24.待つだけの身
本格的な戦争になってから一月が経った。戦況は此方が有利。むしろ、足掻くだけの弱った国をただ苛めているようなものだ。
それでも、前線となったゴールドスタイン領は呑気に構えてはいられない。
戦争になってから更に食糧難に苦しむ民が溢れ、我も我もと押し寄せるのだ。
鍬や鋤を手にする者もいると聞くが、それは地を耕すものであって、人に向けるものではない。
生きる為に必死。そう言われればそうなのだろうが、向ける相手が違う。愚かな自国の王に向けるもので、此方に向けるべきではなかった。
「お父様はまだお忙しいのね」
「仕方ありません。文官長とは名ばかり、影の統率者ですから」
ティナの言う通り、今はダルトン家の影がよく働いている。
無能な王は王城で酒を煽り、その妻は未だに高価な宝石を買い漁る。
つくづく国民が哀れでならない。上に立つ者が無能ならば、下の者が苦労するのだ。
「結局苦労しているのはゴールドスタイン家ばかりじゃないの」
憤慨しながら、セレスはイライラと刺繍の針を進める。セシリアからの手紙で、男手は殆ど前線に出たと知らせがあった。
アランも前線に出ているらしい。
「いくら一般人相手でも、数によってはお怪我では済まないかもしれませんのに」
ぶちぶちと文句を言いながらも、セレスの手は止まらない。今は何かしていないと落ち着かない。
近頃は国の一大事だからと茶会もパーティーも開かれず、やることと言えば手紙のやり取りや刺繍くらいなものだ。
「戦況が有利と言っても、少しずつ激しくなっていることくらい知っているのよ」
「お嬢様、指を突きます」
ティナの忠告に一瞬視線を浮かせた瞬間、持っていた針はセレスの指を突きさした。痛みに顔をしかめれば、真っ赤な血がじわりと玉を作った。
「ああ…針を使うのなら落ち着いてくださいませ」
「分かっているわ」
行儀悪く指を咥え、じとりと侍女を睨む。八つ当たりだと分かっていても、怒りが収まらない。
「向こうの王太子は優秀だと聞くわ。終戦後すぐに代替わりすれば良かったのよ」
「当時まだ三歳です。無理ですわ」
三歳の幼児に国は治められない。成人と同時に代替わりの話も出たそうだが、王妃の反対により話は流れ、結果がこれだ。
重い税を課し、その金は酒と宝飾品に消えていく。無能共と口汚く罵りたいが、説教されるのは御免なので黙っておいた。
「セシリア様、大丈夫かしら」
「王都のお屋敷にお一人ですから。きっとお寂しいでしょうね」
「お茶にお誘いするのは…不謹慎かしらね」
未来の妹の心配をしながら、おずおずとティナに提案してみる。少し考えて、ティナは微笑んだ。
「姉妹になりますし、宜しいのでは」
その答えに安堵し、すぐに手配を始める。まずはセシリアの予定を聞かなければ。
持っている中で一番可愛らしい便箋に、丁寧に文字を書き込んだ。
◆◆◆
「お誘いいただけて光栄ですわ」
嬉しそうな顔でダルトン邸に現れたセシリアは、やはりいつもよりも元気が無い。家族が前線にいるのだから当然なのだろうが、気丈に振舞うセシリアに胸が苦しくなった。
「一人で暇をしていたのです。お姉さまとお喋り出来るなんて嬉しいわ」
いつの間にか「お姉さま」と呼び出したことは少し気になったが、可愛らしいので良しとする。暖かいサンルームに通し、沢山の菓子を並べたテーブルを見たセシリアは、小さく歓声を上げた。
「ご家族が心配でしょう」
「そうですわね。心配ですが…ゴールドスタイン家の男は一般人相手に負ける程柔ではありませんのよ」
それはいつかのアランを見れば分かる。ゴールドスタイン家は古くから武芸に秀でた家なのだから。兄は力仕事は向いていないと言っていたが、それはアランに比べてという話で、十分強い事も影の調べで知った。
「セシリア様は、ご無理をされていませんか」
ぱちくりと目を瞬かせて、セシリアはじっとセレスの顔を見た。
刹那、緊張の糸が緩んだのか、大きな目からぼろぼろと涙を溢れさせては零していく。
成人しているとはいえ、十六歳の少女が、家族を前線に送り出して無理をしていないわけがない。
「ごめ、なさ…」
涙を止めようと必死に唇を噛み締め、嗚咽を噛み殺そうと深く呼吸を繰り返す。細い肩が憐れになる程揺れて、セレスはそっと背中を摩った。
「姉の前では、泣いても良いのですよ」
まだ姉になっていないが、今は姉でありたかった。今度こそ声を上げて泣く少女を優しく抱きしめて、何度も何度も背中を摩る。
「戦況の報告が来る度、怖くて仕方がないの」
何度も言葉を詰まらせながら、ぽつぽつと心境を零す。
誰かが怪我をしたのでは、もっと悪くて死んだのでは。そんな不安に駆られては、毎夜魘されて起きるのだと。
誰も失いたくないのに、皆国の為に武器を取る。それに着いて行く事も出来ない。ただ屋敷で衛られるだけの自分が不甲斐なくて嫌なのだと。
「待つだけの身は、辛いですわね」
セシリアに向けたのか、自分に言っているのか分からない言葉。
ただ待つしか出来ない不甲斐なさを、二人は揃って噛み締めた。
◆◆◆
泣くだけ泣いてすっきりしたのか、少し恥ずかしそうにセシリアが笑う。目元も鼻も赤くなっているが、姉として慕ってくれるのが嬉しかった。
最初は何故懐かれたのか分からなかったが、今はこうしてお姉さまと呼ばれるのも悪くない。
「初めてお話した時の事を覚えていらっしゃいますか」
「ええ、覚えていますわ」
「あの時は心細くて、どうして良いのか分からなくて困り果てていたんですの。誰も遠目に見るばかりで助けてくれなかったのに、お姉さまだけが声を掛けてくれたのですわ」
嬉しかったと微笑むセシリアに、セレスは少し背中がむず痒くなる。
「お茶会に来てくださったときも、私とても失礼な事を言ってしまったのに…優しく慰めてくださって、こんなお姉さまが欲しかったと思ったのです」
兄二人に自分一人。姉という存在に憧れる気持ちはなんとなく分かる。
病気になろうかなんて考えて申し訳ないと、心の中で詫びた。
「お兄様が求婚されるとは思いませんでしたけれど、私本当に嬉しいのです」
「まあ、そう言っていただけるなんて嬉しいですわ」
セレスがそう言いながら微笑むと、一口紅茶を啜ったセシリアが、おずおずとセレスに可愛らしく「お願い」をする。
「本当のお姉さまのようにお話しても宜しいでしょうか」
つまり、もっと砕けた口調で話したい、と言いたいのだ。もっと仲良くなりたいのだろうと納得すると、何とも言えぬ感情がセレスの胸をきゅうと締め付けた。
「勿論、私はセシリア様の姉ですもの」
途端に嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、セシリアはセレスの手を取った。
「どうかシシーとお呼びになって!家族は私をそう呼びますの!」
「はい、シシー」
きゃあきゃあと興奮したように嬉しそうに笑うセシリアに、セレスとティナは笑みが零れた。
少し前までわんわんと声を上げて泣いていたのに、もう元気を取り戻して笑っている。
よく表情の変わる少女を、セレスは好きになっていた。
「きっとお兄様悔しがるわ!自分がいない間に仲良くなりすぎだって怒るのよ」
「アラン様は案外子供のようなところがあるのね」
「子供も子供よ。だっていつも意地悪を言うんですもの。お姉さまの事が大好きで、私がお茶にお誘いしたいと言っても俺が仕事で会えないのに狡いから駄目だ!なんて言うのよ」
頬を膨らませながら兄の話をするセシリアは楽しそうだ。
これで少しでも気が紛れて、ゆっくり眠れるようになれば良いのだが。
急でもお茶に誘って良かったと安堵しながら、二人のお茶会は暫く続くのだった。




