9.愚かでしたわね
ブクマ、評価ありがとうございます!
少しずつ増えていくので、ちょこちょこ見てはニヤニヤしております。
今回は少し長くなりました。アランが出てくると長くなりがちです…
今回もよろしくお願いします
その日は何故か毎朝贈られてくる赤い薔薇が来なかった。それに少し寂しいような感情を抱きながら、セレスはティナに促されるがままに朝食を終え、午前の用事をこなしていく。用事といっても、王都から離れたダルトン領のチャリティバザーに出品する小物に刺繍をしていただけなのだが。
「お嬢様、手が止まっておりますよ」
「わかってるわよ」
ティナに指摘されなくても分かっている。迎えに来る約束の時間まであと二時間。そわそわと何度も何度も時計に目を向けて、手元の針は殆ど動かされていなかった。
「そんなに楽しみなのですね」
「だってパティスリー・ヴィルよ?ずっと行ってみたかったんだもの!」
キラキラと目を輝かせる主に、言いたいことはそうではないと呆れた目を向けるティナだったが、当のセレスは気付いていない。手にしていた針たちは、既に裁縫箱の中に戻されていた。
「そうではなく、ゴールドスタイン様とのお出かけが楽しみなのですよね」
「どうしてそうなるのよ」
「いえ、私の勘です。やけに時間を気にしていらっしゃいますし、昨夜はお肌のお手入れも念入りにと仰せでしたので」
「それは…だって、久しぶりに街に出るからよ。深い意味は無いわ」
少々むきになって言い返すセレスが可愛らしく思えて、ティナは小さく笑った。薔薇の花が贈られてくるようになって、もう一か月を過ぎた。初めの頃に贈られた花はとうに枯れてしまったが、花瓶は相変わらず薔薇でいっぱいだ。
「それは大変失礼いたしました。では、少々早いですが、そろそろお支度を」
裁縫箱を片付け、衣裳部屋から持ってきていた外出用のドレスを差し出すと、セレスは嬉しそうに顔を綻ばせた。あの婚約破棄からずっと、嬉しそうに微笑むことは無かった。いつもどこか寂しそうで、微笑んでいても何か思い詰めているようで。そう思うと、少しはゴールドスタインに感謝しても良いかとティナはこっそりと笑った。
「本日の外出は、婚約者ではない男性とですから、少々窮屈でしょうが大人しいデザインのものにいたしましょう」
ハイネックの地味なドレスを広げると、セレスは眉間に皺を寄せ、顔全体で不満だと表現する。
「もっと可愛いのが良いわ」
「では此方は如何でしょう」
柔らかい水色の、フリルとレースが使われた華やかなドレス。華やかといっても、派手なものではない。
「こっちの方が良いわ」
「かしこまりました」
普段ティナの用意する服に何も意見をすることはないが、以前ウィリアムと会う時だけはあれこれ意見をしていた。その時の事を思い出して、ティナはまた小さく笑う。着ていた普段着のラフなドレスを脱がせ、コルセットを締め上げる。元々痩せ型だったセレスは、婚約破棄の一件で更に痩せた。細い腰に必要ないと思うが、少し緩めにコルセットを締めた。
「張り切りすぎかしら」
ドレスを着ながら鏡を見たセレスが、小さく呟く。
「いいえ、お嬢様はもっと着飾ってください。私はお嬢様を美しく飾るのが大好きなのですよ」
「そう言われても…」
「とにかく、今日のところはもうこのドレスで決定です。髪型はどうされますか?」
「下ろしたスタイルが良いわ」
そう言うと、セレスはドレッサーの椅子に腰かける。肌の調子を整えて、丁寧に化粧を施すティナは真剣だ。
日に焼けていない真っ白な肌。そばかすもシミも無い、艶やかで柔らかい肌と、薄い唇。それを活かすような化粧をしようと、ティナは化粧筆を動かし続けた。
◆◆◆
約束の時間ぴったりに、アランが迎えに来たと執事が声をかけに来た。すっかり支度が済んでいたセレスは、足早に玄関ホールへと向かった。
「お待たせいたしました」
「やあ。今日は一段と可愛らしいね」
顔を見てすぐに褒められ、セレスは嬉しそうに微笑む。ウィリアムにこんなに素直に褒められたことが無いからだ。
「そうだ、これ。今朝の分」
今朝は届かなかった赤い薔薇。いつも通り深い緑のリボンを巻かれ、小さなメッセージカードを添えられた、いつもの贈り物。カードには「今日を楽しみにしていた」と書かれていた。
「折角会えるから、直接渡したかったんだ」
「今朝はくださらないのかと…」
「言っただろう?俺からの愛情だって」
使用人たちの背中がむずむずと痒くなるような甘い雰囲気を、執事長が咳ばらいで消し去った。アランが少し気まずそうに咳払いを返しながら、執事長へ向き直った。
「今日はショッピング街の辺りを歩いてくる。夕食の時間までにはお返しすると御父上にお約束しているから、それまでには必ず戻るよ」
「かしこまりました。念の為影を付けさせていただきますが、ご了承ください」
「ああ、分かったよ」
子供を預かるような対応に少々複雑な気もするが、嫁入り前の娘と出かけるのなら当たり前だとアランは言うのだろう。
ティナは今日は屋敷で留守番になった。付いて行きたがったが、グスタフから止められたようだ。
「お嬢様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「行ってくるわ」
セレスはティナに薔薇とカードを手渡すと、使用人たちに見送られ、アランとセレスは屋敷を出る。貴族街までは歩いて行ける距離だが、ヒールの女性を歩かせるわけにはいかないからと、アランは馬車を用意していた。ダルトン家の馬車よりも豪華な造りの馬車に乗り込むと、椅子はふかふかと柔らかく、体を支えるようにクッションが幾つか置かれていた。向かい側にアランが座ると、ゆっくりと馬車が動き出す。
「貴族街の入り口までは馬車で行こう。着いたら歩いたほうが色々見られるだろう?」
「パティスリー・ヴィルに行くだけではないのですか?」
「勿論それでも良いけれど、外出は久しぶりだと聞いたから。気晴らしに散歩でもどうかなって。勿論気が進まないようなら無理にとは言わないけれど」
ウィリアムは目的地以外には行かなかった。一緒に貴族街に行ったこともない。パティスリー・ヴィルも、人気になる前にウィリアムと一緒に行こうと約束していた。約束が果たされることは無かったけれど。
「では、少しだけ見て回りたいです」
「良かった。それじゃあ、少し見て回ってからパティスリーに行こう。それなら休憩にもなるだろう」
「ええ、そういたしましょう」
心を許すまいと思っていた筈なのに、たった一月の間毎日薔薇とカードを贈られただけで絆されかけている。それはセレス自身自覚しているが、認めたくない。まだこの人の妻にとは思えないが、少しはこの人の事を知りたいと思っている。
「アラン様は行きたいところはありませんの?」
「俺はセレスティア嬢の行きたいところに行きたい。君がどんなものに興味を持って、何が好きなのか知りたいんだ」
本当に、この男は恥ずかしいという感情は無いのか。何も言えなくなったセレスは、窓の外に視線を向けた。
「おっと、もう着いたみたいだ」
御者が扉を開けると、アランが先に降りて手を差し出してくる。そっと手を取り、セレスも石畳の上に降り立った。目の前はショッピング街の入り口のシンボル、大門が聳え立っている。
「俺も最近は来ていないから、もしかしたら店のラインナップが変わっているかもしれないけれど…まあ、退屈はしないだろう」
王都の城の周りは、各地に領地を持つ貴族たちの別邸が立ち並ぶ屋敷街と呼ばれるエリアがある。そこから少し離れた場所のこのショッピング街と呼ばれるエリアは、王族や貴族御用達ブランドの店舗が立ち並ぶ場所だ。そうそうラインナップが変わることは無い。せいぜい飲食店が入れ替わる程度だ。
「まずは何処に行きたい?」
「何があるか分からないので…少し歩きたいです」
「分かった」
さり気なくセレスの腰を抱きながら、歩幅を合わせてゆっくりと歩き出す。王族や貴族御用達の店となると、やはり服飾や宝石、食器等が多い。生憎セレスはドレスや宝石にあまり興味が無い。興味が無いといっても、他の令嬢に比べてというだけで、買い漁ったりはしないが、見るのは好きだ。店のショーウィンドウに飾られたアクセサリーを眺めながら歩くのは、思いの外面白かった。
「セレスティア嬢はどんなものが好きかな」
アランがきょろきょろと周りを見回しながら問う。ドレス?アクセサリー?とあれこれ指を指す。セレスよりもアランの方が楽しそうだ。
「ドレスは必要な時に作れば良いですし、アクセサリーはいつも着けているものがありますから」
そう言いながら、セレスは右手の中指に嵌められた指輪をそっと撫でる。子供の頃からずっと嵌めているもの。数年前亡くなった祖父から誕生日に贈られたものだ。小さなダイヤが付いた細身の指輪。お守りのように大切にし続けている。
「可愛らしい指輪だ」
「お守りのようなものです」
「そうか。…こういうデザインも似合うと思うんだが」
そう言いながら、アランはウィンドウの向こうに飾られた華奢な指輪を指す。捩じられた綱の中心に小さな緑色の石が嵌められたもの。似合うかは別として、セレスの好みではある。
「可愛らしいです」
「成程、シンプルなものが好きなんだな」
「あまり大ぶりなものや、凝った意匠のものは似合いませんので…」
そんな事はない、とアランが反論しようとするが、確かにごてごてとしたものよりは、線の細いものの方が似合いそうだと思い直す。中へ入ろうかと促すが、セレスはそれをそっと断る。
「では此方の耳飾りは」
しずく型の青い宝石が目立つ、ゆらゆらと揺れる耳飾り。セレスの好みだったらしく、指輪よりも反応が良い。それでも店に入る事はしないので、アランはあまりしつこく言うのをやめた。
その後もウィンドウショッピングを楽しみ、当初の目的であるパティスリー・ヴィルへと入っていく。恭しく頭を下げる店員に迎えられ、二人は半個室の様に植物に囲まれた席へと通された。
「あら、セレスティア様ではありませんの?」
嫌な声。セレスの肩がびくりと揺れた。恐る恐る声の方へ顔を向けると、嫌な笑顔を浮かべた女と、がっちりと腕を絡められ、顔を青くしながら逃げられずにいる男が立っている。
「お久しぶりです、セレスティア様」
何故馴れ馴れしく話しかけてくるのか。よくも話しかけてこられたな。何故此処に居るの、どうして知らんふりをしてくれないの。どうして楽しかった時間を台無しにするの。
そんなどうしようもなく重たく、苦い感情がぐるぐると回ってはセレスの胸を重たく沈ませる。
「セレスティア様もデートですのね。新しい婚約者様かしら」
にこやかに話しかけてくる女は、真っ赤なリップがよく似合う。派手な顔つき、派手なドレス。男好きしそうな豊満な体。笑っているのに笑っていない目が、怖くて大嫌いだ。
「やめろマリア。すまないセレス、悪気はないんだ。邪魔をして悪かった」
「あら、ご挨拶をしただけですわ。それに、私たちだけ幸せで、セレスティア様がいつまでもお一人でお寂しい思いをしていらしては可哀想だと気になっていましたの」
どうやらとことん此方を馬鹿にしているらしい。惨めだ。上手くいっていないなんて嘘じゃないか。だってこんなにも仲睦まじく腕を組んで、人気のパティスリーでデートをして。先に約束していたのは自分だったのに。約束を果たすことは無かったのに。どうしてその女と来ているの。
喚き散らしたい気持ちを必死で堪え、セレスはきつく拳を握り締める。何も言い返すまい。他の客たちが此方を見ている。店員も困ったように見ている。
どうして、こんなに惨めなの。
「失礼、マクベスと言えば子爵家だったな。此方のセレスティア嬢は伯爵令嬢。格上貴族に失礼では?それと、婚約者でもない君が、軽々しく女性を愛称で呼ぶものじゃない」
アランが不機嫌さを隠すことなくマリアとウィリアムを咎める。眉間には皺が寄っているし、声色も普段より低い。しかし手はセレスの背中に添えられ、大丈夫とでも言うように優しくぽんぽんと撫でている。
「それに、私は彼女の婚約者ではない。どこぞの馬鹿のおかげで心を閉ざしていてね。今必死で口説いているところだったんだ」
「な…」
「何か文句でも?」
深緑の目が、冷たくウィリアムを睨みつける。何も言い返せないようで、ウィリアムは居心地悪そうに視線を逸らした。
「アラン様、帰りましょう」
「君がそう言うのなら。騒がせて悪かったね」
店員へ一言添え、アランはセレスをエスコートしながら店を出る。そのまま何を話すこともなく、セレスが馬車に戻ろうとすることに気付いても何も言わない。
少し前まで楽しかったのに。一瞬で楽しかった気持ちが萎んで消えた。
何を浮かれていたのだろう。何を勘違いしていたのだろう。何故忘れかけていたのだろう。
信用したところで裏切られる。そうなったら苦しいのは自分なのに。毎日薔薇とカードを贈られただけで、少しデートをしただけで浮かれてそんな事も忘れてしまうなんて。
思っていたよりも学習しないのだと、セレスは自分の唇を噛んだ。




