9.シフミにかかわると(1)
4.シフミにかかわると
尚人にとって問題なのは、詩史のほうだ。
詩史と知り合ったら最後、彼女の人生のすべてに関わることになる。
ナッキーはそれを楽しんでいるが、尚人は辟易していた。
入社以来、詩史の友人の引っ越しを手伝わされ、なぜかビデオムービーのエキストラをやらされた。
これもなぜか着物の着付け教室のモデルになったし、女ばかりのホームパーティーに出されてホスト役で十人以上の年増にお酌した。
辞書を片手に懸賞応募原稿の下読みと校正をしたのは、まだ仕事らしい方だ。
「温泉に連れて行ってあげる」と言われ、
「いいですね」とお愛想を返したら、
「車、出して」と命じられ、
結局はドライバー役だったこともある。
「知り合っておくと役に立つ素晴らしい人がいるわ」
と言われて会うのを承諾すると、遠くにいるから「車、出して」と……。
行ってみると、相手は奥深い山中に棲む陶芸家で、山菜料理を食べながら呑んだくれただけで、知り合ったからといってどんな役に立つのか、皆目見当がつかない。
要はこんなのばっかりなわけだ。
詩史はペーパードライバーだから、友人に運転を禁じられているという。
尚人も、それには同感する。
だからといって、お抱え運転手扱いされては堪らない。
それでも素直に、
「頼むわね」
と女らしく言ってくれればまだ許せるが、こっちの気を惹くようなことを言って誘い出す手口が癪にさわる。
策を弄するから、騙されたような気分になって鬱憤がたまるんだ。
口惜しいから、用事を足したあとの奢りの食事はしっかり食べる。
食べながら文句を言う。
「編集長、今日は疲れました」
「なに言ってるの、若いのに。わたしが二十代の頃は三日くらい徹夜しても平気だったわよ」
自分を基準にするな、と尚人は思い、
「編集長はモテるんでしょう。ほかにいないんですか、使える男」と皮肉ると、
「わたしのボーイフレンド、みんな年上でさ。腰が痛いのー、目が覚束ないのー、狭心症の発作が出るのー言っちゃって、下手に用事頼んだら救急車呼ぶ羽目になりそうなのばっかりなのよ。昔はみんな、頼もしかったのに」と言う。
「年下探せば、いいじゃないですか」
「そうしたいのは山々だけど、わたし、ファザコンだから、どーしても年上になっちゃうのよ」
ああ言えばこう言う。
ちっとも反省してくれない。
いつだったか、詩史の古い友人だという女性デザイナーを紹介された。
彼女は尚人を見て、意味ありげに笑った。
「あなたが、詩史さんの新しい彼?」
尚人は反射的に大きく両手を振って否定した。
すると、デザイナーはさらに意地悪げな笑みを広げて、こう警告した。
「詩史さんは見境ないから、気をつけてねー」
ブルブル……。詩史のタイプに、自分はハマっている。
尚人がそう言ったとナッキーに告げ口されたら、あの詩史のことだ、本腰を入れてセクハラに及ぶだろう。
そうしたら、生身の身体がうっかり応じかねない。
それが元でボーイフレンドにされてしまったら……ああ、想像するのもオソロシイ。
年上の女は嫌いじゃないが、三十四は年上過ぎる。
それに、あんな忙しない女はイヤだ!
詩史は、常に自分のキャパシティを超えた用事を抱えて、ブンブンと蜂のように飛び回っている。
その勢いで腕からあふれた用件が、まわりにいる人間に降りかかってくるのだ。
そして、あたかも暴風雨に晒されるように引きずり回され、なぎ倒されて、エネルギーを吸い取られる。
かつて深い仲になった男が二人病死したそうだ。詩史は、
「わたしを捨てたバチが当たった」
と言っているが、詩史という存在そのものに当たったんじゃないかと、尚人は思った。
とにもかくにも、濃密な関係になるのはなんとか回避できるが、部下だというだけで干渉される毎日は避けようがない。