3.侍女は少々口が悪いのです
昨日投稿してからブクマと評価をいただけていることに震えながら感謝しております。
普段はグロやミステリーを書くのであまり恋愛ものを書いたことが無いのですが、何とか完結まで書き切ります。
拙い文章ではありますが、どうか皆様よろしくお願いいたします。
新しい婚約者を探す。それは貴族の家に生まれた者として当たり前の事だ。良縁を結び、夫を支え、子供を産む。それが貴族令嬢の務めである。それは分かっているのだが、どうしても今はそんな気にはなれなかった。
「お嬢様、お目覚めのお時間です」
「起きてるわ」
扉の向こうから聞こえる侍女の声。起きているというよりは、眠れなかったのが正解なのだが、きっとそれは優秀な侍女にはバレている。日に日に濃くなる隈を何も言わずに隠してくれるし、安眠効果があるらしいというハーブティーを淹れてくれたり。深く聞いてこない辺り、本当によくできた侍女だ。
「本日はセシリア様のお茶会に参加するご予定です。ドレスは如何いたしましょう」
「ティナに任せるわ」
ティナに任せておけば間違いはない。その場に合わせた服や化粧を選んでくれるし、いつでも満足出来る仕上がりだ。
「今日も、眠れなかったのですね」
「少しは眠れたわ」
「それでも、隈がまた酷くなっていらっしゃいます」
温めたタオルを目に当てながら、セレスは深いため息を吐く。体の力を抜き、だらしなく椅子の背凭れに頭ごと預けた。正直、お茶会になんて行く気分ではない。だが、招待してきたセシリア・ミレイ・ゴールドスタインは辺境伯令嬢。要は格上相手なのだ。年下でも格上相手に招待され、一度受けた誘いを後になって「やっぱり行きません」なんて事は出来ない。
「いっそ病気になりますか」
「無理よ。今の私は寝取ら令嬢。今病気だからと引きこもれば、どうせまた面白可笑しく噂の種にされるもの」
貴族という生き物は兎角暇な生き物だ。いつでも醜聞に飢えている癖に、プライドが異様に高いという厄介な生き物。
誠に不名誉な事に、婚約者に浮気され婚約破棄をした令嬢ということで寝取られ令嬢などという腹立たしい二つ名を付けられてしまった。そんな二つ名の女を、誰が妻にしようと思うのだろう。そもそも今は誰とも親しくなろうとは思えないのだが。
「寝取ら令嬢とは、いやに語感がよろしゅうございますね」
「腹立たしいけれどね」
クスクスと笑いながら、侍女は冷えたタオルを温めなおして乗せなおす。ついこの間までは寝取られ令嬢と言われていた筈なのに、いつの間にか少し語感が良くなっている事が面白いらしい。少しは自分が仕える主の不名誉な二つ名に怒るくらいしても良いだろうに。
「それにしても、やけに懐かれましたね。お茶会に呼ばれるだなんて」
「一度夜会でお話しただけなのにね。まだデビューしたばかりのようだし、きっとすぐに興味を失うわ」
婚約破棄をする少し前。父の友人の夜会に参加した際、壁際でぐったりとしていたセシリアに声をかけただけなのだ。何処の誰だか分らなかったが、明らかに年下の女の子が真っ青な顔で壁際に逃げ込んでいたら、何も考えずに声をかけても致し方ない。慣れない場所に疲れ、仲の良い友人も来ておらず、一緒に来ている父親も仕事の話をしていてどうしたら良いのか分からず困っていたそうだ。
「もう良いんじゃない?」
冷めたタオルをティナに手渡し、ゆっくりと目の周りを揉む。その手を制され、ティナが顔や首回りなどを丁寧にゆっくりとマッサージする。浮腫んでしまった顔も、凝り固まった肩や首も、ティナの温かい手で解されていくのが気持ち良い。
「はあ…でもやっぱり憂鬱だわ。色々聞きたがる人が多そうだもの」
「適当に話してさしあげれば良いのです。お嬢様は何も悪くないのですから」
「そうだけれど…でも、やっぱり一度の過ちくらい赦すべきだったのかもしれないと思うのよ」
「許す?お言葉ですが、それは違います。ティナはセレスお嬢様が何一つ間違っていない事を知っています。良くない噂を知っても信じ続け、愛し続け、噂は信じていないけれど少し慎重にと忠告なさっていました。それを聞き入れなかったのはあのボンクラですわ」
仮にも貴族の息子を使用人がボンクラ扱いするとは。思わず吹き出してしまったセレスだが、当のティナは真面目な顔でまだ少し興奮したようにセレスの手を握っていた。
「言い過ぎよ」
「本当の事です。お嬢様が落ち込んでいらっしゃるので私も静かにしておりましたが、本当は怒りが収まらないのですよ!」
ふんふんと鼻息荒く、ウィリアムとマリアへの恨み言を吐き続けるティナに笑いがこみ上げる。久しぶりに主が笑ったのが嬉しくて、ティナも優しく微笑んだ。
「さあお嬢様、そろそろ支度を始めましょう。今日はグリーンのドレスにいたしましょう」
にこやかに微笑むティナが、楽しそうにセレスの身支度を進めていく。シンプルなモスグリーンのドレス。セレスの黒髪を編み込み、小さな宝石がはめ込まれた髪留めを付ける。セレスを着飾らせる事が、ティナの何よりの楽しみなのだ。
きっと今日が夜会だったら、ティナはもっと気合を入れていただろう。今日がお茶会で良かったと密かに胸を撫でおろしながら、セレスは窓の外に広がる穏やかな空を眺めた。