16.姐御肌は肌理細か?(最終話)
「よかった、よかった。じゃ、ご飯食べに行こっ」
お、待ってました。「はい」
「でも、まだ時間あるな。ちょうどよかった。古着が山ほどあって売りたいんだけど、持ち込みじゃないと店が引き取ってくれないのよ。車に詰め込めばいいんだけど、あいにく運転手が都合つかなくて困ってたんだ。フックン、免許証持って来てるよね」
やっぱりな、と尚人は納得した。
やり方は違っても、詩史も茂手木も他人を思いどおりにしようとする暴君だ。
だが、詩史には文句が言える。
当てこすりも、愚痴も、批判も言える。
なにより、冗談が言える。
一緒に笑える。感情のおもむくままに。
これはもしかしたら、たいした違いなのかも知れないと思った。
ジャケットをはおった詩史は、
「リーフイ! ちょっと出かけてくる。一時間くらいかな」と声をかけた。
「イエース!」
リーフイはドアを開けて手を振って見せた。
「ちょっと待ってなさい。帰ったら三人で食べに行こ!」
詩史の言葉にリーフイは頷いた。
このくらいの日本語なら分かるようになったらしい。
古着屋に運ぶ衣類は段ボール五箱分もあった。
ほとんどが別れた男の影響で買った服だそうで、袖をとおしてないものが多いんだと、詩史は車中でベラベラ喋った。
「わたし、懲りないんだよな、これが。困っちゃう。たとえばね……」
そして、思い出話がつづく。
運転の傍ら、つけっぱなしのラジオでも聞くように受け流しながら、尚人は思う。
トラブルというのは、被害をもたらすばかりじゃない。
その結果から得るものだって大きいはずだ。
詩史が引き起こすトラブルにも、そんなところがあるんだろう。
「でも、よかった!」と詩史が大声で言った。「もう退職願、いらないよね。めでたし、めでたし」
上機嫌だった。
ものすごく年上ではあるけれど、ちょっと言ってやりたくなった。
「詩史さん、そういう、その場しのぎのへたな小細工、悪い癖ですよ!」
「いいじゃない。結果オーライよ。それとも真相を告白する? 漫画家にしてやるって甘い話に乗せられて、奴隷にされかけて泣き泣き逃げて来たって」
げっ、反撃には流石に一日の長がある。
「こっ、この場合は確かに結果オーライですけど」
「ただし!」と詩史。「ひとつ条件があるの」
まただ。やっぱり、そんなに甘くはないと思った。
助手席の詩史が、互いの肌が触れ合うほど、にじり寄って来た。
尚人は目を丸くして、相手をちら見した。
「わたしの男になりなさい」
ええー!
なんでー!
そうなるの?
尚人は光速の視線で、詩史の顔と胸とを交互に見た。
胸を張り出し、腕組みしていた詩史が、尚人の片手を掴むと引き寄せた。
「危ないですって! 詩史さん!」
掴まれた手が、詩史の胸の横に持っていかれた。
ちょっとだけ、詩史の胸の柔らかさを初めて実感した。だが、
「うっそ、よん」と詩史は手を放した。「リーフイのことよ」
ああ……あの子のことか。
だけど、今のはさすがに驚いた。
このご時勢、職を得るためには、この身も捧げる気になりかけたもんな。
「休日は外に連れ出して、どこかで夜まで遊んで来て欲しいんだけど……どお、出来る?」
尚人はゆっくりと頷いて見せた。
「もう少しで、あの子も国に帰るから。それまで、フックン、よろしくね」
茂手木の相手をすることに比べたら、お安い御用だった。
茂手木とは縁切りだ。
自分の意志で、あの男を人生から追い払うんだ。
もう苦しめられることはない。
そう思っただけで、重荷が全部消え去った。
なんだか台風一過の青い空の下を走っているような気がした。
腹がきゅるっと鳴った。
「腹へったぁ」
「そうか、よしっ、食べに行こか!」と詩史。「この前の中華料理屋へ、レッツラ、ゴー!」
「はい! ……いやいや、拙いです。リーフイ、連れて行かなきゃ」
「あ、忘れてた!」
「ひっどいなぁ、たった今、話してたとこなのに」
詩史が笑った。
尚人はハンドルを握ったままで、思いきり背筋を伸ばした。
すると、それを見た詩史が今度は小さく笑って、尚人の膝をポンポンと叩いた。
ふたりは目を見合わせて笑った。
‐了‐