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【完結】禁色たちの怪異奇譚~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異のお悩み、解決します~   作者: 出口もぐら
第四章 百物語編

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31話目 果たされなかった約束②

 

 そうして、沙織と二人で食事を摂った後、見藤は彼女を自宅へと送り届けたのであった。

 疲労を色濃くした見藤は、ようやく事務所へと帰り着く。扉を開くや否や、冷え切った空気が見藤の頬を掠める。その空気の揺らぎは、彼に霧子の存在を知らせる。


 どん、と突然体に感じる衝撃にも少しは慣れたようだ。見藤は気付くと、霧子に抱きしめられていた。見藤に取り憑いている霧子は彼の身に起きたことを、少なからず知っているのだろう。そして誰と共にいたのか、気配の残滓によってある程度は把握できるという。


 その事を思い出し、霧子が突然抱きついてきた理由を察した見藤は彼女を安心させるように空いた片手で背をとんとん、と叩いてやる。すると、更に強く抱きしめられてしまった。


「あぁ、……大丈夫だ」

「……、また危ない目に遭ってたんでしょ」

「ん、……問題ない」

「噓つき」


 霧子は語気を強め、抱きしめていた力を弱めると少しだけ体を離し、見藤の顔を見つめる。その顔は疲労もさることながら、どこか思い詰めるような表情をしていたのだ。

 見藤に残る僅かな沙織の気配。その残滓を感じ取った霧子は少し眉を寄せたが、彼女を子どもだと庇護する存在だと言い切った彼に抱く想いは、怒りや嫉妬心ではなかった。


「酷い顔してるわよ。沙織にもそんな顔、見せてた訳?その顔じゃ、あの子に心配かけるわよ」

「……いや、………」


 見藤はそう言って視線を逸らす。沙織との食事中、どのような顔をしていたかなど覚えがない。寧ろ、彼女に気を遣われていたようにも思う。それが今になって思い出され、大人として情けなく思えてきた。そして思い返されるのは、やはり斑鳩のことだ。


 見藤の答えに霧子は溜め息をつくと、抱き締めていた見藤を解放する。そして、きびすを返すように背を向けた。だが、それを止めたのは見藤だった。


「霧子さん、……すまん」

「何よ?ん、」


 そして、同時に謝罪の言葉をかけられる。何に対する謝罪なのか、彼女は一瞬理解できず首を傾げようとしたのだが、それすら阻まれた。


 見藤はきびを返した霧子の細い手首を掴み、振り返りざまに露になった彼女の唇に自身のそれを重ねたのだった。

 思わぬ見藤の行動に霧子は目を見開くが、そっと受け入れる。霧子が求めていた口付けは意図しない形で成される羽目になってしまった。


 唇が離れるや否や、霧子の意に沿わない衝動的で卑劣な行動だったと我に返った見藤は顔面蒼白だ。そんな彼を目にした霧子は、いつもなら顔を真っ赤にして恥ずかしさから怒りを露にするのだが、今回はどうやら違ったようだ。少し拗ねたように口を尖らせながらも、見藤を心配そうに見つめている。


「ほんと、……狡い。ばか。……何があったのよ?」

「……すまないっ、」


 その返答では何があったのか、など分かるはずもなく。霧子はただ溜め息をつくばかりであった。

 言いたくないことであれば無理に言わなくてもよい、とそう示すように霧子は手を振りながら社へ還ってしまった。どうやら、彼女の中で先ほどの口付けなど、心中に波風を起こすほどのものでもないと言うようだ。


 霧子の背を見送ると、その場に残された見藤は天を仰ぎながら顔を覆った。そして、口から出るのは大きな溜め息と後悔の言葉。


「はぁあぁ……やっちまった……」


 言葉に言い表せないほどの複雑な感情を免罪符にした衝動的な口付け、そうして押し寄せて来るのは怒涛の後悔の念だ。互いを愛しく想いあうような男女の雰囲気、なんてものは存在しなかった。

 そのことが酷く申し訳なく、自身の感情を御することもできない未熟者であると自覚させ、見藤にさらに自責の念を抱かせる。

―― さりとて、見藤もできた人間ではなかった。


 すると、突然。背後から掛けられた声があった。


「何がだ?」

「っ……!?」


 見藤は肩を大きくびくつかせる。慌てて振り返ると、そこには斑鳩の姿があった。見藤は辟易とした表情を浮かべながらも口を開く。


「……来たならインターホンくらい押せ、斑鳩」


 これ幸いにして、どうやら先程の出来事は斑鳩に見られていない様子だ。そのことに内心安堵しつつ彼をじっと見やる。


 斑鳩は実働調査として行動を共にしていた時と打って変わり、その格好を私服に変え見藤の事務所を訪れたようだ。両手はコートポケットに隠されており、表情はいつになく疲労が見え隠れしている。大方、先の犬神の件によるものだろう。


「その腕、診せろ」


 見藤はぶっきらぼうに言い放つと、ローテブルへ包帯と何やら小さな木箱、筆をその上に乱雑に転がした。その筆には既に朱墨が吸わされているが、机上に墨が垂れない不思議な筆だ。

 見藤の表情は斑鳩に有無を言わさず、彼は大人しく袖を捲りあげ、腕を見せるのであった。


 晒された斑鳩の腕は、前腕部に咬傷を残している。その傷を視た見藤は、眉を顰める。彼の傷はユビキリマワリに襲われた時に比べ、赤みは引いているが鬱血したように紫色へとその痕を変えていた。それはまるで、のろいのようだ。

 呪物とも呼べる怪異によってつけられた痕跡、のろい。それは人の体を徐々に蝕んでいくと想像に容易い。見藤はことの大きさに溜め息をつく他なかった。


「はぁ……」

「おいおい、何だよ」

「黙ってろ」


 見藤の深い溜め息に斑鳩は抗議するが、ぴしゃりと言われてしまえば口をつぐむしかない。

 仏頂面のまま見藤は斑鳩の腕をとると、咬傷に包帯を巻き始めた。すると、やはり痛むのか、斑鳩はその顔を苦痛に歪めたのであった。

 規則的に巻かれていく包帯を眺めていた斑鳩は何を思ったのか、ふと視線をそらすと、その目はどこか遠くを見つめる。そうして、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


「……弟達に、俺の子ども達に、あんなもの……憑かせたくなかった」

「……」

「俺の両親は野心家だった。それは俺ら分家にもよくしてくれている本家に楯突いて、本家に取って代わろうと色々画策してたくらいだ」

「……それが、その犬神か」


 見藤が始めて耳にする、彼が置かれていた状況。見藤は黙って耳を傾ける。


「まぁ、その代償として早死にしたがな。自業自得だ」


 そう言い放つ斑鳩は、苦痛に満ちた表情をしていた。仮にも自分の親の死を、そう言ってしまうのは心苦しいのだろう。しかし、その言葉には僅かながらに軽蔑の色も含まれていた。


 学友であった頃の斑鳩は、決して両親と不仲ではなかったはずだと見藤は記憶している。そんな彼にここまで言わせるとは、知らぬ間に家族関係は破綻していたのだろうか。見藤はそう考えながらも、斑鳩に尋ねる。


「いつから犬神はお前に取り憑いた」

「二、三年前」

「…………」


 それは丁度、斑鳩と見藤が連絡を取っていなかった時期だ。―― いや、寧ろ逆だ。

 斑鳩家の内輪揉めを外部に知られれば、これ好機と言わんばかりに対立する家々からの横やりは免れなかっただろう。


 そもそも、まじないを生業とする家系は斑鳩、小野、見藤だけではない。歴史上にその名を残す名家が存在する。

 賀茂かも芦屋あしや道満どうまんの三家が現代においても台頭している。賀茂は政界、芦屋は新興宗教、道満は現代人企業、と言った具合にその力を振るっている。


 平安の時代。芦屋道満という、かの有名な安部清明の宿敵として名を残す彼の子孫は、現代ではたもとを分かち、こうして氏を別にしているようだ。そして稀代の大陰陽師、安部清明の子孫はその名を変え、ある時代を境に隠居してしまったらしい。

 そんな話をキヨから昔に聞かされたと、この時ようやく思い出す見藤はどこまでも人の世に興味がない。


―― 人の敵は怪異だけではない。皮肉にも、人の敵は人であるようだ。

 見藤は眉を寄せつつも、包帯を巻く手を止めることはない。二人は一切視線を合わせることなく、言葉を交わす。


「……代償は、」

「今のところはないが……。いつツケが回ってくるのか、俺にも分からない」

「馬鹿野郎がっ……、」


 見藤の語気が強まり、少しだけ包帯を巻いていた手に力が籠る。

 犬神によってもたらされた恩恵の代償は、いつか斑鳩自身に求められる。そうなれば最悪の場合、彼は両親と同じ末路を辿ることになる。

 そうなれば遺されるのは、彼が大切にしている家族だ。斑鳩はそれを憂いたのだろう。


 そうして、見藤は思い出す。先の暴漢事件の折に、言われた斑鳩からの言葉。あれは自身の身の上から、悪友である見藤を思い発せられた言葉だと。そのことに気付いた見藤は小さく舌打ちをし、斑鳩は困ったような笑みを浮かべ肩をすくめるのであった。



 見藤は包帯を巻き終わると、朱墨を吸った筆で包帯へ文字列を書いてゆく。その筆先を見つめる斑鳩はいつになく真剣な顔をしていた。


「まぁ、両親が早死にしたお陰で俺は誰にも反対されず、当主おやじの息子になれる。当主おやじには息子がいないからな」

「……本家への養子入りか」

「そういうことだ」


 斑鳩はそう言うと、今度はニヤリと笑ってみせた。

 分家の人間が本家の、それも斑鳩家当主の養子になるとは数奇なものだ。それほどまでに、まじないを生業とする名家の中で本家と分家という身分差は根強い。そんな中で斑鳩家の本家は分家という身分など関係なく、我らは対等だという立場を取る珍しい家柄だ。

 その結果、分家の出である斑鳩をよもや当主の養子むすことして迎え入れようとしているのだから、その信条は本心なのだろう。


 そんな中、斑鳩の両親のように鬱々とした感情を抱く者は少なからず存在するのだ。対等だ、などと謳うことができる人間はそもそも身分が上である、という覆すことのできない物の上に乗る者が宣う言葉である、と。なんとも卑屈な考えだが、一理あるのも事実だろう。


 しかし、斑鳩はその主張に離反したのだ。その結果、本家に対抗するために、弟達や子ども達を引き合いに出にされ、犬神という人が造り出した呪物ともいえる怪異の依り代にされたのだ。奇しくも、その代償を真っ先に払うことになった人物は犬神を作り出した張本人である両親だったようだ。

 見藤が抱く感情はただひとつだ。ぽつりと言葉を溢す。


「どこの家も、ろくなもんじゃない……」

「ははっ、それは同感だ」


 見藤の言葉に斑鳩は同調し、笑い声を上げた。そんな彼に視線を向けることなく、見藤は包帯へ文字列を書き終えると木箱から乾燥させた葉を数枚手に取る。


 斑鳩は静かに、ゆっくりとした口調で見藤へ言葉を紡ぐ。まるで、何かを思い出させようとしているかのようだ。


「だが、それも俺らの代で終わらせる」

「……」

「そういう、約束だったろ?見藤」


 斑鳩の言葉に、見藤は無言を貫く。その言葉を受け取ることはできない、と無言の肯定を示す。

 見藤は葉を包帯の上に乗せ、ふっと息を吹きかけて葉を飛ばした。すると、その葉は塵になって消えてしまった。


 まるでそんな約束など、なかったかのように。その約束は受け取る者を失い、果たされなかった約束となったのだろう。そうして、それを嗅ぎつけたユビキリマワリの恰好の的となったのだ。



久しぶりにやらかした見藤でした。後悔後先に立たず…。


ご覧頂き、ありがとうございました。

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