いた犬神をその目に映すことがなかったのか、どうにも納得できない様子でうんうんと唸っていた。
すると、斑鳩は少し申し訳なさそうに頭を掻きながら口を開いたのであった。
「芦屋家現当主にうちの当主が掛け合ってくれてな。視える奴らの目を欺き、犬神の姿を隠す ――、そんな木札をこしらえてくれたんだよ。まぁ、芦屋は隠匿の呪いに長けてるからな」
「成程、な」
「……お前に視られでもしたら、一発でバレるだろ?まぁ、お前んとこの猫又に犬臭いと言われたときには、バレたかとひやひやしたが……」
「…………」
どうやら、斑鳩家と芦屋家は一時的な協力関係にあるらしい。そして、そのような木札を作り出すとは芦屋家の現当主は、なかなか腕のいい呪い師のようだ、と見藤は思い至る。
しかしながら、聞き捨てならないことを聞いたものだ。もしかしたら、猫宮は斑鳩が事務所に訪ねてきたときには既に犬神の存在に気付いていたのかもしれない、と。
だが、それを見藤に報告する義務など猫宮にないのも事実だ。彼は自由気ままな猫又なのだ。
―― 見藤はとてつもなく大きな溜め息をつく他なかった。




