8.ナッキーこと菜月恭子(3)
寂れたような駅の界隈に、幾つも営業している宿があるとは思えない。
尚人たちより先に列車を降りた人たちだって、そこを目指して行った筈だ。
案の定、部屋は残りひとつだった。
ひとつでも残っていたことに感謝したい気持ちだった。
それはナッキーの安堵した顔付きでもわかった。
「いいわよ。もともと二部屋とるつもりもなかったでしょう?」
ナッキーは当然の如くに、尚人に向かって言った。
「そうなんですか?」
「そうよ。だって不可抗力の事態とはいえ、今どき二部屋分、経理がOKすると思う?」
尚人はぼっと口を半開きにしたまま、相手の言葉を待った。
「無理だと思うわ。フックンは泊まらなかったことにしなよ」
「え? じゃあ」
「もちろん、泊まるのよ。わたしもそこまで鬼じゃないわよ」
「でも会社には、ばれると思いますけど」
「大丈夫。わたしが何とかするわ」
自分に言いきかすように聞こえたが、詩史編集長の秘書を自任するくらいだから、本当になんとかしそうに聞こえた。
こうしてその夜は、四畳半ぐらいの部屋に先輩の女と後輩の男が共に泊まることになった。
最初、ナッキーがシャワーを浴び、交代して尚人が浴びて出て来るところまでは、まるで出張先の仕事の延長のような段取りだった。
既にナッキーはベッドに潜り込んでいて、背中で言った。
「寝具もひとつだった……」
この当たり前の状況に、二人して頷いた。
「フックン、こっち来てもいいけど、あんまり揺すらないで。寝られなくなるから」
相変わらず背中を向けていて、顔は見えなかった。
尚人も背中合わせに潜り込んだ。
ナッキーがもじもじと向こう側へ寄った。
大人二人だと膝を曲げていては、はみ出てしまう。
後輩はすまなそうに何か言ってから、ナッキーの背と腰にぴったりとついた。
目を閉じてみたが、尚人は緊張して眠れそうにないと思った……。
どれくらいの時間が経ったのか。
尚人はナッキーがベッドを下りる動きで目を開けた。
やはり、この窮屈さを彼女の方が嫌ったのだと思った。
だが、腕時計を見て驚いた。
朝の四時過ぎだった。
尚人はあの直後にもう寝入っていたのだ。
ナッキーは向こうを向いて立ち、浴衣を開いて身支度を始めていた。
浴衣を落としたとき、ナッキーの裸の背中を初めて見た。
「もう行くんですか?」
「うん。いくらなんでも、家に帰って着替えぐらいしないと」
それを聞いて、尚人も慌てた。
大急ぎで身支度をした。
ホテルを出て、列車に乗った。
都内に入って電車を乗り継ぐまで、尚人はナッキーと話したが、たいして寝なかったわりに眠気は来なかった。
この時、ナッキーに聞いた話では、詩史は年下の男と付き合った経験も結構あるそうだ。
しかし大体、ものを売りつけられたり、小遣いをせびられたりの金銭目的で、本当の恋愛にはならなかったらしい。
「それに詩史さん、ロマンチックなダメ男が好きだからね。最近居ないでしょ。ロマンチックなダメ男」
ナッキーは、尚人に当てつけるような目をして言った。
僕はロマンチックなダメ男だけどな、自慢じゃないけど。
尚人はそう思ったが、口には出さなかった。
どうせ、
「ロマンチック抜きの、ただのダメ男じゃない」
と笑われるのが落ちだ。
だが、裸に近い女を目の前にして寝入ってしまった事実で、ナッキーの嘲笑を暫くは避けられそうもない。
それとも二度と相手にされないかの、どちらかだろう。
でも、ナッキーは口に毒がある。
歳が近いのに付き合う気になれないのは、そのせいだと、尚人は自分を納得させた。