1.やってくれやがりましたわね
貴族社会がどうとかはよくわかってません。一応調べながら書いてはいますがふんわりです。
難しいことは考えず、ふわっとしたノリでお楽しみください。
心の奥ではわかっていた。
信じたかった。信じていたかった。
でも、信じていたかったその人は、今目の前で自分を裏切っている。
青ざめた顔で、私を見ているその人は、私の婚約者。
「こんにちは、ウィリアム様。そのお方はどちら様?」
「やあ、セレス。この人はその…友人だ」
「ご友人でしたの。随分と、仲が宜しいのですのね」
ただの友人だと言い張るには無理があるのではなかろうか。
つい先程まで、それはそれは情熱的な口付けを交わしていたのだから。
ウィリアムの唇には、ご友人とやらの口紅がべったりと色を主張していた。
それに、乱れ切った服でソファーの上では、友人と言い張るには少々無理がある。
気色が悪い。ほんの数分前まで私は確かにこの男を愛していた筈なのに。たった数分で、私の心はこの男を拒絶した。
「私はお邪魔なようですので退散致しましょう。ご友人の事は私から父へ話しておきます」
にこりと軽く微笑み、ドレスの裾を軽く持ち上げて会釈する。
さっさとその場から退散してしまおう。後ろで何か揉めるような声がするが、今はさっさとこの場から退散したい。
「あら、セレスティア。ウィリアムのところに行ったんじゃなかったの?」
「こんにちは、エリザベス様。先程お部屋にお邪魔したのですけれど、どうやらご友人と仲良くされているようでしたので退散してまいりました」
「ご友人?良いじゃない、婚約者なのだから、友人よりも優先されるべきよ」
ウィリアムの母親がにこにこと微笑みながら声をかけてくる。将来の義母になる筈だった人。
とても良くしてくれて、優しくて大好きだったのに。
「いえ、良いのです。本日は残念ですけれどお暇いたしますわ」
ぺこりと小さくお辞儀をして、家へと戻る馬車へ乗り込む。
早く家に戻って父へ報告しよう。きっと父の事だから、怒り狂ってこの婚約を無かった事にするだろう。そうすれば、この悲しみは時間と共に消えていく。
なかには男の浮気は甲斐性だとか、夫の浮気を許すのが出来た妻だとか言うけれど、そんなのまっぴらごめんだ。そもそもまだ結婚もしていないうちに浮気する人間だったと知れて良かったのかもしれない。
ガタガタと揺れる馬車の中、一人小さくため息を吐き続ける。
幼い頃に親が決めた婚約ではあったけれど、確かに自分の心はあの男を愛していた。婚姻前だからと口付けを交わす事も無かったけれど、確かに愛していたのに。あの男はそうでもなかったらしい。
「おかえりなさいませお嬢様。お早いお戻りでしたね」
「色々あったのよ。ティナ、お父様はお帰りかしら」
「はい、書斎にいらっしゃいます」
子供の頃からずっと一緒にいる侍女、ティナが主人の帰りを出迎える。
生真面目そうな雰囲気の女性で、年齢が近いという理由やセレスがワガママを言って聞かなかったことなどを理由にセレス専属侍女になってもらっている。
こつこつとヒールの音を響かせながら、足早に父の居るであろう書斎へ向かう。
何と伝えれば良いのだろう。きっと後ろから追いかけてくるティナは怒り狂ってタラント家に殴り込みに行ってしまうかもしれない。
「お嬢様、どうなさったのですか」
「ちょっと困った事が起きたのよ。お父様に報告すべき事だと思って」
コンコンと書斎のドアをノックし、返事があるか無いかといったところで部屋に押し入る。普段はこんな事はしないのだが、今回は自分でも驚く程気が動転していたようだ。
「どうしたセレス。タラント邸に行ったのでは?」
「色々あって戻って参りましたの。お願いですお父様。ウィリアム様との婚約を破棄させてくださいませ」
「…なんだと?」
眉間にシワを寄せる父。背後で息を飲むティナ。
一瞬静まり返った部屋で、セレスはもう一度大きく息を吸い込んで言葉を繰り返す。少しだけ付け足しをしながら。
「ウィリアム様はどうやら仲の宜しい女性がいらっしゃるようですので、婚約を破棄させていただきたいのです」
「待て、どういう事だ?」
「先程ウィリアム様の所にお邪魔してきましたの。ところがお部屋で私の存じ上げない女性と…とても親しくしていらっしゃったのです。ウィリアム様の唇に、女性の口紅が色濃く付く程に!」
後半はきっと声が震えていただろう。
怒りなのか、悲しみなのかはわからないが、目頭が熱くてたまらない。
ぽろぽろと涙を溢す娘の姿に、父の顔は真っ赤に染まり、小刻みに震えていた。
「そういう事ならば仕方あるまい。そのような男の元に私の娘を嫁がせるわけにはいかないからな。あとの話は私とタラント伯で済ませておくから安心しなさい」
「はい、お父様」
お願いしますと小さく残し、書斎から出る。
自室へ戻るだけなのだが、すぐ後ろを歩くティナは此方をチラチラと伺い、またどこかイライラとした様子だ。
「お嬢様、なにか甘いものでもお持ち致しましょうか」
「いいえ、今は要らないわ。…申し訳ないけれど、今は一人にしてちょうだい」
力なく微笑みながら、自分の部屋へ入っていく。
何か言いたそうにしながら、何も言えないティナが、寂しそうに此方を見ていた。