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第十八話『咀嚼ASMRという可能性』



 あくまでも、活動しているのが彼女である以上、私があまり口出しをし過ぎるのはよろしくないと思っている。

 むしろ、私は一視聴者くらいのスタンスで十分だとすら考えている。

 まあ、文乃さんも色々な意見を取り入れようとしているのは確かである。



「というわけで、いろいろ新しいことをやってみようと思っておりまして……」


 

 そう、今日の雑談配信で彼女が切り出した。

 



【なるほど、了解!】

【前言ってた琴配信はどう?】

【咀嚼ASMRをやって欲しい】

【金属音ASMRとか?】

【耳かきオンリーASMRとかやって欲しいかも】



「うおおお、コメントがすごいことになってるね。咀嚼、かあ。なるほどー、今度やってみようかな」




 咀嚼ASMRというのは、ASMRの一種だ。

 人が食べ物を噛む音を流すというもの。

 個人的な感想だが、飴やせんべいなど固いものを咀嚼している人が多いイメージだ。

 私はあまり聞いていなかったジャンルだが、確かに新鮮ではあるかもしれない。



【おっ、マジか】

【楽しみにしてます】




「ちょっと準備に時間がかかると思うから今日は無理だけど、まあ明日にはできるんじゃないかな」



【無理はしないでね、ただでさえ毎日配信してるんだから】

【しかもほぼすべてが二回行動という】

【この前の土日は朝配信含めて三回行動だったからね……】



「あ、ありがとう。でも、今のところ無理はしてないから大丈夫だよ。ちゃんと一時から七時まで寝てるしね」



 それは事実だ。

 実際、彼女はなんだかんだと睡眠時間は確保できている。

 


【ちゃんと寝ててえらい】

【良かった】



 そんな感じで、今日の雑談配信も平和にかつ有意義なものとなった。



「咀嚼、やっぱり揚げ物が多いみたいだね」

『ですねえ』



 雑談配信の後、ASMR、咀嚼で文乃さんがネット上で検索をかけてみたところ、半分くらいがフライドチキンやポテトといった揚げ物を咀嚼するというものだった。

 おそらくだが、カリカリサクサクとした衣を食べるときの音が好評なのだろう。

 どういう音を好むのかは、人に寄るし一概には言えないだろうが、おそらくは乾いた音が好まれやすいのではないだろうか。

 あと、あまり湿った音、というか水音を立てすぎると官能的(センシティブ)であると判断されて、配信のアーカイブ(生放送の録画のこと)やチャンネルが削除されてしまう可能性もある。

 リスクヘッジ的な意味でもいいのかもしれない。



『あ、あとやっぱり飴とか琥珀糖も人気みたいですよ』

「お、そうだね」


 やっぱり、固いものを食べたほうがいい音が出やすいのということだろう。

 そもそもやわらかいものだと、まんまクチャラーになりそうだからね。

 仕方ないね。



「とりあえず、厨房に明日は夜食でフライドチキンとフライドポテトを用意するように言っておこうかな。あと、穂村さんには咀嚼ASMRのサムネイル制作をお願いしておいて……」



 スマートフォンを取り出して、彼女は使用人へと何事かメッセージを送る。

 その後も、ぽちぽちとスマートフォンをいじっている。



『文乃さん』

「何かな?」



 スマートフォンから顔も上げずに、彼女が返事をする。

 メッセージを送った後も、おそらく何かしらをしている。

 エゴサーチや、SNSにおけるリプライのチェックだろうとあたりをつける。



 彼女は、多忙だ。

 サムネイル制作など、作業の多くを人に委託しているとはいえ、配信だけで一日に四時間は使っている。

 加えて、SNSのエゴサーチやU-TUBEのコメント欄への返信などにもかなりの時間を擁しているはずだ。

 そういったサービスの一環も、どうせバレないのだからメイドにも任せればいいと思うのだが、彼女はそこは譲るつもりはないらしかった。

 普通の高校生であれば、到底回らない。

 では、どうやって回しているのか。

 単純である。

 彼女は、Vtuber以外のことをほとんど放置している。

 彼女は、ここ一か月、一度も家から出ていない(・・・・・・・・)

 当然、学校にも行っていない。

 


『学校、行かないんですか?』

「……っ!」



 びくりと、彼女の方が震える。

 ゆっくりと、彼女が顔を上げる。

 彼女は、私を見たことがない表情で見ていた。

 まるで、怯えているかのような。

 いや、違う。

 これは私に怯えているわけではない。

 私を通して何か(・・)を見て、その何かが怖くて震えているように、私には見えた。

 まあ、ただの勘なのだが。

 とにもかくにも、怯えさせてしまった以上フォローしなくては。



『いやあの、すみません。ごめんなさい』

「いや、ううん気にしないで。説明してなかったよね」



 首を振って、耳にヘッドホンをつけて、彼女は切り替える。

 つけるといっても、装着しているわけではない。

 ただ頭にのせているだけだ。

 ……彼女なりに、気分を変えるためのルーティーンなのだろう。

 彼女は、そのまま言葉を紡ぐ。



「私は通信制の高校に通っているんだ。だから、登校の必要はほとんどないの」

『ああ、そういうことでしたか』



 なるほど。通信制の高校か。

 確か、登校する代わりにオンラインで授業を受けたり、テストを受けたりすることで単位を取得するんだよな。

 全く行かなくていいわけではないだろう。

 少なくとも、初めて出会った日には高校の制服を着ていたわけだしね。



『ちなみに、課題とかってどうなってるんです?』

「答え写して五分で終わらせてる」

『……どうやって処理してるのかを聞いたわけではないです』


 

 どういうものが出されるのか、を訊いたつもりだったんですが。

 というか本当に進級できるんでしょうか。

 おじさんは心配です。

 せめて高校くらいは卒業したほうがいいと思うんですよ。



『ちなみに、登校ってどれくらいの頻度で行くことになってるんですか?』

「高校にもよるらしいし、人によっても違うらしいけど私の場合は二か月に一回かな。だから今月はいかないといけない」

『なるほど』

「そういえば、言い忘れてたんだけど、明日動画撮るね」

『え』




 全く予期していなかったことを言われて、流石に驚かされた。



『急ですね……』

「いやまあ、今思い出したからさ」

『ああ、学校に行くことで配信時間が取れない日があるから、埋め合わせるための動画ってことですか?』

「正解!さすがに回線的に学校やリムジンの中で配信できないしね」



 いや、回線とかそういう問題ではないと思うのだけれど。

 家の外、防音設備がない状態で配信すれば身バレのリスクが上がる。

 外の天候などでも、ある程度絞れてしまうのだから。

 このお嬢様は、時折ずれた言動が目立つ。



『それで、具体的には何をするんですか?』



 動画をわざわざとるからには、ある程度きちんとしたものではあるのかもしれない。

 少なくとも、今までの雑談などではないはずだ。

 


(こと)の演奏でもしようかな」

『箏?』



 ◇




『思ったより、大きいですね』

「わかるなー。私も始めてやらされた時はそう思った」



 どんな感じなんだろうと箏の画像を見せてもらった感想である。

 様々なものを、彼女は与えられたのだろう。

 私を含めて、様々な物品や金銭を与えられ、箏をはじめとした技術も惜しみなくつぎ込まれた。

 親に学生時代のバイト代を差し押さえられていた私とは大違いだ。

 


 正に強者。

 強いということは、望まれるということでもある。

 プロスポーツ選手がメディアに狙われるように、人々から注目されるように、スポンサーから金銭を与えられるように。

 彼女もまた、強者として生まれた以上、様々なものを与えられ、求められてきたはずだ。

 それを、彼女はどう思っているのだろうか。

 喜んだのか、あるいは望んではいなかったのか。

 答えは、私にはわからない。



 ともあれ、急遽、動画収録が始まろうとしていた。

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