アンチサラリーマン
インターホンの鳴る音がする。モニターを覗くとスーツを着た男が立っている。宅配ではないようだ。私はモニターを通話状態にし、はいと一言いった。
「こんにちは、株式会社アタックのものです。少しお話したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「少々お待ちください」営業だろうか。私ははねていた寝癖を手で押さえながら玄関まで行った。
玄関の扉を開けると、気のせいだとは思うが男がこちらを見るなり中指を立てたような気がした。
「こんにちは、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「立ち話も何なんで中へどうぞ」
男は椅子に座ると、部屋の中を眺めた。
「このおうち、建ててからどれくらい経ちますか」
「15年くらいですかね」
「へー、意外と新しいですね」私は意外という言葉が引っ掛かった。
「失礼かも知れませんが、最近おうちを新しくしたいとか思ったりはしませんか?」
「いやー、今のままで十分ですけどね。妻と二人で暮らしてるだけですし、お客もあまり来ませんので」
「そうですか?壁とか汚いと思いませんか?」
「いいえ、もとからこういう色でしたし、汚いとは思いませんけどね」私は声を荒げないように注意しながら言葉を発した。
「ふーん、じゃあ健康の事とかどうです。しわが目立ってきたとか思いませんか。」
「いいえ」
「じゃあお腹が目立ってきたとかは」私はいら立ちが伝わるようにすばやく首を振った。
「えっ、思わないんだ」男は信じられないといった様子で言った。
「あんたさっきから失礼なことしか言わないな」思いのほか大声が出てしまった。私はこの年になってこんなに感情的になるとは思わなかった。
「だいたいあんた何の営業なんだ」
「営業というかアンチです」
「アンチ?SNSとかコメント欄によく出没するあれか?」
「はい」男はもちろんといった様子でうなずいた。
「はいじゃないよ、なんでわざわざアンチが私の家まで出向いてきたんだ」
「まあアンチがみんなインドアなわけじゃないんで」それが私の問いの答えになっているかは判断しかねるが、ひとまず彼がアンチだということは納得することにした。
「君がアンチだということはわかったよ。だがね、なんで僕はアンチを客として迎え入れなきゃならないんだい?」
「そういう商売なんで」
「金取るの?」
「はい」
「なんでおっさんから悪口言われて金払わなきゃならないんだよ」そう言うと男は吹き出して、慌てて口を覆った。
「すいません、えっと詳しくは言えませんがあなたからお金を頂戴することはありません」
「じゃあ誰から」男は私の声をかき消すように大きく咳払いをした。
「定収入のくせにカッコつけるのやめろ」
「別にいいだろ、大体お前に収入教えてないぞ」
「音ばっかりでかくて、全然冷えねえエアコンさっさと買い替えろ」
「なんでてめえにうちのエアコンの文句言われなきゃならないんだ」
「租借音がうるさい。噛まずに飲み込め。そんで寿命縮めろ」
「なんなのさっきから?なんで俺のことがそんなに目障りなの」
「詳しくは言えませんので」
「お前さっきからさんざん詳しく俺の悪口言ってんじゃねえか」
「じゃあ最後。いびきうるせえ、息止めろ」私は男がそういったとき、ドキッとした。私のいびきは確かに大きい。だがいびきを知っている人間なんて限られている。
「では、これくらいにして失礼します。お邪魔しました」私は男が玄関から家を出ていく背中を何も言えずに見送った。
散歩から帰ると妻が台所で野菜を切っていた。私は冷蔵庫を物色し魚肉ソーセージを見つけて、それを食べた。すると台所の方からチッと舌打ちのような音が聞こえた。私はできるだけ音を立てないようにゆっくりとソーセージを噛んだ。