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お前と共に死んだのに  作者: てんてん
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 杉原には懇意にしていただきました。

 私が杉原先輩や、部長と呼ぼうとすると「距離を感じさせる呼び方をしないでくれよ、頼むから」なんて、寂しそうに言うのです。ですから私は敬称は内に秘め、有り余る尊敬の念をぶつけていました。


 なぜ杉原は私を懇意にしてくれたのでしょうか。今になって疑問に思うのです。

 馬鹿な方が可愛いと言いますが、もしその言葉が本当なら、私は途轍もなく可愛かったでしょう。度を越した馬鹿でしたので。

 しかしそうではなかったと思います。杉原と私は土手でキャッチボールをしたり、可憐な花を眺めたり、課外活動と称して、休みの日に二人で美術館に行ったことすらあるのです。それは全て、杉原から誘いを受けたのでした。


 杉原も周りの中学生と同じように、友人と遊んだり、恋仲と愛を育んだりといった生活は、送っていなかったと記憶しています。

 杉原ほどの優れた容姿なら、人気者になってもおかしくないような気がしまたが、きっと中学生にはあの憂いと色気を理解できなかったのだと思います。近寄りがたい雰囲気を醸し出していましたし、砥いだナイフのような目つきでした。しかし私は人との距離感が全く掴めなかったので、杉原の懐へと潜り込めたのでしょう。

 これもまた、私の障害のお陰です。やはり私の障害は、私の人生を豊かにしてくれていたのです。アドバンテージなんて言葉では測れないほど。



 杉原はいつも、油絵が描きたいとぼやいていました。油絵はお金がかかるので、暴力的にアクリル絵の具を塗りたくっていました。

 その作品の中の一つが、コンクールで特別賞を獲りました。雨に近い霙が降っていた二月の半ば、珍しく顧問の先生がやって来たかと思えば、坦々と結果だけを伝えました。


 その結果を聞いて、彫刻刀で削られたボロボロの机に突っ伏しました。木目を指で撫でながら、大きなため息を一つ吐きました。

「父さんも認めてくれるだろうか」杉原は力の抜けた声で言いました。絵の勉強をしたかったそうですが、両親が認めてくれなかったと話していたのを覚えています。両親に反対される理由の、安定した職業に就いてほしい、その親心は分かります。なので杉原は結果で示したのでしょう。自分には絵の才能があるぞ、と。

 数日後に「学業と両立できるなら、続けてもいいとさ」気障ったらしい笑みを浮かべて嬉しそうだったので、私まで嬉しくなりました。



 週末に展示されている絵を観に行きました。三つほど離れた市の市民会館へバスと電車を乗り継いで、一時間ほどでした。

 大々的に飾ってある絵は、杉原が描いた絵の中ではお上品な絵で、賞を取るために描いたような絵でした。そうでしょう? と聞いてみても笑ってごまかされるだけで、本当のことは教えてくれませんでした。

 他の絵を観て回って三十分、二人で熱いうどんを食べてから帰宅しました。




 部活動のパンフレットを作る為に、二人で写真を撮りました。杉原が賞状を持って椅子に座り、私はその後ろに立ちました。

 私は配られたパンフレットの写真だけを切り抜いて、自室に飾りました。それも、私の数少ない宝の一つです。


 私は常日頃から、杉原に美しい美しいと言っていました。杉原は自分の中性的な容姿をコンプレックスを抱いていたようで、それを打ち明けられました。おんなおとことクラスで呼ばれて揶揄されていると言うのです。

 それから私は杉原に美しいと言わなくなり、内に秘めるようになりました。

 心の中では、おんなおとこと呼ばれる故も納得できました。本当に女より美しく、たまに見せる幼さは、可愛らしいと思えるのです。

 時間があれば、切り抜いた写真を眺めていました。


 美しい人を美しいと思う気持ちも、同性となれば異端となってしまう時代でした。世間では認められていなかった同性愛も、私は障害者だから仕方がないと、開き直ることができました。障害を認められてから、私が強くなった気がする故でした。

 ただ私は、同性愛者ではなかったし、異性愛者でもなかったのです。杉原に抱いていた感情は、親愛ではなく敬愛でした。

 劣情を抱くことさえ恐れ多い存在だったのですから。なんと例えるのが一番でしょうか、信仰と不淫、その言葉が一番当てはまるでしょう。


 一度だけ、私の中学校生活にも事件と呼べる出来事が起きました。目的までは覚えていませんが、杉原に話があって教室へ足を運びました。

 廊下で騒いでいる男が二人、それと対面するように杉原がいました。男の片方の手には、学生鞄が握られており、それを二階の窓から外に放り投げました。それは杉原の鞄だったのです。ナイフのような鋭い目を潤ませて、階段を降りていきました。私の中の何かがおかしくなり、目の前が燃え上がるようでした。私は男たちの元へ走り、その時にやっと、自分の心に湧いた感情を理解できたのです。怒り、では足りません、憤怒と呼べば足りるのでしょうか、私はその男の顔面を殴りつけました。戦争の始まりです。


 結果は目に見えた戦争でした。上級生二人に敵うはずもなく、顔を殴られ、腹を蹴られ、あっとういうまに蹲ってしまいました。あとは酷いものです。痛みを感じなくなるまで蹴られ、爪先が身体にめり込む感触だけがありました。顔を蹴られた時にはついに、意識を失ってしまったのです。


 目が覚めたときは、真っ白い天井が見え、鼻に付く消毒液の匂いがしました。保健室の先生に何があったのかと聞かれ、私は答えに困ってしまいました。しばらくジッとしていなさい。言われ、もう一度横になりました。

 鐘が鳴ってすぐ、廊下に足音が響き保健室のドアが勢いよく開かれました。杉原が立ってこちらをみていました。


 ベッドの縁に腰を下ろして「大丈夫か? 心配したよ」崩れてしまいそうな表情と、掠れた声で言いました。大丈夫と答えてから、他愛もない話をしました。

 杉原はいきなり私の手を握り、真っ直ぐ目線で貫いてきました。


「僕の為に振りなれない拳を振るってくれたのだろう。それは嬉しいよ。ありがとう。

 ただ僕は、お前のこんな姿を見たくはなかった。その殴ってやろうという気持ちを抑えて、僕の為にその気持ちさえ押さえてくれたら、もっと嬉しかったよ。」


 頰に手を添えられました。肌が触れ合う感触はありません。私の頰にガーゼのような布が貼られていることに、初めて気がつきました。

 憤怒さえも押さえられる気持ちを持てたら、それは確かに一番の想いでしょう。私は考えもしませんでした。

 それからというもの、道を踏み外しそうになったときに言葉を思い出して、どうにか踏み止まれたのです。どんな思想や哲学よりも大事なものでした。


 二人の穏やかな生活は取り戻せました。何処の誰かはわかりませんが、あの知恵遅れは実は人を殺したことがある、知恵遅れだから捕まってないだけだ。手を出すのはやめておけ、刺されるぞ。と、事実無根の噂を流したのです。それから、二人にちょっかいを掛けてくる連中はいなくなりました。

 穏やかな中学校生活を、享受できたのです。



 幼い私にとって、世界の全ては杉原で形成されていると言っても過言ではありません。杉原が中学校を卒業してからは、世界が音をたてて崩れ落ちるようでした。

 杉原は、「卒業してからも会おう」そう言ってくれたのですが、私には建前に聞こえて仕方がなかったのです。

 しかし不安は杞憂で、杉原は高校に進学してからも、私に接してくれるのでした。



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