第47話 壁を作ったら恨みを買う優秀女学生
16歳の頃。
物心ついた時から両親に厳しく育てられ、勉強一筋の人生を歩んできたワタシは、故郷のダガーヒからは少し離れた町にある魔法学校に通っていた。
幼い頃からの積み重ねでクラスでの成績も常にトップ。
常に黙々と勉学に励み、自分の周りに他者を寄せ付けないよう、意図的に壁を作るようにしていた。
髪は男と見紛うほどに短くし、背が低いからと言って舐められないよう、常に氷のように冷たい表情を浮かべる。
もともと口数が少なく無愛想な性格も手伝って、学校では何の苦労もなく孤立することができた。
他の者が軽い気持ちでワタシに近付くことができなくなるための工夫を、いくつも施した。
『あの、ヒューサさん……ここの問題、教えてほしいんだけど……』
『すみません、他をあたってください。ワタシは自分の勉強で忙しいので』
『あ……あはは、そうだよね! ごめんね邪魔して……』
たまに話し掛けてくる者にもこのような対応。できるだけ効率的に、最低限の文字数で追い返すようにした。
自分以外の誰かのために貴重な時間を使いたくない。
他の人々には、ヒューサ=ルミーユという人間はさぞかし「嫌な女」に映っていただろう。
しかし周りにどう思われようが構わない。
両親の期待に応え、立派な魔導士にならなければならないワタシに、他の者たちとじゃれ合っている暇なんてないんだ。
そう言い聞かせ、ワタシはいつも独りで書物と向き合っていた。
そんなある日。
ワタシの高飛車な態度に我慢の限界を迎えたらしいクラスメートの女子三人組から、学校終わりに呼び出しを食らった。
いつも教室の真ん中でダラダラと喋っていた人たち。名前は……ダメだ、一人も思い出せない。
何故こんなに怒っているのか、理由は簡単。
ただの僻みだ。
自分たちより優れている者に対する醜い嫉妬心だけが、今の彼女らを動かしているんだ。
ワタシを壁際に追い詰め必死に何かを吠えている同級生の顔を見ていると、哀れみの感情すら芽生えてきた。
『何なのよその目は……そうやってアンタはいつもいつもアタシたちを見下しやがって!!』
人の寄り付かない廃墟の中に、憎悪をたっぷりと含んだ女の声が響き渡る。
『見下す? それは誤解です。そもそも眼中にない者を見下すことはできませんから』
『ッ…………この野郎!!』
三人組のリーダーらしき人物は、ワタシの右頬を思い切り殴った。
女性にしては重い一撃。余程の恨みが乗っかっていたのだろう。
久々の血の味。
子どもの頃に試験で一回だけ悪い点数を取ってしまったときも、父親に殴られたっけ。
あれ、あの時は平手だったかな。まぁ今となってはどっちでもいいけれど。
『……どうしました? 終わりですか?』
顔色一つ変えないワタシの余裕綽々な態度に怒りを加速させた彼女たちは、ワタシの短い赤髪を乱暴に掴み、殴る蹴るの暴行を加えた。
3対1。この程度の相手なら魔法を使えば何とでも出来るが、事を大きくすると面倒だ。
それにまだ完璧に制御できないし、もし殺しでもしようものならワタシの今後の人生にも支障が出る。
彼女たちの気が済むのを黙って待つのが合理的だ。
そうすればもう、狙われることはなくなるだろうから。
『くそ、くそっくそっ!! ここまでされてんのに涼しい顔しやがって……ホントにムカつくわねアンタはっ!!』
しばらくして、リーダー格の女が声を枯らせて頭を掻き毟りながら怒りを吐き出す。
なんて理不尽な。
ワタシはキミたちの不満をこんなにも素直に受け入れてあげているのに。
ワタシが誰かのために時間を割くなんて、珍しいことなんですよ?
それは同じ教室にいたキミたちが一番よく知っているはずでしょうに。
『このっ…………こうなったら!!』
彼女はポケットから小型のナイフを取り出した。
これはさすがに他の二人にとっても予想外の行動だったようで、獣のように唸る彼女の両側でギョッと目を丸くしている。
やれやれ、キミたちが怯えてどうするんですか。
ワタシの表情をなんとかして動かしてやろうと、プライドの高いリーダーさんが必死に頑張ってくれているんですよ?
失敗したとはいえ、彼女の取り巻きならばその負けず嫌いっぷりに敬意を表するべきでしょう。
『……随分と思い切ったことをしますね。頭が良くなるワケでも、お金がもらえるわけでもない。ワタシに傷を付けたところで、キミたちには何の利益もないのに』
『はっ! アタシだってそんなこと分かっててるわよ! ただアンタが気に入らないだけ!! それの何が悪いの!?』
『…………はぁ……』
溜め息が出た。
これだから己の感情に任せて行動する愚か者はイヤなんだ。
ワタシには理解ができない。
『あぁそうですか。まあ何でもいいですけど……』
ワタシは彼女にハッキリ見えるよう、ゆっくりと挑発的に口角を上げてみせた。
『刺せますか? お仲間さんが傍に居なければ嫌いな奴ひとり痛めつけることも出来ない、キミのような臆病者に』
その言葉が引き金になったようで。
リーダーさんは血走った目でナイフを振り上げた。
本当に大嫌いだ、感情的な猿は。
呆れたワタシはそっと瞳を閉じた。
仕方ありませんね、受けてあげますよ。
刃物で刺された女が眉一つ動かさなかったら、さすがのキミたちも気味悪がって帰るでしょ?
それに……この程度で怯えて、避けたり防いだりしようものなら、それこそ相手の思うツボですからね。
癪なんですよ、嫌いな奴の思惑通りになるなんて。
視界を真っ暗にしてひたすら待ち続ける。
だが、いつまで経ってもこの体を金属がヌルリと通り抜ける感触がやって来ない。
やはり直前で怖じ気づいたのでしょうか。こんな野蛮人にブレーキを踏む知性があったとは意外でしたね。
その時だった。
『そこまでだ。ちょいとオイタが過ぎるぜ、お嬢ちゃん』
聞き慣れない声がした。
低く、どこかボンヤリとした男の声が。
こんな寂れた場所に人なんて来るわけがないのに。
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
そこには、赤茶色の短髪と眠そうな青い目、そしてガッシリとした体格が特徴的な、背の高い男が立っていた。
その大きな手のひらは、刃物を持ったリーダーさんの細腕を、後ろからしっかりと包み込んでいる。
『なっによ……邪魔すんなオッサン!!』
『オレは21だ!! 一切の迷い無くオッサン呼びはヘコむからやめろ! あり得ないレベルの老け顔なんだよ悪かったな!!』
なんだこの男は。
どうして見たことも、話したこともない男がワタシを助けている?
『その服…………お前さんがた、この近くにあるお利口さんな魔法学校の奴らか』
『だっ……だったら何だってのよ!!』
『いや、ちょっと嬉しくなっちまってよ。あんなトコに通うようなお嬢様はどいつもこいつもオレみてえな落ちこぼれとは住む世界が違う、気品に満ちた高嶺の花ばかりだと思っていたが……案外、オレと似た思考回路を持ってやがる奴もいるんだと思ってな』
男はリーダーさんからナイフを取り上げると、指先を巧みに操りそれをクルクルと回し始めた。
『気に入らねえ奴ぁぶっ潰す……短絡的で人間味があって、オレ好みの素晴らしい考えだよ。だが大人数で無抵抗の人間ぶん殴って何が楽しい? それで気が済むんなら人形相手にでも粋がっとけって話だ』
『アンタには関係ないって言ってんでしょクソジジイ!!』
『ちゃっかり年齢プラスしてんじゃねえよ!! 21でクソジジイだったら老後シーズンに突入したらなんて呼ばれんのか楽しみになってきたわ! 頑張って長生きしよう!!』
場にそぐわない、男の明るく飄々とした態度に対し、あからさまに三人組の顔には動揺と苛立ちの色が浮かび上がっている。
『ゴチャゴチャ言ってないでそれ返しなさいよ! 返さないって言うなら……』
『言うなら…………どうする気だ?』
男は流れるような動きで、持っていたナイフの先端をリーダーさんの喉元に向けた。
『言ったろ? 気に入らねえ奴ぁぶっ潰す……素晴らしいじゃねえか。オレも全く同じ考えだよ。この意味、わかるよな?』
そのまま少しずつ、足を前に進めていく。
先程までは感じられなかった、息が詰まる程のプレッシャーを乗せて。
『ぁ…………ぅ…………』
リーダーさんは小さく声を漏らしながら後退し、やがてワタシと同じく壁際まで追い詰められた。
突如、男は右手を天高く上げると、彼女のすぐ隣にナイフを豪快に振り下ろした。
固い石の壁に小さな刃物がグッサリと突き刺さったのを見て顔を真っ青にしたリーダーさんは、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
『死にたくなけりゃとっとと消えろ。オッチャンの目が届かない所までな』
『ひっ…………ひいっ…………!!』
仲良し三人組は互いを押し退けるようにして我先にと去っていった。
後に残ったのはワタシと謎の男のみ。
本当に何者なんだこの男は。 発言も行動も何もかも無茶苦茶すぎる。
質問が山のように積み上がっていく。話しかけずにはいられない。
『すみません…………アナタはいったい』
『ぬあああああああああ!! だからオレはオッチャンじゃねえんだってば! せっかくのカッコいい決め台詞だったのに台無しじゃねえか!! 時間戻れ! 20秒前からもっかいやり直させてくれや頼むぜ神さんよぉぉぉ!!』
男は天を仰いでグルグルと回りながらワケの分からないことを叫んでいる。
『あの……ワタシの話を…………』
『てかお前さんボッコボコじゃねえか! せっかく綺麗な顔してんのに勿体ない! すまねえな、もっと早く助けてやれたら良かったんだが……なにぶん腰が痛くて速く走れなくてよぉ。べっ、別に老化とかそんなんじゃなくて単純に昨日変な姿勢で寝てただけで』
こちらの話をまるで聞いていない。
どうでもいいことを一人でベラベラベラベラと。
気味が悪い。
この男の心が読めない。
すごく……モヤモヤする。
仕方がない。
ワタシは男に聞こえないよう小声で呪文を詠唱し、男の股間に向かって握り拳サイズの炎を放り投げた。
『死ぬっっっっっ!!!!』
饒舌に一人語りをしていた男は、炎の接近に気付くと必死の形相で跳躍し、残念ながらそれを避けてしまった。
『ワタシの話、聞いてください』
『っぶねえ!! 親からどんな教育受けてきたんだテメエは!!「恩人の急所は燃やすべし」が家訓なのか!?』
『アナタはどうしてワタシを助けたんですか?』
『あぁん!? んなもん、刃物で襲われてる女がいたら助けるに決まってんだろ!』
『ですが相手も女。所詮は女どうしの小さな揉め事です。あのまま放っておいても大事には至らなかったはず。それに見ず知らずのワタシがどうなろうと、アナタには何の問題もない。むしろワタシを助けようとして、アナタが負傷する可能性だって充分に考えられたのですよ?』
ワタシの発言に対して、男は眉間にシワを寄せ集めた。
『おめえよぉ……あの瞬間にそんな細けぇこと、いちいち考えてるヒマあったと思うか? お前さんを助けるのに精一杯で、こちとら頭ん中スッカラカンだったんだよ』
男は面倒臭そうに頭をガシガシと掻いてみせる。
『まあ、なんだ……ただ反射的に、衝動的に走り出しちまっただけ。そんだけだ』
『……無茶苦茶です。ワタシを助けたところで、アナタには何の利益もないのに』
その言葉を聞いた男は、何かを思い付いたように手を打つと、一瞬で得意気な表情を作り上げ、キンキンと甲高い声で言った。
『はっ! オレだってそんなこと分かってるよ! ただお前を助けたかっただけ!! それの何が悪ぃんだ!?』
『っ………………はぁ…………』
溜め息が出た。
これだから己の感情に任せて行動する愚か者はイヤなんだ。
ワタシには理解ができない。
『なあなあ……今の、あの乱暴女のモノマネだったんだけどよ……似てたかい?』
ワタシのような優秀な人間には。
『…………まあまあです』
理解なんて、できるはずない。




