30話目 創案されし御伽噺
件を看取ったその後。つつがなくことを終えた見藤は哀しみの余韻に浸る余裕もなく、キヨへの報告書に追われることになる。
見藤は事務所に施していた件を隠匿していた呪いを解呪し、鈴の形をした香炉の蓋を開けた。すると、香炉の中に渦巻いていた煙は白色ではなく、三色に変化していた。
「…………この、色は――」
目にした、そのうちの一色。その色は見藤にとって思い出したくもない記憶を呼び覚ます。呟いたその声は掠れ、喉が痞えて思うように言葉が出てこない。
(いや、俺にはもう関係のない事だ……)
見藤は自分にそう言い聞かせ、首を振る。そのような記憶、思い出す必要はないとでも言うようだ。
これらは禁色と呼ばれる、太古この地において一定の地位を持つ者たちにのみ使用することを許された色。その色を帝から賜った、呪いを生業とした名家たち。
その色は七色あり、七つの名家が存在していた。しかし、時代と共にその役割も、名家とされた家々も変化の波に呑まれていったようだ。――このときの見藤には、専ら思考の範疇にないことだっただろう。
香炉の煙を染め上げた色たちは、件を探し出そうとした呪いを扱う家々を示す色。これで、件という怪異を自身の利益のために利用しようとした不埒な輩が炙り出されたという訳だ。
不埒な輩をキヨの元へと報告するのだが――。疲労が蓄積した頭と体では煩わしさが先に出るというもの。それに、先ほど抱いた不快感もそれを助長させる。
仮眠を挟んだが、如何せんこの歳にもなると徹夜も一日が限度だと、見藤は眠気を誤魔化すように首を振った。
既に時刻は夜も未明に差し掛かろうとしている。報告書がひと段落した所で適当に軽食を摂り、シャワーを浴び、ベッドにその体を転がす。
すると、瞬く間に睡魔がやってくる。見藤は睡魔に身を任せ、瞼を閉じたのだった。
◇
「…………おも、い」
見藤が思わず、口にしながらおぼろげに目を覚ましたのは、まだ陽が低い朝の時間だ。もそり、と腹の上で動く毛玉。
仰向けの寝姿勢であった見藤の腹の上で、猫宮が体を丸めて眠っている。それは猫を飼う者であれば冬の風物詩だろう。
しかし、腹の上に乗るのはあの小太りな猫だ。見藤の体にかかるその重さは、流石に息苦しさで目が覚めるというものだ。
「…………ん」
おぼろげな意識のまま、猫宮をどかすために手を伸ばそうと腕をもたげた。すると、肘になにか触れる。その体温にはっとして、一気に意識が覚醒する。
そして、鼻を掠めるのは慣れ親しんだ、彼女の澄んだ香りだ。
(ほんとに、このひとはっ……!!はぁ……)
厳密に言えば人ではないが──、見藤は心の中で思い切り悪態をついた。この時期、寒さに弱いのは何も猫宮だけではない。
ちらり、と視線だけを隣にやれば、そこにはぐっすりと眠る霧子の寝顔があった。閉じられた瞼を飾る睫毛は長く緩やかな曲線を持ち、すっと通った鼻筋の先にはバランスのよい形の淡い珊瑚色をした薄い唇が規則正しい寝息を立てている。柔らかな髪質の前髪が顔にかかり、その儚げな雰囲気をより強調させている。
どうやってベッドに潜り込んだのだろうか――。安眠対策は後々に考えるとしよう、と見藤は一度目を瞑る。
(まずは、この包囲網から脱出することが優先だな……)
そもそも、このベッドは見藤が一人で寝るためのものだ。彼の恵まれた体格もあって、平均的な体格の人がひとりで寝るにはかなり広めのものを選んだつもりであった。だが、こうして霧子の長身も合わさると、このベッドサイズでは狭く小さく感じる。現に見藤はこれでもかという程、壁際に追いやられている。
猫宮をどかそうにも、腕を動かすと霧子に触れて起こしてしまいそうな密着具合だ。無理に彼女を起こしてしまうことは憚られる。
肩身狭いベッドの上。ここからどうやって抜け出そうかと考えていると、もぞりと霧子が身をたじろがせた。彼女は寝ぼけているのか、布団の中でがっちりと足を絡まれた。これでは身動きどころの話ではなくなってしまった。
それに追い打ちをかけるように、腹の上で眠る猫宮の猫特有の高い体温と、ぷぅぷぅと規則正しい寝息が眠気を誘う。
「………………」
見藤は諦めて二度寝を決行したのであった。
* * *
それから、見藤が目を覚ましたのは、もうすぐ昼時だった。
寝過ごしてしまったと、見藤が慌てて起き出すと既にベッドに霧子と猫宮の姿はなく、事務所への扉を開ける。すると、ちゃっかり自身は身支度を終えた霧子に出迎えられたのだった。
「よく寝てたわよ?」
「……誰のせいデスか」
「ん?」
「ナンデモ、ナイデス」
見藤は思わず恨めしそうに彼女を見やるも、きょとんとした無垢な表情で見られれば、それは溜め息に昇華する他ない。見藤は乱暴にがしがしと頭を掻くと、寝間着にしているスウェットから仕事着に着替えるために、再び居住スペースへと姿を消したのだった。
そんな彼の背を見送ると、霧子は猫宮に向かってぽつりと言葉を溢す。
「少しは休めたかしら……」
「まァ、あの様子だとひとまずは十分だろうな」
「久保君と東雲ちゃんに心配かけないようにしないと」
自身を省みない見藤に躊躇ない物言いができるあの助手二人が戻るまで、彼に休息を取らせようとした霧子と猫宮の策略は成功したようだ。
そうとは言っても策略半分、見藤で暖を取る目的半分といった具合なのだが、それを見藤本人は知る由もない。
それからしばらくして、がちゃりとドアノブが回る音がした。そこから出て来たのは、いつもの使い古したスーツに身を包んだ見藤だ。彼は欠伸を噛みころしながら、首を掻いている。
見藤は真っすぐに給湯スペースへと向かうと、湯を沸かし始めた。戸棚から袋を取り出し、どうやらインスタントコーヒーを淹れるようだ。
「霧子さんは?」
「不要よ、ありがとう」
「そうか」
何気ない会話だったが、心なしか霧子の機嫌がいいように思えた見藤は、ソファーで寛ぐ彼女へちらりと視線を向けた。
ここからでは彼女の後姿しか見えないが、どうやら雑誌を読んでいる様子だ。猫宮とああだこうだ、と何やら言い合っている。その光景がとても微笑ましく思えて、見藤は自然と目元を綻ばせる。
カチリと音が鳴り、電気ポットの湯が沸いたことを知らせる。見藤は一旦、視線を手元に戻しコーヒーカップへ湯を注いでいく。そうして、再びその視線は自然と霧子へと向けられた。
社を分霊してからというもの。順調に御霊分けはされているようで、こうして霧子は事務所で過ごす時間が増えた。必然的にこうして日常会話も増え、彼女と過ごす時間も増えるというもの。
見藤は多忙を極めながらも、こうしたふとした瞬間に幸福感を抱くようになっていた。
すると、見藤の視線に気付いたのだろうか。霧子が不意にこちらを振り向き、にこりと笑って見せたのだ。彼女の形のいい唇が弧を描く様子は、見藤の視線を釘付けにするには十分で、思わず心臓が跳ねてしまった。
「あっつ……!」
不注意によって突如として湯が跳ね、カップの傍に置いていた見藤の手を濡らした。その熱さに思わず声を漏らすと、冷やそうと慌てて手を振る。その一連の出来事を見ていた霧子と猫宮は少し呆れたようにこちらに視線を送っている。
見藤は思わず、誤魔化すように首の後ろを掻いた。
「あー……」
――らしくない。
その言葉に尽きるだろう。ここ最近の男女の触れ合いに積極的な彼女にあてられたのか、どこで心境の変化があったのか定かではない。だが、霧子の一挙手一投足が愛しく思えて仕方ないのだ。
(いかん、今はうつつを抜かしてる場合じゃない……)
見藤は心の中で自身をそう叱責すると、湯気が立ち上るコーヒーをその場で飲み始めた。そして、事務所にある壁掛け時計を見やる。寝過ごしたと言っても、今日の予定には十分に時間があることを確認する。
そうして、見藤は早々にコーヒーを飲み終えると、事務机に置いておいた茶封筒を手に取った。その茶封筒の表には朱で描かれた模様と、綺麗な文字。
すると突然、それを宙に投げた。投げられた封筒はみるみる端からその姿を消して行き、終いには跡形もなく消えてしまったのだ。
「これで件の件は終いだ。今日も少し出てくる」
「そう、行ってらっしゃい」
見藤得意の|呪まじな》いによって、あの報告書はキヨの元へと辿り着くだろう。そして、彼は霧子に出掛けることを簡単に伝えると、そのまま事務所を出てしまった。
霧子は事務所の扉が完全に閉まるのを見届けると、再び手元の雑誌に視線を戻したのだが――。
「しまった、忘れ物……」
そう言いながら、見藤はすぐさま戻って来たのだった。なんとも、せわしない。
彼は事務机の近くに置かれたコートハンガーにかかる杢グレーのダウンパーカーを手に取り、机に置かれていた荷物を肩に掛ける。
手荷物をほぼ全て持たずに出かけようとしていたのか、と霧子は呆れた表情でその様子を眺めていた。
そうして、霧子の視線が気まずいのか。見藤は目を合わせないように、そそくさと出てしまった。
事務所に残った霧子と猫宮はというと――。
「なによ、あれ。どうしたのかしら」
「内心、動揺してるんだろ」
「何に?」
「くっくっく、さあなァ」
そんな会話をしていたのであった。
ナチュラルいちゃいちゃの化身…。
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