1.ニックネームはフックン
1.ニックネームはフックン
「フックンに似てるわね」
と、編集長の安西詩史は言った。
穂芝尚人が、職場で新入りとして紹介されたときのことだ。
このとき尚人には“フックン”がなにを意味するのか分からなかった。
無理やりと言うか、咄嗟に“釣り針”を思い浮かべて、
「僕、そんなに(女を)引っ掛ける感じに見えますか」と、おちゃらけてみた。
すると、なにやら呆れ顔をされて、
「やだ、あんた、フックン、知らないの?」
「はい……」
いきなり言われて、なんのことやら。
「布川よ、シブがき隊のぉ」
シブがき隊なら聞いたことはある。
向かいのデスクで仕事をしていた女の人がこっちを向いた。
「穂芝くんは二十四ですよ。少年隊でも知ってるかどうかなんですから、フックンは分からないでしょー」とフォローしてくれた。「あなただと、トキオとか、ブイシックスよね」
なんだ、ジャニーズの話か、と尚人はため息をつく。彼には興味のない世界だった。
「でも、フックンは今でも居るじゃないの」
と詩史編集長。
「そりゃ居ますけどー、シブがき隊が人気あったの、二十年以上前ですよ」
「だって、二十六のナッキーが知ってるんだから」ナッキーとはこの菜月恭子のことだ。「この子だって」
会ったばかりなのに、この子呼ばわりされて、修業が足りない尚人は不快感をもろに顔に出した。
だが、編集長も菜月恭子も、尚人には一目もくれず言い合いをしている。
「わたしは、ジャニーズには相当お金注いでますから。でも、詩史さんはフォーリーブスをリアルタイムで見ているんでしょ?」
「そこまで古くないわよお。郷ひろみ世代よ、わたしは」
「でもブルドッグ、歌えるじゃないですか」
「小さいときに聞いて覚えてるの」
「ブルドッグだったら、確かキンキキッズも最近歌ったらしい……」
と、横合いから言ったのは尚人だったが、その声は無常にも掻き消された。
「ちょっと現実を見る目、歪んでますよー、詩史さんは。穂芝くんはフックンほどじゃあありません。あえて言うなら、嵐の相葉です」
嵐の相葉ならわかる。でも、なんか面白くない。
またしても気分が顔に出て、尚人の口元がとがった。
その表情を、ようやく編集長が見た。
眉を寄せ、吟味する目でジロジロ眺められた。
「やっぱり、フックンよ」
編集長が決めつけると、菜月がすかさず、
「男に甘いんだから」
と、聞こえるように、ぼそっと毒づいた。
そのとき、尚人は目を丸くした。
ほとんど、女子高生の会話じゃないか。どういう職場だ、ここは。
ただ、ひたすら呆れ返り、黙ってやり過ごしたのがいけなかったようだ。
おかげで、おとなしく扱いやすい坊やだと、なめられてしまったのかも知れない。
「編集長、電話です」と声をかけられ、我に返った編集長は、「じゃあね、フックン。今日はとりあえず、ナッキーの仕事手伝って。今夜、歓迎会するから。よろしく」と伝えて、さっと居なくなった。
茫然と突っ立っていると、今度はナッキーが、
「ちょっと、穂芝くん。今から手伝って欲しいこと言うから、ここに来て座って」
こうしてなんの断りもなく、会社における穂芝尚人のあだ名は、フックンと決定したのだった。
当初異論をはさんでいたナッキーも、翌日からは編集長に従っていた。
もっとも、尚人も内心では編集長のことをシフミと呼ぶことにしたが、それはせめてもの彼の小さな抵抗だった。