第四十九話「会社員、成瀬キノ」
就職した先は、ブラック企業だった。
残業は当たり前。
毎日朝から朝まで働いて、もらえる給料はまだこれならフリーターとして一日中バイトしていた方がましなのではないかと思える程度の額。
物価は上がるのに給料は一向に増えないから生活が楽にならない。
そのほかにも、精神論、天引き、法則が変わる、名ばかりの管理職、パワハラ、休憩禁止、笑顔じゃないと出勤登録できないシステム、居眠りしかけた社員に冷風を浴びせるシステムなどなど枚挙にいとまがない。
正直、最低レベルのブラック企業であると思う。
けれど、私はそんな会社を辞めようとも思わなかった。
一つには、人脈がなく、まともな転職先を見つけられると思えなかったこと。
一応は正社員であるのだが、今やめてもせいぜいで派遣やアルバイトにしか就くことができない。
もう一つは。
「成瀬さん」
「は、はい!」
「この件、どうなっていますか?」
「あ、それならまとめてきました!」
私に声をかけてきたのは、職場の先輩である。
背は私よりも少し低くて、猫背で。
顔だって普通だ。
悪くもなければよくもない、薄い顔立ち。
すれ違ったらすれ違いざまにもう記憶から消えていそうな顔だ。
挙動もおかしい。
ずっと、目や首を動かして周囲に気を配り続けている。
まるで、草食動物が肉食動物におびえて敵を探し続けるかのように。
傍から見たら、不審者にも見えるだろう。
けれど、彼だけなのだ。
毎日話しかけてくれるのも。
時折、私の体調や精神面を気遣ってくれるのも。
きっと、彼には別に特別な意味などないのだろう。
仕事だから。
必要なことだから、会話しているだけに過ぎない。
「先輩、あの」
「ああ、そうですね。時間がありませんし、移動しながらお昼食べましょうか」
時折、こちらの心を読んだような発言をするけれど。
それは、ただ彼がそういうのに敏感なだけで。
別に、私のことを特別気にかけているからとかじゃないし。
「先輩、麻雀とかやってたりしたんですか?」
「ええ、まあ大学時代に。成瀬さんはやったことないんですか?」
「全然やったことないですね」
時には、仕事とは全く関係ない話をすることもあった。
けど、それだって私が話しかけたから返してくれるだけで。
疲れたような、苦笑とも取れる笑みを向けて
灰色の学生生活、という言葉があるが、私の社会人になってからの生活は灰色である。
ただ、それは何も悪い意味では決してない。
黒い職場で、黒いスーツに身を包んだ人たちが塗りつぶされる中、一つだけ、私にとっては灰色の居場所がある。
それは灼熱地獄のような真夏日に、木陰に入って涼むような。
吹雪の中、かまくらに入って寒さを一時的にしのぐような。
そんな少しだけ心地よい時間だった。
家族も、友人も、恋人も、味方と言える人がどこにもいない状況で。
先輩と一緒に過ごしている時は、退屈やみじめさを感じずに済んだ。
リアルで、私が味方だと思える相手はこの人だけだった。
◇
先輩と一緒に過ごすことで心に余裕が生まれたからか、私には一つだけ趣味があった。
それは生配信。
ニタニタ生放送というサイトでマスクをつけて、「ナルキ」の名義で配信をしていた。
そこには、リアルの私を知る人間はいない。
配信頻度も一週間に一度できればいい方だし、音質だってたいして良くない。
けれど、一定数来てくれる人はいて、そんな数少ない視聴者との交流が彼女にとっては癒しだった。
利益になるわけでもないけれど、会社の愚痴を言ったり友人がいないことを嘆いたりするだけの時間が、自分をさらけ出させることが楽しかった。
流石に、職場に気になる男性がいるという話はできなかったが。
◇
「先輩って、好きなお菓子とかってありますか?」
「……特にないですけど。最近食べたのはチョコとゼリーですかね」
「ゼリー飲料に関してはお菓子カウントしていいんですかね?」
暗黒にして漆黒にして純黒な職場で働き出して、一年がたった。
その間、先輩にはかなりお世話になった。
私を指導してくれたり、私も含めて自分以外の社員のミスをカバーしてくれたり。
すごく怒鳴ってくる上司が一人いて、確か課長だったかな。
そういう人をなだめて、サンドバッグになるのもあの人の役目。
押し付けているつもりはないけど、先輩はぶちぎれ寸前のときの課長の気配を誰よりも早く察知して、発散させようとするので、止めようがない。
そうしないと、自分以外の誰かが拷問じみた説教を受けるとわかっているからだろう。
とにかく、たかが職場の先輩であっても、十分に恩人と言える相手であるということだ。
それこそ、食べ物くらいなら渡しても不自然じゃないはずだ。
最近は、先輩の指導のおかげで仕事がある程度できるようになってあんまり頼る必要もなくなってきたから、改めてお礼をするのも当然だし。
職場の先輩だし、別に意識しているわけじゃないし。
とはいえ、重すぎるものを送りたくもないとなると食べ物くらいしか思いつかない。
パソコンの画面から顔を上げて、私の眼を見ながら彼は口を開く。
「しいて言うなら、クッキーとか、ケーキとかは食べたいですね。最近食べる時間がなくて」
「ああー。そうですよね」
◇
ケーキは持ち運びとか保存性に難があるので、業務の合間を縫って、クッキーを購入。
別に、何の変哲もないチョコクッキーだ。
高すぎず、安すぎない、お土産くらいの代物。
次の日、出勤したタイミングで渡すつもりだった。
「喜んで、くれるかなあ」
家だと、ついついたくさん出てしまう独り言の一つ。
配信をすることで、よりひどくなったかもしれない。
別に、喜ばなくてもいいけど。
ただお世話になっているので、何かしら礼をしておきたいというだけで。
クッキーを渡したらどんな反応をするんだろう。
喜ぶだろうか、驚くだろうか。
それとも、実は全部見通していて無反応だったりするのだろうか。
ラッピングしてもらった箱を一撫でして、無くさないようにカバンにしまって眠りについた。
楽しい日々ではないけれど、新しい居場所を得て、私はそれなりに満足していた。
先輩が死ぬまでは。
◇
事故だったと聞かされた。
不運にも、たまたま駅のホームで足を滑らせてなくなったと。
けれど、本当に事故だったのだろうか。
葬儀に参列しながら、私は思う。
彼が死んだ駅は、最寄りの駅ではない。
先輩の最寄り駅は、彼との会話の中で彼がこぼしていたので間違いない。
じゃあ、なぜわざわざそんなところへ行ったのか。
どう考えても、不自然としか思えない。
自殺したと考える方が、自然ではないのだろうか。
本当に事故だったとして、死にたいと思っていたのではないだろうか。
いや、この際自殺かどうかは重要ではない。
先輩は、亡くなる直前に何を思っていたのだろうか。
私はとにかく先輩に救われていた。
先輩と一緒に仕事していたり、会話している時は満たされていた。
じゃあ、先輩はどうだったのだろう。
あの頼りない笑顔の裏で、彼は何を感じて、考えていたのだろう。
将来を悲観していたのだろうか?
笑顔の裏で、私を含めた職場の人たちを恨んでいたのか?
私のせいで、負担が大きくなって壊れかけていたのか?
あの空間に、ほんのわずかでも希望を見出していたのは、私だけだったのか?
彼は、私のことを概ね理解していたと思う。
じゃあ、私は彼のことをおおよそでも理解していたのか?
「最低だ」
私は、また一人になってしまった。
また、暗闇の中に落ちてしまった。
死んでからしばらくは、もう一つの心のよりどころだった配信もできなくなっていた。
その時、私はたった一つだけ思うことがあった。
「先輩って、なんでここで働いてるんですか?」
「お金のためですよ」
「お金なら、他でも稼げるんじゃないですか?先輩仕事できますし」
「私なんかを雇ってくれるのはここしかありませんから、奨学金を稼ぐにはここに残るしかありません」
もしも、お金があったら。
こんなことにはならなかったのではないだろうかと。
私が、両親を支えられるような稼ぎがあれば、彼らがマルチ商法なんて犯罪まがいのようなことに手を出さなくて済んでいたのではないか。
お金があれば友人たちとの縁もきれなかったのではないか。
そして何より、貧乏でなければ先輩は死ななくて済んだのではないか。
私も、一人にならなくて済んだのではないか。
私は、色々考えた末に、そういう結論に達した。
それが、お金こそが、私の生きるための指針になった。
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