6.ナッキーこと菜月恭子(1)
3.ナッキーこと菜月恭子
ある時こんなことがあった。
机上の電話がリーンと鳴って、彼女が受話器をとった。
「恭子さん?」
と、いきなり男の声。
大きな声だったし、席が近いこともあって、そこだけは尚人にも聞こえた。
相手はつづけて話しているようだが、ナッキーは困惑を隠せぬ表情だ。
「でもお兄さん、それはいくらなんでも。あんな所から二人で出て来て、それはないでしょう」
とナッキーが言って、また暫らく相手が話している。
「はい、そういうことにしておきましょうか」
と、ナッキーが皮肉の混じらぬでもない声でそう言った。
そして暫らくおいて、
「ちょ、ちょっと待って」とナッキー。「それはないわ。それじゃまるで脅迫じゃないですか。わたしの方は無関係なんです、無関係。まったく何にもないんだから……あれは、うちの会社の後輩です! 一人が酔い潰れたんです。その人をあの部屋で介抱して……」
受話器を置いたナッキーが職場を見渡し、心配げに見る同僚たちに、
「たいしたことじゃないの」と言った。
その後、尚人だけを連れ出して、廊下の隅で話した内容は次のようなものだった。
電話の相手は、結婚して何年も経つお姉さんの旦那だったらしい。
そもそもの話というのが前夜に起因することだった。
それには尚人も大いに関係していた。
前夜、尚人たちが乗った電車が新宿駅に着いたとき、学生たちの一団が賑やかに乗り込んできた。
ドアが閉まり、酔いつぶれた女子学生二人を、他の学生たちが座席に座らせる。
その様子を、尚人たちは少し離れた所で見ていた。
その少し前。
新人──といっても尚人より年上──の営業が急ピッチに酔いがまわり、飲み屋のテーブルに顔を伏せて寝込んでしまった。
「しょうがない奴ねえ」と、上司である編集長の詩史は言ったが、「あとは頼んだわね」と言い残して先に帰った。
「この人、昨夜は客の付き合いマージャンで、一睡もしてないらしいですよ」
と、尚人が同情を声に滲ませた。
時間は十一時に近かった。
なんとなく残業でオフィスに居残った四人が、帰りがけにちょっと一杯やっていこうか、といった結果がこれなのである。
どうしたものかと二人で相談をした。
タクシーに押しこみ、運転手に行き先を教えて送り出すという手もあるが、彼の住まいは横浜のまだ先である。
タクシ-代もバカにならない。
電車の車両にブレーキ音が響いたとき、
「まだだよ、まだ!」と例の学生たちが、また騒いだ。
顔色が真っ白になった女学生の一人が、窓枠に手をかけながら立ち上がっていた。
「まだ着いてないから」
とまわりの学生たちが、その子の両脇に手を入れて座らせようとした。
「やあだ」と、ナッキーが非難めいた口ぶりで見ている。
その女学生のシャツは首のところまで捲れ上がり、ブラもはずれて薄いピンク色に染まった乳房の上に乗っていた。
上半身が裸になってしまった彼女は、そのことにはまったく気付かずに背もたれに寄りかかって寝ている。
恭子が動いて一言批難しようと動きかけたとき、もう一人の女学生が状況に気付いて友達のブラを直し、シャツをおろした。
電車は次の駅に近付いていた。
「近くのホテルヘ泊めた方が、まだ安上がりですね」
と、尚人は自分の頬を手の甲で撫でながら言った。
「近くのホテルといっても、高いんじゃないかしら」
「ラブホでいいですよ。その方が料金安いから」