30話目 創案されし御伽噺②
事務所を発った見藤は待ち合わせ場所へと向かうため、駅構内に足を運んでいた。
ホームに辿り着くと、行きかう人や列車に目もくれず。目的地に着く時間を逆算して時間を潰そうと、備え付けられているベンチに腰を下ろす。そして、ひと息ついたように天を仰いだ。
すると、怪異に気付く。目を血走らせ、おどろおどろしい顔で、ホーム上屋からこちらを覗いているのだ。
ぽた、ぽた……とホーム上屋から滴るのは黒い液体。怪異の長い髪は水に濡れたように顔に張り付き、重力に従うようにホーム上屋から垂れている。しな垂れる腕は骨のように細く、異様に長い。
(あ、まずい。目が合っ――――)
思考はそこまで。
次の瞬間に、怪異は見藤目掛けて襲い掛かってきた――。だが、考えるよりも体が動くのが早い。
見藤は反射的に飛び込んで来た怪異を、力任せにはたき落としていた。
怪異は顔面から地面にのめり込むようにその体を落とす。痛みを感じるのか、地面に突っ伏して力なく呻いている。
何も視えない人からすれば「べしゃっ!!」と、何もない場所から突然に大きな音がしたように思い、通行人が次々に見藤を訝しげに見やる。その視線に居たたまれなくなった見藤はベンチから立ち上がり、丁度よく目の前に来た車両へと乗り込んだ。
(やっぱり、多いな……)
吊革につかまり、電車に揺られる見藤は車内へちらりと視線をやる。
そこには乗客に混じり、存在を示そうと人に取り憑こうとする怪異、何食わぬ顔で座席を陣取る怪異、認知の残滓から形を成そうと蠢く黒い液体のようなもの。
そのどれもが、見藤が持つ知識の中にはない怪異だ。先ほどのホーム上屋からこちらを覗いて来た怪異とて例外ではない。
斑鳩から聞かされた、怪異という人ならざる存在の世間における認知の広がり。それは古より伝わる妖怪、それに準ずる怪異に留まらない。
こうして新たな怪異を生み、ここ数日でその数を異様に増やしている。そして、それは新たな依頼となる。
(流布された新しい怪異、か)
SNS上における都市伝説の伝播について調べる為に怪異話を創作した所、それが本当になってしまったというのだ。
それは、守られなかった約束の対価を回収するために人の指を切ってまわる怪異。キヨから送られてきた依頼書には呼称名として、「ユビキリマワリ」と記載されていた。
なんとも可笑しな呼称だと見藤は怪訝に思った。だが、約束を結ぶ指切りと、そこで結ばれる小指を切り落としてまわる怪異、といった具合で合点がいったのだった。
そして次に、噂話など人のよく回る口を縫い付けていく怪異。それは好奇の視線でも同じく、その場合は目を縫い付けて塞いでしまうという。それを呼称名「ヌイメ」と記載されていた。これはそのままの意だろう。
どちらも世間的には猟奇的な事件であり現在捜査中と処理されているようだが、実のところはこうした怪異事件なのである。
怪異の認知は既に斑鳩によって操作が行われているのだが、如何せん先の霧子を襲った禍害のように情報の回りが早い。その存在を消滅させることは敵わず、せいぜい異様な力を持たないように御するまで、と言ったところか。
怪異に心を砕く見藤と言えど人に危害を加える怪異が相手であれば、沈黙を貫くことは許されない。
そして厄介なことに、こうして認知によって新たに生まれた怪異というのは、その存在の有無といった情報の広がりの速さもさることながら、認知が広まるにつれて姿形が変わることがある。最悪の場合、その存在は一個体には留まらず、数を増やすのだ。そうなれば、被害が拡大することなど想像に容易い。
(そうなる前に封じ込めるか、常世へ連れて行くか……)
見藤の思考は加速する。
――封じ込めるのであれば見藤の呪いよって作られた封印の朱の匣で事足りる。しかし、一度は封じたとしてもその認知が少しでも変わってしまえば、再び新たな怪異としてその存在を得ることになり、鼬ごっことなる。これは斑鳩の認知の操作が重大な要となることは必然だ。
常世へ連れてゆけば、常世と言う普遍的な世の摂理からその姿形が変わることもなく、増えることもなくなるだろう。そして、その存在は現世から消え去る。
しかし、こうして現世で事件を起こすような凶悪な性分であれば、常世に移り住んだ怪異達には到底受け入れてもらえない。
(……面倒だ)
その一言に尽きるだろう。しかし、依頼は遂行しなければならない。その実、見藤はただ一つ怪異を認知以外の方法で消滅させる手段を知っている。
知っているのだが、それは二度と行わないと彼は随分と昔に誓ったのだ。奇しくも、彼の夢の深淵がそれを現していた。
車内に流れる目的地を知らせるアナウンスに、見藤の思考は停止する。吊革を手放し、開いた扉へと向かう。そうして下車すると、足取り重く目的地である待ち合わせ場所へと向かうのだった。
* * *
待ち合わせ場所に佇んでいたのは、しばらく連絡を遠慮願いたいと言った斑鳩だった。斑鳩は向かって来る見藤を目に知ると、にやりと口角を上げて見せた。
「よぉ、待ったぞ」
「嘘をつくな、時間より早いくらいだ」
「はっはっは」
顔を突き合わるや否や、そんな軽口を叩く斑鳩を諫める見藤であった。
今回の依頼はこうして斑鳩との共同調査だ。今日は事件が起きた場所の現地調査を目的としている。
二人が待ち合わせをしていたのは都内にある大学病院だ。エントランスホールにはグランドピアノが鎮座し、全自動でその音色を奏でている。
こんなものが病院に必要かという表情を浮かべる見藤を尻目に、斑鳩は足を進めていく。そして、総合受付へと向かうと、その上着から何やら取り出して受付係へと見せる。
すると、受付係は一瞬驚いた表情を浮かべ、「こちらへどうぞ」と二人をどこかへ案内するようだ。
斑鳩の警部と言う肩書はこういう時に大いに役に立つ。見藤はいざ目の当たりにする悪友の持つ権力と言う傘に関心していた。
病院というのは不特定多数の人が多く集まる。そうなればやはりというべきか、閉塞された場所というのは従事者や入院患者の間で「噂」というのは一種の娯楽となるのだ。勿論、それは病院だけではない。
学校という場も同じであろう。そして、これらの場所は安易な「約束事」で溢れているのだ。守るつもりもない、安易な口約束。
それは、今回の調査対象の怪異たちにとっては存在意義とも言える事を起こすに十分だ。事実、被害者が出たのはこの二つの場所だ。
斑鳩は見藤の先を歩きながら、事件の詳細を見藤に伝える。
「当直していた、お局看護師が目と口を縫い付けられた状態で詰所にて発見。そのお局はいかにも噂好きで従事者、入院患者関係なくその噂話を流布、家庭環境の詮索……か。それ、やってて面白いのか?趣味が悪い、いかにも怪異が好みそうな人間だ」
「……俺に聞くな」
斑鳩から振り向きざまに尋ねられても、見藤には関係のない世界だ。不確定な噂話を流布することも、人の詮索をすることも、どうでもいいというのが見藤の本音だ。
斑鳩と見藤が案内されたのは現場となった詰所。既にそこは日常を取り戻しており、慌ただしく看護師たちが行き来している。
しかし、ここで起こった事件を周知しているのか。皆、心なしか顔色が悪くその表情は曇っている。極めつけは斑鳩と見藤の姿を目にして、その事件性を察したのか手の空いている看護師達はひそひそと話始める始末。
(……その行為が、ヌイメの餌となるんだろうが)
辟易とした表情で見藤がその光景に溜め息をついていると、斑鳩に肘で小突かれる。そして「現場を視ろ」と小声で急かされた。
見藤はもう一度わざとらしく溜め息をつくと、詰所を視る。しかし、見藤の眼に映るのは怪異の痕跡とは程遠い、ごく僅かな残滓。それはヌイメ、縫い目という名にふさわしく糸を形どったものだった。
それはとてつもなく細く、風になびくように細切れになりながらも浮遊している。見藤でなければ見落としていただろう。
見藤は斑鳩にその目で視たことを耳打ちする。すると、斑鳩は眉を寄せて自らもその残滓を視ようとするが、それは叶わないようで首を横に振った。
「俺には視えないな。お前、相変わらず目がいいな」
「……、はぁ」
斑鳩は感心した様子で見藤の肩を叩く。彼は斑鳩家という呪いを扱う家に名を連ねるものの、単純に怪異を視ること叶ってもあくまでも怪異の認知の操作を得意とするため、こうした細やかな残滓まではその目に捉えることはできないようだ。
だからこそ、キヨはこの二人に共同調査として割り振ったのだろう。こういう時に、見藤はキヨの手腕には敵わないと思い知らされるのだ。
そうして二人は現場責任者からある程度の話を聞き取り、小一時間ほど滞在していただろうか。目的を終え、そろそろ大学病院を後にするようだ。




